第6話 偽装・3

 ズンと地響きのような低い音が体を揺さぶり、地竜ラバスは眠りから醒めた。まだ夜中である。音の発生源はだいぶ遠かったけれど、方角的にラバスが追いかけているあの少年達が今宵寝床にしているところに近い気がする。もしかして少年達に何かあったのではとラバスは感覚を研ぎ澄ます。


 少年二人の動向を追いかけているラバスだが、夜間は彼らも動かないのがわかっているので、ラバスも一緒に眠ることにしている。人間は夜目が利かないから暗闇の中移動するのは危険なのだ。どこかに身を隠し、睡眠をとるのが好ましい。大抵の昼行性の生き物はそのように生活している。地竜もそうだ。人間よりも夜目は利くが、それでも夜行性動物ほどではない。夜は睡眠をとるのが普通である。

 昼間も一定以上の距離を保ちながら追いかけているが、夜はそれよりさらに距離を開けた場所で眠ることにしていた。彼らの連れている天竜の子は案外遠くまで他者の気配を察知するようだった。うっかり寝過ごしている間に、移動を始めた彼らに見つかってしまう可能性もあるため、だいぶ距離を取り身を隠すようにしていた。ある程度の距離を取ったところで、ラバスの鋭い五感は彼らを見失うことはない。そんな安心からか、今夜は少し離れ過ぎていたかもしれない。彼らがいつもより少し森の内部側に寝床を決めたことと、身を隠せる手頃な場所が近くに見つからなかったことも原因だ。


 少年レダが何かと戦っているのだと、気付くのが少し遅かった。一際大きな音が轟くまで目覚められなかった。既にどれほどの時間戦っているのだろう。

 響く音の大きさや、時折聞こえてくる声を聞くに、相手は天竜だろうと思われる。これはまずいかもしれないと、ラバスは慌ててそちらに向かった。

 しかし、障害物の多い森の中を大きな体で移動するのにはどうしても時間がかかってしまう。最短距離を突っ切るわけには行かず、自分の通れる場所へ迂回することが必要となる。それに、ラバスの性格的なものもあるかもしれないが、そもそも普段走るということをあまりしないのだ。暗い森の中で慣れないことをしたってそんなにうまくいくものではない。音で戦況を判断しながら、気ばかりが焦った。


 相手が天竜なのだから当然なのだが、レダは苦戦しているようだった。なんとか助けられればいいが、ラバスが行ったところでラバスとレダの二人で天竜は倒せないだろう。うまく逃してやれればと思うが、間に合うだろうか。ラバスがたどり着くまで、レダは生きていられるだろうか。可能性は極めて低いだろう。

 こんなところでこんな形で彼らは終わってしまうのか、と思うとなんともやるせない悔しい気持ちがジクジクとラバスの胸に疼く。


(俺がもう少し早く気づいていれば)


 それで何かが変わったかどうかはわからない。そもそも少年達はラバスの存在さえ知りはしないのだ。干渉することは難しい。ただ一方的にラバスが彼らを気に入っており、こっそりと追っているだけの状態で、彼らに何かしてやれることがあるとも思えない。

 けれどやはり後悔の念が湧き上がる。失いたくはないのだ。

 自分が囮になってでも、彼らを逃してやれれば良かった。あるいは自分が悪者になってでも、彼らをそこから遠くへ移動させてやれれば良かった。強引にでも、連れ去って走れば良かった。けれど、全てが遅すぎた。のんきに眠っている場合ではなかった。


(天竜の存在なんて、地竜である俺が一番早く気付けたはずなのに)


 取り戻せない失態を悔やむ。夜中に、森の中に、天竜がいる可能性なんて考えていなかった自分を。彼らの命がけの冒険を、ただ自分の好奇心を満たすものとして軽く考えていた自分を。人間なんてすぐに死んでしまうことは知っていたのに、軽んじていた自分を。ただ猛烈に悔やむ。

