第21話「会えなかった時間」






   21話「会えなかった時間」




 「英語勉強、すすめてるんだな。」

 「うん。やってるよ。……翻訳家になりたいし。」

 「………そうか。」



 斎との約束で決めた、将来の夢。

 けれど、それは今は絶対に叶えたい自分の夢に変わった。

 もちろん、彼との夢を実現させたいという気持ちいいも大きい。それに伴い、たくさんの小説を読んでいくうちに、翻訳家の仕事の魅力にとりつかれたのだ。

 英語を日本語に訳す時に、人によって表現の違いがあるので、作者は何を求めているのかを考えていく必要がある。

 難しい作業であるが、それがとても魅力的だと夕映は思ったのだ。


 最近よくやっているのは、洋書とその翻訳された本を買って、読み比べる事だ。洋書を読んで自分で訳してみて、その上でプロの翻訳家が訳したものを読む。

 

 自分が訳していたものと、ほとんど同じだと嬉しい。だが、違っていても「どうしてこう訳したのか。」「自分の方がいいのでは?」などと考えられるのだ。それが普通に小説を読んでいて味わえない楽しさだった。

 その話しを斎にすると面白そうに笑い「それは変わった楽しみ方だけど、やってみたいな。」と言ってくれた。



 「斎は、最近のおすすめの本はある?」

 「あぁ………最近は、なかなか本が読めてないんだ。」

 「そっか……部活忙しいの?」



 夕映が問いかけると、斎は少し寂しそうに苦笑した。静かに走る車内で、沈黙が続いた。それはほんの一瞬のはずなのに、夕映は彼の表情が気になり見つめ続けてしまった。



 「家の仕事がね。そろそろ勉強しなきゃいけないだろ。」

 「あぁ……そうだよね。九条のおうちだもんね。」

 「でも、おまえとの約束はどんな形であっても叶えるから。それだけは、絶対に。」

 


 先ほどまで寂しそうにしていた彼が、今度は真剣な瞳でこちらを見つめていた。

 そして、気づくとまた斎に頭を、撫でられていた。

 あぁ、この感覚はとても懐かしいな。と、はずかしながらも、夕映は思わず微笑んでしまう。



 「うん。………楽しみにしてるね。」



 彼に会えなくて寂しくなかったわけではない。見ているだけが辛いと思わないはずがない。

 けれど、その寂しさもこの幸せな短い時間で、忘れてしまうぐらいに夕映にとって嬉しい事だった。



 頑固で俺様で、真面目な彼ならば、絶対に約束を守ってくれる。


 そう信じられた。






 この事があったからだろうか。

 高校の3年間、斎と全く会えなくても、英語の勉強を頑張ることが出来たのだ。

 斎と会えなかったのには理由があった。

 夕映も斎もテニスを続けていた。けれど、試合会場では会うことが出来なかったのだ。

 それは斎が遠いところへ行ってしまったから。斎は高校から海外へ留学しに行ってしまったのだ。


 それを知ったのは、とあるパーティーでの事だった。斎の両親が、わざわざ夕映に話しをかけてくれてのだ。小学生の頃から仲良くしてくれてありがとう、そしてテニスの試合の帰りに話しをしてくれて、ありがとうと言ってくれたのだ。

 そのときに「斎は高校はアメリカに行っているんだ。また、帰ってきた仲良くてあげてくれないか。」と話したのだ。


 それを聞いたときは、しばらく彼と話すことも、試合会場でテニスをする姿を見る事も出来ないのだと悲しくなってしまい、そして動揺もした。

 けれど、少し時間が経つと、斎も頑張っているのだから自分も頑張らないとと思うようになったのだ。


 そのお陰で成績はトップをキープしていたし、英語力も格段に上がっており、英語での会話はもちろん、読書だって普通に出来るようになっていた。



 アルバイトではイベントでの外国人の通訳をしたり、英会話も習っていた。両親も「九条くんのお陰だな。」と、夕映の成長を嬉しそうに見守ってくれていた。



 そして、大学生になった夕映は、散々悩んだが留学するのを止めた。翻訳家は確かに英語も勉強しなければいけないけれど、日本語の表現力も必要になるのだ。それは日本で勉強していた方が身に付くと考えたのだ。





 そのため日本の有名大学に入学して、夕映は驚くことになる。

 夕映の大学に斎が居たのだ。

 てっきりアメリカの大学に入学すると思っていたので、大学の入学式の新入生代表の言葉で登壇する彼を見たときは、思わず声をあげそうになってしまった。




 学部は違うものの、斎の人気はすごかった。

九条家の跡取り息子というだけでも目立つのに、あのモデル並みの容姿だ。彼が行くところはいつも人だかりが出来ていた。

 けれど、それも少しの間の出来事だった。


 すぐに、斎は本性を出してしまい、言い寄ってくる女の子達には「うるさい。話す事なんてない。」と一喝したり、媚を売ってくる友人には、「おまえの家とは取引しない。」など、かなり強烈に対応したようで、あっという間に彼の周りは静かになった。


 その代わり、斎が信頼できると思った人だけが残ったようで、斎も穏やかに大学生生活を過ごしているようだった。




 そして、夕映と斎は今まで以上に急接近する事になる。

 


 「おまえもテニス部入るんだな。」

 「うん。一緒のチームになるのは初めてだね。」

 「あぁ……。よろしく。」

 「えぇ。こちらこそ。いろいろ教えてね………もちろん、優しくね。」

 「それはどうかな?」




 斎と夕映は、大学のテニス部に入ったのだ。全国でもトップクラスのテニス部で、レベルも高いため、斎が目的の遊び半分で入るような生徒はいなかった。

 

 そこで約3年ぶりの再会を果たしたのだった。


  お互いに少し照れくさくなりながらも、冗談を言い合い、そして握手を交わした。


 彼の手は以前、頭を撫でられた時よりも大きく、そしてゴツゴツと骨っぽい男の人の手になっており、夕映は思わずドキッとしてしまった。


 

 考えてみれば、彼とほとんど会う事はなく、合わせても10回も満たない関係だった。

 それなのに、夕映ととってはどんな友達よりも大切な人なのだから不思議だった。


 そんな斎と、毎日のように顔を会わせるのだ。そう思うと、これからの大学生活が楽しみだけれど、緊張してしまいそうだな、とも思った。


 何はともあれ、今まで話せなかった分、しっかり彼と話しをしよう。




 そう心に決めたのだった。





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