陸の人魚は嘘をつく3



 急いで昼食を食べたメリッサは、あと回しにしていた仕事をできるだけ済ませてから、ジョアンナと一緒にマーガレットの支度を手伝う。もともと通いで掃除婦が来てくれるし、ジョアンナ一人でやっていた仕事を今は二人でやっているのだから、案外余裕がある。


 マーガレットはふだん、締めつけの少ないふわりとしたワンピースを着ている。ダンスのレッスンの場合、本番と同様にペチコートを何枚も重ねたドレスと、かかとの高い靴で練習をしないと意味がない。

 もともとほっそりとしているマーガレットにはあまり必要のないものだが、体調を考えてコルセットはあまり締めつけないように工夫する。メリッサは田舎育ちでドレスなんて着たことどころか、見たことすらない。ジョアンナの指示にしたがって、支度に必要な小物を運ぶだけが彼女の仕事だった。

 ライラックの花のような色合いのドレスを身にまとったマーガレットは、妖精のお姫様のようだった。


「うわぁ! 素敵です。マーガレット様」


「当たり前よ、これくらい」


 少し怒っているように顔を赤らめているが、これは恥ずかしがっているのだとメリッサにはもうわかっていた。やっぱり素直じゃないところはそっくりな兄妹だ。


 支度を終えるとまもなくダンスの先生が屋敷に到着する。先生は品のよい、やわらかい雰囲気の女性でシモンズ夫人と呼ばれている。


「まぁ、かわいらしいお姫様と王子様ですこと」


 シモンズ夫人はほがらかにほほえみ、ダンスの練習がはじまった。


「マーガレット様、お手をどうぞ」


 初心者のマーガレットに合わせて、本来より遅いリズムで奏でられるロバートのピアノに合わせ、二人でステップをふむ。


「あ、ごめんなさい」


「いえ、大丈夫です。続けましょう」


 マーガレットに何度か足をふまれたあと、シモンズ夫人のアドバイスで、ぐっと近づいて踊ることにした。そうすることによって、次のステップがどの方向であるのかをメリッサが誘導できるのだ。これが、いわゆる「男性がリードする」ということなのだろう。


 女の子同士だから抵抗のないメリッサだが、もしこれが男性だったらけっこう恥ずかしい。なんとなくカイルと踊ることを想像しながら、メリッサは庶民でよかったと思ってしまった。きっと、そういう機会は一生ないのだから。


「メリッサ? あなたってダンスが踊れたのね……」


「い、いえ! さっきロバートさんに教えてもらっただけで、はじめてです」


 そう言ったものの、メリッサは意外にもリードする才能があるようで、いつの間にかパートナーのマーガレットも力を抜いて楽しく踊れているようだ。


「すばらしいですよ。お二人とも」


 曲が終わったところでシモンズ夫人が二人をほめる。


「これなら、カイル様に成果を見せられますね」


 メリッサがそう言えば、マーガレットが真っ赤になってほほえむ。


「……あ、あの、ありがとう。ロバートも、あとジョアンナとギュルセルにもお礼を言わなきゃ」


 マーガレットはメリッサだけではなく、ロバートやほかの使用人がマーガレットのために力を尽くしていることをきちんと理解している。メリッサが男性パートの練習をしている時間、ジョアンナとギュルセルがいつもよりたくさんの仕事をしたこともわかっているのだ。

 シモンズ夫人はマーガレットに、より美しく見えるようにいくつかの改善点を指導する。

 休憩を挟みながら、部分的に練習をしていると部屋の扉が急に開かれる。


「マーガレット、遅くなった」


 そこにいたのは帰ってこられないと言っていたはずのカイルだった。


「お兄様? お仕事はよろしいの?」


「きちんと終わらせてきたよ。それより、まだ疲れていないか?」


 ちょうど、もう一度ピアノの演奏に合わせて通しで踊ろうとしていたところだ。メリッサはカイルと王子様役を交代する。

 マーガレットが嬉しそうにほほえむ姿。そして彼女だけに向けるカイルのとびきり優しい表情。そばで見ているメリッサまで心があたたかくなるような、そんな兄妹の関係だ。


 演奏がはじまり、二人が踊り出す。メリッサも決してへたくそではなかったが、カイルに比べると所詮はつけ焼き刃だった。カイルは流れるようにステップを刻み、自然な流れでマーガレットをリードする。カイルに合わせているだけで、マーガレットまで先ほどより上手に踊れている。


 異国人の血を引いているという黒髪の二人の踊りは、物語から切り取ったような不思議さで見守るメリッサを魅了する。

 ピアノの演奏が終わると、メリッサとシモンズ夫人は自然に拍手を送っていた。それくらい二人の踊りは素敵だったのだ。


「少し疲れてしまったわ。……せっかくだからメリッサがお兄様と踊ったら?」


 マーガレットが部屋のすみにおかれていた椅子に座り、唐突にそんなことを言う。


「そうだな、人が踊るのを見ているのも勉強になるだろう」


 カイルがマーガレットの提案にのって、メリッサのほうへ一歩近づく。メリッサはびくっとなり、数歩下がって扉のそばまで逃げる。さっきなんとなく想像してしまったことが現実になるなんて思っていなかったのだ。カイルと目が合うと、ぼっと頬が熱くなる。心臓がばくばくと音を立てて、絶対に無理だと悲鳴をあげているようだ。


「おまえ、そんなあからさまに逃げるなよ」


「え、ええっ、無理、無理です。私、男性のパートしか踊れませんし、カイル様と踊るなんて恐れ多くてできないですし、今後の人生でダンスをする機会なんてありませんし、男装ですし、男性と手を繋ぐなんて恥ずかしくて無理! ……あ、そっ、そうだ! カイル様がいらっしゃるのなら仕事に戻りますね! あれもやりたいし、これもやりたいって感じなんですよね。それでは失礼いたします」


 ジリジリとあとずさりしながら、メリッサはカイルとは踊れない理由を並びたて、その場から逃げ出した。

 心臓の音がどくどくとうるさい。マーガレットに向けていたような笑みを、もしメリッサにも向けられたら、どうなるだろうか。そう考えるとメリッサの胸にある鱗水晶うろこすいしょうがずきずきと痛み出す。



(なにこれ、知らない。私、こんな痛みは知らない……)



 人魚として成人するということがどういうことなのか、あと少しでそれを知ってしまいそうだった。メリッサは鱗水晶が痛むのを動悸のせいにして、痛みの理由からもカイルの手からも逃げた。


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