白い部屋

 細胞が個々のペースで崩壊してゆく。ねえ、楽しいはなしをしよう。もうすぐ壊れてしまうから。

 四方が白い壁だ。天井と壁の境目がよく判らない。私は球形のなかにいるのかも知れない。

 唇は動かし続けるがそれよりはキータッチの方が思考のスピードに少しは追いつくのだがしかし、もどかしい。もどかしいのはスペースキーを押す空白、を感じ取ってしまった瞬間、から、ミスタイプをして、削除作業をやむなくされる時間。まるで時差の如く不便だ。

 あたまが重い。石のように重い。私は呟く、重い。


 ──頭蓋の中身がルビィなのかも知れない。赤黒く輝くルビィの小粒に化学変化を起こしているのなら、このあたまの重さにも納得出来るしを叩き割れば宝石箱ひっくり返したその衝撃みたいに脳漿飛び散るよ、一面にルビィ。ねえ、紅色をしたあの粒だったらいいねえ。

 誰かの戯れ言を挟んで栞とする。

 傍らのボトルの水をひとくち。溢れ出る脳内麻薬。息苦しいけれど必死で呼吸をして、そのあいまに踊る指先キータッチ。

 あたまを揺らすとぐちゃぐちゃと音がする。右脳も左脳も脳幹も脳漿も混ざり合って中央路線だけを真っ直ぐに真っ正直に真っ向に伸ばし右往左往する思考の果てにあったのは、至高のエクスタシィに似た言葉との交感でした。ああ、もう、息が出来ない。

 また水をひとくち。ボトルの表面に付着していた水滴を掌に感じ、ああ、私の掌、まだあったんだ。ほんの少し掌が濡れたのでその水滴を頚もとに運び、胸元に入れる。ああ、躰、まだ、ある。在るってことを、そうやって、限りなく何度も確認しなければ、私は脳内にしか棲息出来ないものになるだろう。

 それにしても、脳内麻薬ってなんだろう。あたまのなかいっぱいに溢れている。

 そう、溢れている。どうしようもなく溢れている。この躰、身長百五十六センチのこの躰には収まりきれない。収まりきれないのです。そのそれぞれ指令を出すマリオネットの操作役になっても、このちっぽけな小石の脳になんて治まりきれないのです。昨日の歌が聴こえる。今日の歌は何にしよう。瞼が少しだけ閉じるのは何故?

 飲み干す水が食道を落ちていかなければいいのに。動脈に注入して欲しい、ねえ、躰をみゃくみゃくとめぐって脳を水のなかに浮かべて、エタノール・メタファ。


 私は柘榴を知っていた。ぱっくりと割れて実の粒が見えている、あれ。脳から溢れて零れる柘榴の紅いルビィを、硝子紅の実を攫み取って、周りの白い壁になすりつける。

 ──この白い部屋一面に私の思索が塗りたくられたらば、鍵をかけて、閉じ篭って、私のいるのはこの部屋です。私の存在がこの白い部屋自体へと平均的に均します。

 無意識に呟く。拡大されてゆく世界。凝縮されてゆく本音。迫害されてゆく希望。

 報復を受けるまでは、歌います。こんにちは、おはようございます、ありがとう、そして、ご機嫌よう。


           

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