ヘンリー王子とジュリア

「お屋敷でっか」


 次の日、お医者様の許可も得たので自分の屋敷に帰ることになった。


 スチュワード家の馬車から降りた私が目にしたのは門から屋敷まで五分ほどかかる巨大な屋敷である。屋敷の前には大きな石像が置いてあり、その周りをグルリと一周できるように道が敷かれていた。


 まごうことなき豪邸である。さすがはスチュワード家、貴族の中でも位の高い公爵を冠しているだけはある。


 執事らしき男がドアを開けると左右一列に並んだ使用人が一斉に頭を下げる。


「「おかえりなさいませ、ジュリア様」」

「は、はい戻りました」


 圧巻の光景に内心ビビりながらも返事を返す。どんだけいるの、使用人。記憶が正しければこの3倍は屋敷にいるはずなんだよね。


「旦那様の取り計らいにより本日は休養せよとのことです。昼食は何になさいますか?」

「任せるわ」

「かしこまりました。シェフの気まぐれランチでオーダーしておきます」


 ジュリアらしいランチが思い浮かばなかったのでソフィアに投げたらどこかのレストランのようなランチになった。


 まあ、ランチは後の楽しみに取っておくとしてジュリアの部屋だ。ゲームでは華やかな内装にウォークインドレッサー、色とりどりの金銀宝石とアクセサリーがあった。さぞかしキラキラ煌めいているに違いない。


 昨日はハプニングの所為で断罪イベントが流れてしまったが『詳しい処分は後日通達します』というヘンリーのセリフから察するに、リリアへの虐めによる処罰は免れられないだろう。


 国内追放の前に少しぐらい豪華なお部屋を見ても罰は当たらないよね!


 ◇◆◇◆


「ソフィア、仕事があるでしょう。楽にしていていいわ」

「お気遣いありがとうございます、ジュリア様。昼食が出来上がりましたらお呼びいたします」


 丁寧に一礼して退室するソフィア。扉が閉じたのを確認してから大きくため息をついた。腰に手を当ててグルリと部屋を見る。


「まさか客に見せつけるための部屋と普段使いのための部屋があるなんてね」


 シンプルにレースカーテンの引かれた窓とバルコニー、飾りのない木製の机に一人用のベッド。全寮制の時のリリアの部屋よりも質素な部屋だ。剥き出しのフローリングには傷が付いているほどだ。


 ゲームで見たような天蓋付きの大きなベッドも華やかなドレスが収納されたウォークインクローゼットもない。


『平民が使うものなんて虫唾が走りますわ!』が口癖の高飛車なジュリアの部屋とは思えない。こうなるとジュリアは普段どんな生活を送っていたのか気になってきた。


 数年前のジュリアが見聞きした記憶はぼんやりと思い出せるものの直近はどうにも擦りすらしない。転生の影響だと思うが、怪しまれないためにも調査が必要だ。


「ちょっとぐらい漁っても、いいよね?」


 ワキワキと手を動かしながら机に忍び寄る。


 そう、今の私は誰がなんと言おうとジュリアなんだ。これは調査、しかたなく調査しているだけだから。自分の部屋を自分で漁っているだけなら、なんら違法性はない!


「いざ、ジュリアの秘密を暴かん……」


 誰の目もないことをいいことに部屋の物色を始める。最初は手堅く机からだ。引き出し付きとはなかなか興味をそそられるではないか。


 一段目には封筒や使いかけの蝋燭と便箋が入っていた。二段目にはペンとインク壺が入っていた。


「さすがに十五夜にかいたような恋文やらポエムはないか」


 ここまでは想定内である。本命は三段目、一番下にある大きな引き出しである。鍵付きのそれは如何にも乙女な秘密が隠匿されていそうなほどの厳重な警備であり、期待が高まる。


 しかし困ったことに手元に鍵はない。勿論私にヘアピンで開けるような技術は備わっていない。


「諦めるしかないかなぁ。なぁんてね、貴女の考えはお見通しよジュリア!」


 ノリノリで机の裏に手を這わせ、布と釘で作られた簡易的なポケットから鍵を取り出す。


 躊躇うことなく鍵を開け、引き出しを開けるとそこには紙箱があった。元はお菓子のものと思われるようなデザインのそれを机の上に置く。


「ジュリアにしては庶民的なものを使うなあ」


 紙箱の蓋を開けると折り重なった便箋が目に飛び込む。どれもが封を切られていないものだった。その一つを持ち上げ、しげしげと観察する。


 真っ白な便箋に赤い蝋燭と特徴的な印。そして『愛しい婚約者のジュリアへ』と書かれていた。


「これ全部ヘンリー王子からの手紙で……どれも封を切られた形跡はない……」


 好奇心に負け、手に持った便箋の封をペーパーナイフで開ける。ふわりとヘンリー王子の香水が鼻を擽った。


『厳しい寒さの中、冬のひだまりがことのほか暖かく感じる歳末の候になりました。いかがお過ごしでしょうか?