 他者に対してこんな思いを抱く日が来るなんて、想像もしなかった。世の中の出来事はいつも他人事のようにしか思えなかった。自分とは関わりのないもの、自分はただの傍観者だと、そう思っていた。それなのに、いつしかこんなにも彼らに入れ込んでいる。自分の世界が一変するほど、彼らに魅力を感じ、そして執着している。この気持ちがなんなのか、ラバスにはよくわからない。




 ラバスが現場へたどり着くよりも前に、戦いは終わっていた。天竜は去り、辺りは元の夜の静寂を取り戻している。しかし、それはラバスが想像していた終わり方ではなかった。なんとレダはたった一人であの天竜を退けたのだ。そんな奇跡があるのだろうか。確かに戦闘力に優れた人間ではあったけれど、一人でなんとかできるような相手ではない。天竜が飛び去らなかったことと、こんな夜中に森の中にいることから、あるいは初めから何かしらのダメージを負った天竜だったことも考えられるが、だとしても、だ。生き延びるとは思わなかった。

 けれど少年二人の会話を聞けば、レダはずいぶんと傷を負ったようだ。その体も心配だし、友を傷つけられたポルトの方も心配だった。戦えないあの子がひとりで怪我人の世話をしながら生きていけるのだろうか。


 気付かれないギリギリのところまでそっと彼らに近づく。一緒にいる天竜の子に感知されない最低限の距離を守り、様子を伺う。なんとかその様子を視界に捉えることができた。

 ポルトが一生懸命レダの治療をしていた。流石に人間の治療方法までは知らないが、見た感じ惑っている様子もなくきちんと処置できているようだ。自分なりに生き延びる方法を学んだのだと言っていた。街を出るまではわりとぼんやりした子に見えたが、思いの外しっかりしている。

 ラバスに手伝えることは何もなく、これ以上近づくことすらできないが、ただただその様子を見守る。もし二人に近づくものが何かあれば守ってやろうと周りの気配を探ったが、幸い先ほどの天竜が戻ってくることも、別の動物が姿を現すこともなかった。


 やがて治療は終わり、空の色が少しだけ明度を上げてきた頃、ポルトも、そして天竜の子オージも僅かばかりの眠りについたようだった。

 今ならば大丈夫そうだと、ラバスは静かに距離を詰めた。少年レダの様子が気になったのだ。

 少し前までずいぶんと苦しそうな呼吸をしていたのが聞こえていたのだが、急に静かになった。痛みが落ち着いたのかとも思ったが、どうもそうではないような予感がした。

 木陰からそっと大きな手を伸ばし、レダの体に触れる。そして息を飲んだ。


(なんということだ。すでに魂がないぞ…)


 人間の魂を食らう地竜には、その魂の存在が感知できるのだが、今のレダにはそれがなかった。

 つまり、彼は、死んだのだ。

 心臓も既にその動きを止めていた。しかし、体はまだ暖かい。


(いや、今ならば、まだ間に合うかもしれない)


 本能的にそう感じた。

 ラバスが考えたこと、それは、自分がレダの体を奪うということだ。

 基本的に死体に魂を定着させることはできない。奪った体の死は自分の死と同じであるため、その相手は生きた人間でなければ意味がないのだ。しかし今死を迎えたばかりのこの体は、再生することが可能かもしれない。地竜の魂が入った体には、少しだけその地竜の能力が反映されるのだ。人間よりも高い地竜の治癒能力が、レダの体を再生させるかもしれない。人間よりも高い耐久力が生をつなぎとめるかもしれない。


(再生されなければ、俺もまた、死ぬ)


 ずいぶんと分の悪い賭けだなと思う。ラバスだって人の魂を奪った経験があるわけでもないのだ。ただ地竜が生き延びるための本能として、その体が使用できる可能性が微かにあることを感じるだけなのだ。確たるものは何もない。

