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「夢というより、僕たちが踊っていると、見えるんだ!」

「何かね、踊っているとね、顔とかね、景色が、砂に重なって見えるの!」

 カールは興味深げな表情で頷いている。岩盤の上で踊れば水を呼ぶことができて、おまけに草も生やすことができる、といった力を持っている子供たちであるのだから、何か見えてもおかしくはないだろう、と、ゴラン・ゴゾールは思った。

 そうやって、うだるような暑さの中を砂長竜の背に乗って進んでいく。歩くよりは快適であったし、砂鮫や潜り鰐の類に遭遇することもないのは非常に有り難かった。

 砂長竜はこのレシテ砂漠において最も強い生き物である。最初は恐ろしいと思っていたが、たった二日共に過ごすうちに、非常に理性的で感情豊かな生き物であることだ、と、ゴラン・ゴゾールは思った。双子やラモ翁によると、口から出す歯の音や、尾の動きで、その時の気持ちがわかるらしい。成程、言われてみれば、大きな潜り鰐を仕留めた時はキチキチという高い音を口から発していた。達成感だろうか。

 その時に見た潜り鰐は、細かくて滑らかな鱗に覆われた爬虫類であった。不思議な黄色い渦巻き模様が背に幾つも入っている。ゴラン・ゴゾールは、この皮を鞣して防具にすれば、なかなか目立って面白いのではないかと思った。尤も、ジョルマ・フォーツの王都で流行るかどうかと言われれば、微妙な所ではある。衣装の裾や襟に慎ましやかな金刺繍を入れるのが貴族の流行りで、生地に大振りの模様を施すのは大冒険だ。無骨な近衛騎士と言えど、ゴラン・ゴゾールも貴族の子。流行くらいは常に押さえていた。潜り鰐の皮は面白いが、お洒落には適していないことくらいはわかる。だが、何となく、金子を入れる袋にしたら景気が良くなりそうな気はした。潜り鰐の皮はそれくらいの小物に使うのがちょうどいいだろう。

 遠くに薄く、薄く見えていた燭台の谷の色が、どんどん濃くなっていく。ゴラン・ゴゾールは、変わりゆく空の色の下で、その影の色の変化を、何をするわけでもなく、ただぼんやりと見ていた。砂は紅に染まっていく。小さな山のように見える砂の丘、光の当たらない箇所は、既に黒々と影を湛えていて、まるで闇の精霊の住処のようだった。

 大いなる世界が造型した景色は変化に富み、殺風景な砂も、風の具合で様々な表情を見せてくれる。小さな生き物たちの足跡ひとつが、芸術だった。不毛で単調だと思っていた砂漠の世界は、全く飽きなかった。

 空に向かって伸びる燭台の谷の岩が、宵空を彩る残照を受けて砂の上に濃く影を落としているのが見えるようになったところで、二回目の野宿となった。

「正確には、私たちが砂漠に放り出されてから、三回目です」

 カールは言った。ということは、砂長竜に放り出されて目覚めるまでに、既に砂の上で一泊していたらしい。ゴラン・ゴゾールは何にも覚えていなかった。

「……おれは寝ていたのか」

「時々起きて、そのたびに水を欲しがっていらっしゃいましたよ、ゴランどの」

「覚えていないな……すまない」

 ゴラン・ゴゾールには、悪夢の記憶しかない。だが、気付かないうちに、ラモ翁やカールが水を飲ませてくれていたのだと思うと、何とかして報いなければという気持ちになった。

「ゴランどのは発熱していましたから、覚えていなくても仕方ありませんよ。それより、騎士というのは凄いですね、あれだけ怪我をしていても、あっという間に動けるようになるのだから」

 羨ましいです。カールが、ゴラン・ゴゾールの二の腕で盛り上がる筋肉を指でつんつんとつつきながら言った。

 食事前の運動に最適なのではないかということで、ふたりはラモ翁が常に携帯している客人用の天幕を自ら志願して設置していた。ジョルマ・フォーツの軍隊にゴラン・ゴゾールが配属されていた時、建てていた天幕は多角形で、中に部屋分けの為の梁と布仕切りを取り付けることが出来る、規模の大きいものだった。だが、現在建てている天幕は直方体の形状をしていて、ジョルマ・フォーツの軍の天幕よりもずっと小さい……建てるというよりも組み立てる、といった気軽なものだった。アルタン族、とりわけ砂漠を移動することが多い者の天幕は折り畳み式で、このように小さいのだ、と、ラモ翁は説明してくれた。

