第7話「断捨離」

 電車に揺られている間に秋穂はほとんど空っぽの冷蔵庫を思い出していた。


(・・・何か作って食べようかな)


 秋穂は漠然とそう思った。

 何が作りたいとか何が食べたいと言う具体的な料理が浮かんだわけではなかった。


 でも、速人と別れて長い間食事を作っていなかった秋穂が、ぼんやりとでも「逃げ」ではない事をしようと思ったのは久し振りのことだ。


 秋穂はシャッターの下り始めた商店街でまだ営業しているお店に足を向け、とりあえず卵と鮭の切り身と野菜をいくつか、そしてサラダ用に数種類が入った小袋を購入する。


(調味料は・・・あったかな?)


 片手に袋を下げてそんな事を考えながら歩く。

 暗い中に見慣れた明るい場所が近づいて来て秋穂は少し迷った。体が自然と寄り道しようとしている。今手元にビールは無い、このままコンビニを過ぎれば今夜も飲まずに済むだろう。


 昨日はビールを飲まなかった。


(このままお酒を飲まない日を増やしていけたら・・・)


 そう思ってコンビニの前を通り過ぎようとして足が止まる。少し迷ったが結局入ることにした。


(一品増やすだけ、唐揚げを買ったら帰る)


 レジに向かって真っ直ぐ進む・・・はずが、足が途中で棚の間へ曲がってしまった。チョコ系のお菓子とふわふわのパンを手に取る。そして、ビールに手が伸びる。


(1缶ならいいよね・・・)


 それってアル中みたいな考え方じゃないの? と冷静な秋穂が耳打ちする。


(家に帰ってからなら足りないといって買いに出たりしないから、大丈夫)


 自分に決意表明して手に取る。


 レジに向かうとあの青年が笑顔で待っていた。


 また何か話しかけられたらどうしようか・・・と迷うが、客の少ない時間帯で店員が立っているレジはひとつだけ。あの年下先輩はいないかと目を走らせて確認する。きっと彼女はこの青年に気があるに違いない、無かったとしても万が一を考えて行動しなくてはと秋穂は思う。


(今、妙な三角関係とかやってられない)


 恋愛なんて今は考えられないし近づきたくはなかった。

 商品をレジに置きスマホを取り出す。


「ビール・・・どうしましょうか、一緒にしてもかまいませんか?」

「あっ、はい。一緒にお願いします」


 この青年とどれくらいの頻度で出くわしていたのかふと気にかかる。秋穂はつい数日前に彼を認識したのだが、彼にとってはこの間のように気安く声をかけるほど見慣れたお客さんなのだろう。


「確か・・・昨日もいましたよ・・・ね?」


 青年が嬉しそうに笑う。


「あ、嬉しいな覚えててくれてました?」

「昨日の今日なので・・・」


 と言って変な返しだと自分で思う。

 毎日足を運んでいるコンビニだ。連日で勤務している日はこれまでもあったかもしれない、今更な返答が少し気まずかった。


「週5で入ってるんですよ。今お金貯めてるんです」


 爽やかな笑顔で青年の目がきらきらしている。


(うわぁ・・・眩しいな・・・)


 秋穂もこんな目をしていた頃があったはずだが、いったいいつの事だろう。


「お金を貯めては旅する生活です」

「・・・旅が趣味なんですか?」


 踏み込むなと冷静な秋穂が声を上げる。


「旅は好きなんですけど、それより撮る方が好きなんです」

「とる?」


 ピンときていない秋穂に、青年がカメラを片手に撮る仕草をしてみせる。


「あぁ、写真」

「お金を貯めて撮影旅行して、お金を貯めて個展して。お金貯まりません」


 そう言って青年が苦笑いする。それでも楽しそうだった。


「頑張って下さい」


 会計を済ませ無難な言葉を返して袋を手に取る。


 好きな事をしている人はきらきらしている。好きな人がいる人もきらきらしている。秋穂は今自分がどう見られているかと考えた。


 暗い夜道を顔色も悪く冴えない顔で俯いて歩く三十路の女。


(うわぁ・・・関わりたく・・・ないよね)


 そう思って顔を上げる。せめて前を向いて歩こう。

 数メートル先から遠くへと目線を移すと緩い坂の途中にある街灯が目に入った。大きなクマを拾った場所。


 クマと出会ったあの時より足が軽く感じる。


 春の緩んだ水をかくように坂を上る。今まで深海のように暗く見えていた住宅街が不思議に明るく見え、星の数も増えたように思えた。


 階段を上りドアを開け電気を点ける。クマがベッドに寄りかかりこちらを向いて座っていた。クマに労いの声をかけ冷蔵庫を開ける。


「あっ・・・唐揚げ」


 要冷蔵の商品を取り出そうとして気付いた。ビールを買っておきながら唐揚げを買っていない。結局のところ唐揚げはビールを買う口実でしかなかった事が突きつけられて悔しい。