 しかし、それでもいいかなと、ラバスは思う。自分の生にさほど執着はない。それも運命だというのなら、実に刺激的な人生ではないか。

 何よりも、レダの死を、一人残されたポルトが乗り越えられるとは思えないのだ。お気に入りの少年レダは既に失われてしまったが、もう一人のお気に入りポルトまで失いたくはない。


(俺がレダの体に入り、レダのふりをして過ごせば、ポルトのレダは失われない)


 ポルトを悲しませたくなかった。

 今ならば自分にはそれができるかもしれない。

 そう思ったら、行動は早かった。一分一秒を争うのだ。

 ポルトが目を覚ました時に驚かぬよう、自分の大きな体を少し離れた窪地に横たえて隠し、魂だけを移動させる。本当はあの時のゲーテのように相手の体に触れていることが望ましいのだが、地竜の体を隣に転がしておくわけにはいかない。魂のままで少しの距離を移動するというのは難しいけれど、目標が動かないので不可能ではないはずだ。しっかりと狙いを定め、そこへジャンプするような感覚。うまくいくかどうかはわからないけれど、やるしかない。



 一瞬意識を失い、次の瞬間全身を襲う痛みで大きく目を見開いた。仰向けに寝転んだ小さな視界は、木々の間から見える狭い空を映していた。

 ラバスの魂は無事にレダの体に入り込んだらしい。そして、生命活動を止めた直後だったその体は、ラバスの治癒力によって再び時を刻み始める。

 正直こんなうまくいくとは思っていなかった。ダメもとみたいな気分で死を覚悟していたのだが、なんとかなるものだ。レダの体との相性が良かったのかもしれない。似ているところは特にないと思うが、彼という人間をよく知っているからかもしれない。彼の魂の形をイメージしやすかったのだ。


 試しに少しだけ体を動かしてみると、腹の底から湧き上がってくるものがあり、ガハッと咳き込むと同時に口から血があふれた。

(内臓をやられていたのか)

 死因はどうやらこれらしい。外側の傷は全て治療してあり、もちろん痛みはあるがさほど問題がある感じはしない。だが、体の中の負傷には気付かなかったのだろう。気付いていたとしてもポルトに治療できる術があるのかどうかは知らないが。

(相当我慢していたに違いない)

 レダはわかっていたのだろうか。魂がないので彼が何を思っていたかまではわからない。あまり深く考えることなく、ただこれ以上ポルトに心配かけまいと痛みを我慢していたのか、あるいはポルトでは助けられないことを悟っていたのか。

(どちらにせよ強い子だよ、君は。よく頑張った)

 けれどその頑張りは彼とラバスだけの秘密だ。ポルトは知らなくていい。親友の辛かった記憶など、なくていい。


(俺が代わりに君の人生の続きをしよう)


 レダは生きながらえた。死んだのは、地竜ラバスだ。それでいい。それが一番優しい現実だ。

 ラバスがいなくなって悲しむものは誰もいない。でもレダがいなくなればポルトは生きていけない。ならばレダが死んだ事実をひた隠そう。なかったことにしよう。


(大丈夫、レダの喋り方も行動も、ずっと観察してきたんだ。うまくやれる)


 ひとまずしばらくはまともに動くこともできなそうではあるが。さすがにこの傷が癒えるにはラバスの力によって増幅された治癒力をもってしてもしばらくかかるだろう。ラバスの能力値に影響されるとはいえ、人間の柔い身体であることには違いないのだ。

 まずは傷を癒そうと、ラバスは目を閉じる。内側の重傷など初めからなかったかのように回復しなければいけない。

 何かおかしいと、悟られてはいけない。

 地竜だった頃の記憶なんて全て忘れて、レダになろう。

 ラバスという存在は、体とともに捨て去ったのだ。この森に眠り、いつしか何者かに食われ、朽ちていくだろう。それでいい。

 そんなことよりも、この少年に変わることない人生を。少しでも長く幸福の時をと願う。




 ———君は、俺を許してくれるだろうか。

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