衝撃

 素早くアリサエマに目配せをするが……こちらに気がついてない。展開に驚いてしまっているようだ。

 カエデは男の捨て台詞に面食らったようだが、なぜか頬を膨らませて怒っていた。……人間の顔ってこんなにまん丸になるんだなぁ!

 しかし、言い返したいことなどがあっても、すでに男は雑踏に紛れている。俺やカエデはタイミングを失ってしまったのだ。

 素直に結果を受け取るならば、まあまあの値段で取引が成立したと考えられる。あとは男の言葉を信じて、ここで戻ってくるのを待っていればいい。

 ……信じるならばだ。

 あの男が詐欺師の類だったとしたら、もう戻ってはこない。悪意ある者じゃなくても、途中で気が変わることだってあるだろう。

 たかが取引にずいぶん慎重すぎると思う人もいるかもしれない。しかし、これは俺が人間不信だからではなく、ある程度は必要な用心だ。

 良くも悪くもこの世界はゲームだし、この世界にはプレイヤーしかいない。

 冒険、交友、商売、生産、戦争……MMOでは数多くの楽しみ方があり、何を求めるかは人それぞれ異なる。

 しかし、人それぞれのうちでも……『悪』や『制限のない自由』を楽しもうとする者は要注意だ。

 誰しも物語に登場する悪役に魅力を感じたことはあるだろう。その憧れのままに……いわばアンチヒーロー、ダークヒーローとでもいうべきスタイルを志すものはいる。

 その手のプレイヤーは常に善意やマナーに則った行動をするとは言い難いし……極まった奴は行動規範が『悪』かどうかだけになってしまう。

 だが、それもMMOでは許されることだ。

 『悪』や『制限のない自由』を貫くのは相応の力が要求されるが……ゲームとしてはやり甲斐のあることだろう。

 しかし、他のプレイヤーにとってはそいつは……ただの地雷で困った奴でしかないし、可能な限り関わりにならないようにするべきだ。

 そのためにも要注意プレイヤーの情報は重要なのだが……今回のように全プレイヤーが一斉に新規で始める場合は手探りで……それこそ出会う奴全員を警戒するくらいしか手がない。

 だから俺の用心は過剰ではない。過剰ではないはずなのだが……それよりも……なんだろう? ……原因は解からないが、物事が正しいレールから外れ始めている気がする。

 ここまで最高に……誰が見ても完璧な手順で物事を進めてきていたのに……ここにきて停滞だ。

 ……いや、考えすぎか?

 しばらく待っていればあの男は帰ってくるはずだ。そうそうノーマナーのプレイヤーに出くわすなんて起きない。このまま意味不明に待ちぼうけになんて……ならないはずだ。

 そんな漠然とした不安に襲われていたら、アリサエマがおずおずと話しかけてきた。

 そうだ! 俺にはアシストがいる! ここでナイスなサポート能力を発揮してくれるはずだ!

「あの……ありがとうございます。おかげで助かりました。でも……その……このままだと……戻ってきてくれても……お金が……」

 恥ずかしそうに言うが……それはお互いに了解していることだ。

 ……なるほど。

 ここで俺がアリサエマに足りない分を貸し、アリサエマは「ありがとうございます。三人で待つこともないですし……その後は『きいろスライム』狩りでもして稼ぐことにしますから……お二人はお好きなように……」とでも言えばいい。

 俺の期待以上にハイスペックなサポーターだったみたいだ!

「ああ……遠慮しないでくれ。俺たちは『仲間』だろ? 『困ったとき』は『助け合おう』よ。そうだな……金貨二百五十枚を俺から貸すよ。また今度……『資金ができたとき』にでも返してくれれば良いし」

 裏にメッセージを込めながら……アイコンタクトをしながら金貨二百五十枚を差し出す。

「あ、ありがとうございます! そ、そうですよね……『仲間』なんですよね! このお金は必ず……『また今度』会うときにお返しします!」

 なぜか顔を赤らめながら返事をしてくるが……どうかしたのか?

 現時点で金貨二百五十枚程度は痛くも痒くもない。まだ金貨二百枚以上は手元に残るし、それで今日の作戦行動には足りるはずだ。なんなら謝礼でもかまわない。どうやらソロで一、二時間かければ稼げる金額でしかないし。

 さあ、アリサエマ! 遠慮なく続きを言うんだ! 心配するな! あとのフォローは俺がする!

 と思って続きの言葉を待つが……一向にアリサエマは口を開かない。なんでかニコニコと機嫌よく笑うだけだ。念のためにもう一度アイコンタクトをしてみるが……なぜか恥らって俯いてしまう。

 あ、あれあれ?