 ゴラン・ゴゾールは、天幕を支える丈夫な木の柱と梁を持ち上げている最中だ。筋肉量のある己が重たいものを持ち上げているその隙に、カールが金具を開いて梁と柱を固定してしまう、という算段であった。

「どれだけ鍛えたらこうなるのでしょう? 私も、可愛い子供を振り回して遊べるようになりたいです」

 ゴラン・ゴゾールの筋肉を一通り触って満足し、作業に戻った青年の手は、非常に器用だった。金具をさっと伸ばし、柱と梁をあっという間に垂直に固定してしまう。それを四回繰り返せば、四角い天幕の完成だ。ゴラン・ゴゾールは、天幕の隅から隅へ移動して作業を終わらせていくカールを眺めながら、父に呼び出された時のことを思い出していた。

「おれが訓練用の木の剣を持ったのは十歳の時だったな」

 ゴラン・ゴゾールがそう呟けば、カールは金具をしっかり固定しながら、目を丸くしてこちらを振り返るのだ。

「……じゃあ、もう、十年以上も鍛えているのですか?」

「その前から庭を兄と駆け回っていた」

 全ての関節を綺麗な箱の形になるように伸ばして骨組みを整え、梁の天井部分に掛けっぱなしの天幕の布を下ろして皺を伸ばしてやれば、作業は終わりである。ふたりは手や足についた砂をさっさと払って天幕の中に入り、ラモ翁が置いていってくれていた絨毯を敷いた。赤と黄色で星を思わせるとても細かい幾何学模様が織り込まれた見事な逸品だ。よくよく見てみれば、夜空に瞬いている明るい星が全て織り込まれている。それにすぐ気づいて、教えてくれたのはカールだ。

「この絨毯の模様、巧みですね。一年で一番昼が長い日の、真夜中の星空と合致します」

「……よくわかったな、カール」

「見覚えがあったものですから。赤と黄色は、彼らにとっての夏の色なのでしょうか?」

 この天幕の布は藍色と灰色が使われている。模様は少ない。ジョルマ・フォーツでは冬を想起させる色であるが、砂漠に冬などはあるのだろうか。星空の色かもしれない。或いは、事情があって、闇に紛れるための色なのかもしれない。

 天幕の合わせ目を開いて外に出れば、既に陽は沈み、天上では星が瞬いていた。ジョルマ・フォーツ王国は夏だ。絨毯に描かれている星が昇り初めているのが見えて、ゴラン・ゴゾールは彼らの織物に施されている模様が非常に正確であることに驚いた。カールは違うことの方に気を取られているようだったが。

「……しかし、私も、小さい頃からもっと鍛えておくべきでしたね」

「今からでも遅くはないと思うぞ。それに、あまり小さい頃から鍛えすぎると、背が伸びない」

「……そうなのですか? では、これでよかったのかもしれませんね。今なら、砂漠で走ればいいのかなあ……」

 ゴラン・ゴゾールは、それはただ疲れるだけだと言い掛けたが、やめた。

 向こうの方に三つの人影を見つけて、二人は歩いていく。満天の星空の下で、レミとルパが楽しそうに笑い合っていた。楽しそうな双子は、もう一つの天幕で影絵となって、少しぼやけた劇を展開している。幻想を生み出しているのは、パチパチと愉快そうな音を立てている焚き火だ。

「おお、上手く建てられたかね。さ、飯にしようかのう」

 炎の番をしているラモ翁が、食料が入っている箱の蓋を開け、ごそごそと音を立てながら何かを取り出した。大きな円形をしたその塊は、乳と小さな生物が醸し出す香りを放っている。鼻腔から食欲を刺激されたゴラン・ゴゾールは、己の胃が空腹で蠢くのを感じた。

「……チーズか」

「おお、食ったことがあるかのう? 羊のチーズじゃ」

「羊の?」

 今までに色々なチーズを食べてきたと自分で思っているゴラン・ゴゾールだが、実のところ、羊の乳から作られたチーズは、まだ食べたことがなかった。ジョルマ・フォーツは大陸の他の国と交易も行っていて、竜角羊以外の羊毛や毛織物だって輸入されているし、当然肉や乳もあったが、如何せん長旅を経て外つ国から入ってくるものであるから、商人の苦労のぶんだけ高価になるのだ。ゴゾール伯爵家に常駐で存在している羊に関するものは財産となる毛織物くらいで、チーズはお目にかかったことがない。だが、王家に仕える王子の替え玉であったらどうだろう?

「カール、食ったことはあるか?」

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