「あぁぁ・・・もう! 何してんの私」


 自分に腹が立つ。

 腹が立ったついでに鮭を焼く。明日の朝、焼き魚を食べようかと思って買ったはずの鮭を食べる。


「ご飯が無いじゃない」


 ご飯を炊いておかなかった自分に突っ込み、パックで売られているご飯を買わなかった自分にダメ出しをする。しょうがなくビールを飲みながら鮭をほおばった。


 サラダをむしゃむしゃ食べてビールを飲んで鮭をつつく。秋穂はくすっと笑った。

 これはこれで人間らしいと思う。ビールとつまみだけよりずっといい。朝はふわふわのパンと目玉焼き、濃い珈琲を飲むのも良いと思い確認する。スティックのインスタント珈琲は大丈夫だが瓶に入っている方は固まっていた。


(明日買いに行こう。他にも必要なものチェックしなくちゃな)


 何を着ていこうかと何気なくタンスの中の服を確認すると、いくつか服を見ていて微かに違和感を感じた。今朝、口紅を見て感じた違和感に似ている。


 目に付く服の色が強く感じ花の柄がどれも大きめなのが不思議に思う。


「速人とつきあい始めてから買った服だ・・・」


 花柄の服を選ぶなら小花を散らした柄が好きだったはず。何故、この服を選んだのかといぶかしむ。


 速人は買い物にもよく付き合ってくれて洋服選びも面倒がらず秋穂と一緒に選んでいた。そして、彼はよく反応してくれた。


 その服似合ってるよ。

 こっちの服の方が君を引き立ててると思うな。

 僕はこっちの服を着てる君が好きだな。


 速人の笑顔が嬉しくて彼の言葉がうきうきさせてくれて、彼の薦める服を買っていたし買ってもらっていた。アクセサリーも鞄も速人の顔色を伺っていたような気がする・・・。


 気に入って買ったと思っていた服が急に色あせて見えた。


「このままじゃ駄目だと思うんだ」


 不意に速人の言葉が蘇った。


「何がこのままじゃ駄目よ!」


 腹立ちが急に沸騰して、荒っぽくハンガーから服を取り捨てるように足下へ投げる。一枚に当たると次から次へと服をタンスから引き出していった。

 自分の好みに合わない服がどんどん畳の上にぶちまけられてタンスの中がほぼ空っぽの状態になった。


 引き出しから以前よく着ていた服を取り出してハンガーを通してかける。


 大きなビニール袋に散らかした服を全部突っ込んで振り返ると3つの袋が部屋に転がっていた。その勢いでアクセサリーや鞄も自分の好みではないと感じた物を捨てる。

 物に当たることはよくないし物に罪があるわけでもないと分かっているけれど、今はすっきりしたい気持ちの方が強かった。


 朝、違和感を感じた口紅も捨てようと手に取って鏡に映る自分に気付く。


 髪型・・・。少し明るい色でふわふわとカールした髪。嫌いではなかったが特に好きな髪型でもない。これも速人の何気ない言葉に合わせて変えていった結果だと思い当たる。


 自分の好きな色の口紅を買おう、自分の好きな髪型にしよう。


 ルームウェアに着替え髪を束ねて化粧を落とす。着ているルームウェアも多少気になったが、これも買い換えようと思ってベッドに横になる。クマをベッドへ引き上げて抱きしめた。


「クマ君、今日は色々あったよ。 ーーー色々気づけたって言った方がいいのかなぁ・・・」


 仕事のミスが無く同僚といい感じに会話が出来たこと。

 そっと励ましてくれた胡桃。

 気にかけてくれる香坂。


 一日を思い返してクマに話して聞かせる。


 香坂が、なんだか戦友のように思えた。


「クマ君知ってる? よぉーんなぁ、よぉーんなぁだよ」


 クマを抱きしめる体が少し重く感じる。もう夜も遅い、体は眠たいに違いない。


「ゆっくり、ゆっくり・・・」


 焦らず急がず頑張りすぎず、しっかり自分の足で立とう。周りに目を向ける心の余裕を持っていたい。そんな事を考えながら秋穂は眠りについた。





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