 お、おかしいですよ、アリサエマさん?


 先ほど感じた漠然とした不安は……これが原因か?

 いや……まだその結論は早い。この展開でも……じきに……さっきの男が戻ってくれば……何事も無く進み始めるはずだ。

 しかし……なんだろう? この拭い去れない……上手くいっていない感じは……。

 おかしい……俺が参考にした文献では……このステップで苦戦するなんて記されて無い!

 多くの文献ではターゲットが空から落ちてきたり、新学期の朝に食パン咥えて曲がり角からぶつかってきて『出会い』が果たされていた。

 しかし、もう俺も夢見る子供じゃない。そんな『出会い』は選ばれしリア充にしか起きないのは理解している。

 だが、俺は俺なりに理解し、俺にも『出会い』が起きるように考慮した。だから俺はカエデと出会ったのだし、研究の成果というべきだ。

 文献では『出会い』のあとは……なんだか羨ましくなる『楽しいこと』がたくさん起きて……『お互いの気持ちを確かめる』『告白』『ゴール後にストライカーが歓喜の踊りをする』とステップが進むはずだ。

 どの文献でも『告白』と『ゴール後にストライカーが歓喜の踊りをする』の間に起きること……『シュート体勢に持ち込む』、『シュート』そのもの、『ゴールネットにボールが突き刺さる瞬間』は記されていない。

 そりゃ俺だってもう大人だ。『シュート』や『ゴールネットにボールが突き刺さる瞬間』は大人の事情で一般の文献に記せないのは知っている。

 しかし、そちらも抜かりなく別種の文献で調査済みだ。むしろ、そちらの調査には最も重点を置いた。

 だが……どちらの種類の文献でも『シュート体勢に持ち込む』は重視されていない!

 だから、それは……取り上げるまでも無い、取るに足らないことなんだろう。

 なぜ今の段階で思うように物事が進まないんだ?

 『出会い』はした。『楽しいこと』もたくさん起きた。

 『お互いの気持ちを確かめる』はどうだった?

 俺はカエデのことが好きだ。カエデの方も俺のことを悪からず思っているに違いない。

 だから、このステップは省略しても問題ないだろう。むしろ、気がつかないうちにクリアしていた可能性すらある。

 『告白』はどうだ?

 俺は全身全霊で、常に気持ちを表現している。うん、これで十分のはずだ。むしろ、少しやり過ぎのきらいすらある。これ以上は不要だろう。

 では、なぜ……『シュート体勢に持ち込む』で苦戦するんだ?

 まさか……これまでの研究に齟齬があったというのか?

 天啓のように答えに思い当たった。

 ムードだ!

 ムードが足りない!

 敵性文献としてリア充用のも調べておいて良かった!

 奴ら用の文献ではお題目のように「ムード」、「ムードが大切」などと連呼されているが……あれは俺たちの目を誤魔化すプロパガンダではなく、真実だったのではあるまいか?

 そうと決まればやる事は決まった。

 なぜかカエデはもの凄く不機嫌そうだし……その気分を変えてあげるのも、決して無駄ではないだろう。


「……なあ、カエデ? どうかしたのか?」

「どうもしないよ!」

 相変わらず顔をまん丸にして怒っているし……取り付く島も無い。

 まあ、これは単なる会話の潤滑油だ。

 どう見てもカエデは怒っているし、俺だって解からないから聞いたわけではない。カエデだって隠せているとは思っていないだろう。

「何が気になっているのか解からんが……上手く値切れたと思うぞ? 初日だからもあるけど……明日や明後日には少し値上がりするだろうしな。初めてにしては上出来だ」

 チラッとアリサエマの方に視線を投げながら……カエデにも判るように投げながら言った。

 それでカエデもアリサエマの方に注意が向いて、少しばつが悪そうな顔になる。

 その時に俺も気がついたのだが、アリサエマも心配そうな顔をしていた。

 ああ、そういうことか。カエデがもの凄く不機嫌だったから、それが心配でアシストを開始するわけにもいかないと判断したんだな。こんな簡単なことに気がつかないなんて……どうやら、俺は少し……いつのまにか焦れていたようだ。

「心配しなくても大丈夫だ。あいつはちゃんと、ここに戻ってくるって」

「えっ? ……そっか、戻ってこない可能性もあるんだ! もっー!」

 安心させようと希望的観測を言ったのだが……逆に、それでカエデは再び顔をまん丸にして唸りだした。

「え? ……待ちぼうけに? ……あの……待つのは私だけでもできますし……お二人は……なんでしたら」

 しかも、アリサエマも想定外だったのか、そんなことを言いだした。

 その発言は注文通りだけど、いまはダメだ! なんでこのタイミングで?