 来年の卒業パーティーが無事に済んだ後、僕達は結婚式を経て正式な夫婦となります。

 女性にとってウェディングドレスは一生に一度の晴れ姿として思い入れが強いと以前伺いました。


 どのようなデザインが良いのか僕には判断がつかないので、一度王宮付きの仕立て屋も交えて話をしませんか?』


 どうやら去年に書かれた手紙のようだ。封が切られていないということは当然、ジュリアが返信しているわけもない。封すら切らずに仕舞い込むとはゲーム本編よりもジュリアとヘンリーは仲が悪かったようだ。


『何故返信してくれないんですか?』

『僕には貴女の気持ちが分からないんです。一度だけでもいい、返信をください』

『僕がなにか気に触ることをしましたか?』


 封を切れば切るほど追い詰められていくヘンリーの文面。最新のものに至っては季節の挨拶もなくいきなり本題を切り出すほどだ。


「スマホのない時代に未読スルーがあったのか」


 さらに引き出しを漁ると一冊の日記を見つけた。これも部屋にふさわしくノートをそのまま日記として使っているようだ。


「どうしてこう、人の日記って内容が気になるのかしら……?」


 他人の秘密や私生活を覗くというスリリングな行為に唾を飲み込み、緊張で震える指を使って表紙を捲る。


「あら、かなり破られてるね」


 最初から十単位のページが破り取られている。部屋にあるゴミ箱は空なのでとっくに処分されてしまったのかもしれない。とりあえず中を読む。


『失敗した』

『失敗した失敗した失敗した』

『まさかリリアがアランを選ぶなんて!』


「そんなにヘンリーと結婚したくなかったのかな……」


 ゲームのジュリアは富やら名声やらに固執するような選民意識の強い、まさに貴族令嬢のような言動だ。王太子の婚約者の座を勝ち取ったのなら恋敵のリリアがアランを選択したのはむしろ『成功した』ではないか?


 次の頁を開き、続きに目を通す。


『彼の気遣いも優しさも何もかもに耐えられない!息が詰まって死んでしまいそう!ああ、誰でもいい。誰か私の代わりに彼と結婚してくれないかしら!』


 ヘンリーってジュリアにすごい嫌われていたんだな。まあ、親同士が決めた婚約ならジュリアも乗り気じゃなかったということだろう。


『彼との結婚を考えると物凄く憂鬱な気分になるわ。叶うならこの屋敷でずっと心穏やかに質素な生活を続けたい。公爵家の令嬢として他人に見栄を張り続けるのがこんなに辛いとは思わなかった。いっそ死んでしまえば楽になれるかしら?』


「その歳でマリッジブルーか……相談できる相手もいなさそう」


 前世で友人がマリッジブルーを患ったことを思い出す。立ち直るのにかなりの年月がかかったな。更にページを捲ると段々と雲行きが怪しくなってきた。


『使用人の噂話を聞いた。最近怪しげな輩が街の外れに住み着いたらしい』

『調べたらどうやら黒魔術の使い手だという』

『今度お忍びで出かけた時に会ってみよう』


 意外と行動力のあるジュリア。怪しげな輩に自ら接触を図るほどフットワークが軽い。怪しげな輩にすがるほど追い詰められていたとも言い換えられそうだが。


『黒魔術の使い手は女の人だった』

『相談したら入れ替わりの呪文を教えてもらった。謝礼を渡そうとしたら見返りは要らないと突っぱねられてしまった』

『そのかわり、どうしても耐えられなくなった時だけ使うようにと念を押された。誰と入れ替わるかは分からない。唱えれば取り消すことはできない、一度きりの呪文らしい』


 興奮しているのか罫線を無視した文字が書き殴られている。


 それにしても黒魔術とはいかにも怪しい。見返りを求めないあたりに怪しさに拍車がかかる。


『どんな効果なのかは教えてくれなかった。明日の卒業パーティーが終われば彼と結婚する。彼と結婚しなくてもいいならどんな結果になっても構わない』


 日記はここで終わっていた。パタンと閉じて手紙と共に引き出しの奥に戻す。


「なるほどね。つまりジュリアが呪文を唱えて私が代わりに入ったとーー」


 爽やかな風に揺れるレースカーテンを見つめて微笑をもらす。


「とばっちりじゃないの!!それならジュリアは今頃死んでるじゃない!」


 頭を抱えてベッドに突っ伏す。日に干されたのかいい匂いのするベッドシーツの上で転げ回る。ひとしきりどったんばったん暴れたら落ち着いてきた。


 しかし疑問が残る。ジュリアもヘンリーがリリアのことを好きだというのも薄々勘付いていたはずだ。その彼女をいじめていたジュリアへの好感度も低下の一方。


 ジュリアの記憶の中でも『君と婚約したのは間違いだった』と言われた記憶がある。婚約破棄は時間の問題とまで取り巻き貴族たちに陰口を叩かれるほどだ。


 もしやジュリアは自分が婚約破棄されるということにまで頭が回らなかったのだろうか。


「まあ、過ぎたことはしょうがない。それよりこれからよ。多分今週中にはヘンリー王子から婚約破棄の申し込みがあるでしょ」


 一時はジュリアやヘンリーのちょっとやべー所を知ってしまってびっくりしたが、どうということはない。二人に想いを馳せるよりも、これからの生活の為に勉強を始めた方がいいだろう。


 トントンと控えめに扉が叩かれる。


「ジュリア様、昼食ができました」

「分かったわ」


 ソフィアに返事を返し、部屋の外に出た。

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