第12話「素直になれば」






   12話「素直になれば」






 心地がいい春の日差しが注ぎ込む、静かな平日の昼間。風もほとんどなく、暑すぎない気温。とても過ごしやすい昼下がりだ。

 そして、夕映にとっても穏やかに過ごしたい1日だったけれど、そうもいかなかった。

 ポンポンと規則正しい音が、大きな庭園に響いていたのは始めだけで、今はポンッという音が先程よりも重く激しく鳴っていた。



 「ッッ!!」

 「ふーっ……俺のポイントだな。」

 「ほんと、際どいところばっかり狙ってくるんだからっ!」


 

 夕映は、ハーッハーッと深く呼吸をしながらそう呟いた。斎が打ったボールは、夕映が立っている所の後方に落ちていた。



 「次のサーブ、打ってもいいか?」

 「……どーぞ!」



 ニヤニヤと笑う彼を、睨み付けるように見ながら、夕映はラケットを構えて、深く息を吐いて呼吸を整えた。


 斎の実家に来てから、神楽が準備してくれた懐かしいテニスウェアに着替えた後、広い庭の一角にあるテニスコートに来た。

 彼が小さい頃にテニスを始めた時に作ったというから驚きだ。その話を大学の時に聞き、「さすが九条財閥。」と、九条家の偉大さを目の当たりにしたのだ。


 大学のテニス部の練習では足りないと感じると、彼の家に来て2人で練習をしていた。

 その頃のように、まずはボールを打ち合い、肩慣らしをしていた。斎のテニスの腕前はプロ並みだ。練習では、夕映の打ちやすい所にボールを落としてくれるので、気持ちよく打ち返す事が出来るのだ。


 斎は優しいな。


 そんな風に思っていると、後で痛い思いをするのだ。特にテニスでは。



 「よしっ!俺の勝ちな。」

 「んーーー……悔しいぃ!」

 「大学の頃から勝ったことなかったんだから、当たり前だろ。」

 「そうなんだけど、斎もいまでは毎日テニスしてないでしょ?だから、いけると思ったのに………。」

 「ジムで少しやってるからな。週3ぐらいは。」

 「…………ずるい………。」



 大学の頃より確実に体力が落ちた夕映の体は悲鳴を上げており、夕映はテニスコートに座り込んでしまう。砂の感触が足に伝わり、少し痛かったけれど、それどころではなかった。荒い呼吸を繰り返し、なんとか体を起こしていた。



 彼の練習をし始めると、途中から彼は本気になってしまうのだ。そして、彼に1回でもいいから勝ちたいと思ってしまう夕映はそれにのり、練習試合をする。

 すると、彼の華麗なプレイに翻弄され、次々とポイントを決められてしまい、夕映はただボールを追うことに必死になってしまうのだ。

 それでも、当時は少しずつ点を入れられるようになってきた夕映は彼との試合が楽しかったのだけれど、今回はそうもいかずに惨敗だった。



 悔しさもあった。そして、息苦しく辛かった。


 けれど、夕映の大好きな彼のテニスプレイを間近で見れた事はとても嬉しくかったのだ。体はヘトヘトになっていたけれど、気持ちはとても満足していたのだ。その証拠に、口元は緩んでいる。



 「なに笑ってんだ?」

 「あ………ありがとう。」



 彼に腕を掴まれ、優しく体を支えられながら夕映は体を起こした。

 脚についた砂を払い、彼の方を向く。斎はほとんど呼吸を乱してはいない。日頃鍛えているのが本当だとわかる。



 「……久しぶりに斎とテニスが出来て楽しかったから。」

 「そうか。俺もだよ。」

 「本当に?私とテニスしても練習にならないでしょ?」

 「……おまえは上手いから練習にもなるし、俺は楽しいし……嬉しいよ。」



 汗をかいて肌に張り付いていた夕映の髪を、斎がすいてくれる。

 そのまま頬に触れてくる彼の指の感触を感じ、夕映はとっさに顔を背けた。汗をかいている自分の顔に触れられるのが、嫌だったのだ。


 それが彼を避けたように感じられてしまうだろうかと、咄嗟に思いすぐに彼の方を向き直した。



 「あっ………その、汗かいてるから………触られるの恥ずかしいかなぁーって。」

 


 彼の顔を見るのが恥ずかしくなり、視線をずらしたまま斎にそう伝える。

 彼が伸ばした手が、彼の元に戻っていく。その指先だけを夕映は見つめてしまう。



 「じゃあ、汗をかいてなければ、おまえに触れてもいいって事だよな?」

 「そ、それは………。」

 「今の言葉は、本心だろ?もう、素直になればいいのにな。」

 「………だって……。」

 「……何か理由があるのか?」

 「…………。」



 ここで彼に昔の事を聞いてしまえば、理由がわかるのだろう。

 けれど、彼の答えによっては、斎への気持ちも変わってしまいそうだった。

 それが怖くて仕方がなかった。

 1度の間違いなのだから、許してしまえば良いことなのかもしれない。けれど、それが出きるのだろうか。そんな風にも思ってしまう。


 彼の事を信じたい。

 けれど、答えが怖い。

 

 それが、戸惑いになっていた。




 だが、ずっと気持ちを黙っているわけにはいかない。

 そう思って、口を開いた時だった。

 


 テニスコートの脇に置いていた彼のバックから、スマホが鳴った。

 その音を耳にした瞬間、夕映は口を閉じてしまった。

 斎は電話など無視して話せ、という視線を向けてきたが、夕映は首を横に振った。



 「……大丈夫だから、電話に出て。」

 「……わかった。神楽に言ってシャワーを浴びてろ。帰りは送ってく。」


 

 彼の言葉に頷いて、夕映は斎のお屋敷の玄関へと向かった。


 彼が誰かと話している声を聞きながら、夕映は小さくため息を落としたのだった。



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