 いや……このタイミングだからこそ、乗るべきなのか?

「アリサさんもこう言ってるし……待つのは一人でもできる。なんだったら交代で待てば良いし……その間にその辺で商売している奴らでも……冷やかしに行かないか?」

 そして申し訳無さそうな顔を作ってアリサエマの方を見る。

 アリサエマの方はカクカクと首を縦に振っている。上手い演技だ!

 凄いアシストだ。まさに逆転の発想!

 これなら不機嫌なカエデを宥めるのに、俺がエスコートとなるだろうから……自然なフェードアウトが可能になる!

 二人きりになれば勝ったも同然だ。あとは俺がムードを高めるだけで『シュート体勢に持ち込む』へ移行できるだろう。

 問題はそのムードを高める方法だが……なに、適当に「君の下着を洗いたい」とでも言えば良いらしい。……逆だったかな? まあ、どちらでも意味は変わらないはずだ。

 だが――

「やだ! ボクはここであいつを待ってる! 絶対、一言いい返してやるんだ! それに、アリサ一人で待たせるなんてかわいそうだよ!」

 カエデは譲らない。テコでも動きそうも無い雰囲気だ。

 なにをこんなに怒っているんだろう?

「……なにをそんなに……気にしているんだ? そりゃ、そんなに丁寧な奴じゃなかったが……失礼でもなかったろ?」

 これはあまり良い言い回しではない。

 怒っている人に理由を問うのはナンセンスだ。ましてや怒るほどの事でも無いと諭すのはさらに拙い。人は理由があるから怒るのだし、見過ごせないことだから許せないのだ。

「もう! タケルはなんで解からないの? ボクは怒ってるんだよ!」

 案の定、矛先は俺に向いたが……まあ、構いやしない。むしろ俺を相手に少しは発散できるなら安いものだ。

「まあ……そうかな、とは思っていたが……いまいち理由が解からなくてな……」

「もーっ! なんで解からないの? だって『お嬢ちゃん』だよ? ボク、そういう風に呼ばれるの大嫌いなの!」

 そう言ってカエデは腕組みの姿勢で睨んでくるが……まるで怖くない。むしろ、とても愛らしくて抱きしめたくなるほどだ!

 それに怒っている理由が判明した。……それがまた、微笑ましい気持ちで一杯にしてくれる!

 アリサエマもホッとしたような、それでいて微笑むような……さらには笑うのを堪えているような複雑な表情をしていた。

 あの男がカエデを「お嬢ちゃん」と呼んだのはわからないでもない。もう少し上品に呼ぶなら「お嬢さん」だろうが、それでは気取りすぎている。

 だが、カエデはちょうど、そういう呼びかけに過剰反応してしまう時期なのだろう。

 俺にも覚えはある。「坊主」だの「坊や」、「少年」……その手の未熟さの意味もある呼ばれ方が、嫌で嫌で仕方ない時期があった。

 しかし、ここで微かにでも笑ってはいけない。それが好感をもったが故の微笑みでもだ。この時期にはそれですら心に刺さってしまう。

「あっ! いま笑ったでしょ? いまタケル笑ったでしょ?」

 カエデが悔しそうに地団太を踏んだ。

 ……あまりの微笑ましさに顔がニヤけちゃったか?

「いや、笑うなんて……そんな……笑ってないよな、アリサさん?」

「そ、そうですよ。仲間を笑うなんてありえません!」

 辛うじてアリサエマは真面目な顔でフォローしてくれた。なかなか上手く取り繕ってくれたと思ったが……なおも不審そうな目でカエデは俺たちを窺っている。

「あれだ……カエデの育ちが良さそうだったから……あいつはそんなこと言ったんだろ」

「そ、そうですよ! カエデさん、上品そうだから!」

 正直、カエデは良家のお嬢というより……お転婆で元気が良すぎるくらいの感じだが……まあ、ここが切り抜けられれば問題ないだろう。俺とアリサエマで結託して誤魔化そうとしたが――

「もうっ! 二人してそんな風にからかうんだね! ホントに怒るからね!」

 疑心暗鬼に駆られているのか、ますます意固地になってしまった。

 仕方が無い。この話題での最終兵器を投入することにしよう。

「……まあ、良いじゃないか。女の子は若く見られるほうが得だっていうぞ?」

 これで決まりだ。男相手には使えないが、女性相手には絶対の効果がある。隣ではうんうんとアリサエマも肯いている。

 だが、カエデはますます怒りだし、そして突拍子もないことを言った!

「そんなこと言われても、ちっとも嬉しくないよ! ボクは男の子なんだし!」

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