先生は女性的な男

 生徒の数が増えて、校舎の増築があちこちで行われている小学校。夏休みも過ぎ、さわやかな秋風が生徒たちの髪を優しく揺らす。


 クラスは十クラスとなり、その名前を決める会。明引呼あきひこ貴増参たかふみはパパ友らしく肩を並べて、教室の後ろから眺めていた。


 黒板には白のチョークで、候補がいくつか書かれている。今まさに、子供たちからの採決は終わり、女性の教師が教卓に両手をついて優しく微笑んだ。


「それでは、このクラスの新しい名前が決まりました」


 子供たちの小さな手から、拍手の音が教室中に響く。


「わー!」

「やったー!」


 投票数の多いかった項目に、先生は赤のチョークで花丸を描いた。


「お花畑でランララ〜ン組です!」


 晴れ渡る青空の下。蝶々が軽やかに飛び、雲雀ひばりのさえずりがクルクルとまわり遊ぶ。春の柔らかな風と同じような、淡い色の花が咲き乱れる原っぱを、子供たちが手に手をつなぎ、スキップをして楽しそうに歌いながら、どこまでも平和に続いてゆくメルヘン世界――


 明引呼は鼻でふっと笑い、しゃがれた声で一年生の教室全体にツッコミを入れた。


「ふざけた名前つけやがって。普通、一組とか二組だろ」

「僕はこういうのは好きです」


 頭の中がお花畑みたいな貴増参のブレザーを、明引呼のシルバーの太いリングをつけた手の甲がトントンと叩いた。


じゃなくて、だろ」

「他と差別をつけるだけならば、順序は必要ありません。ちなみに、隣のクラス名は、『宇宙の平和を守ろうぜ』と『隊長! 報告します』だそうです」


 邪神界があっただけあり、戦隊モノみたいなクラス名。お笑い番組の探検隊の話を子供が見て、つけてしまったみたいなクラス名。


 明引呼が校庭に目を向けると、俊足しゅんそくでチーターの子供が体育の授業でぶっちぎりの一位を取っていた。


「どうなってやがんだ? この世界の学校はよ」


 自分が二千年もの間見ているだけだった人間界とは違って――いやまったく別世界の秋空はどこにも太陽がないのに、日差しがさす不思議な造りだった。


「それでは、次は新しくこのクラスの担任として加わった先生のご挨拶です」


 女性教師が横へよけると、さっきから近くの椅子に座っていた別の教師が立ち上がった。その髪はマゼンダ色で腰までの長さがあり、水色のリボンをピンと横に伸ばして後ろでひとつに縛っていた。


 どこかの貴族が乗馬でもたしなむのかと思うようないで立ちで、茶色のロングブーツはエレガントに教卓に近づいた。


 白いフリフリのブラウスが上品らしさを添える。凛とした澄んだはかなく丸みのある女性的でありながら男性の声が響いた。


「初めまして。今日から、社会の仕組みなどを、こちらのクラスで教えることになりました」


 ニコニコと微笑み、瞳の色は見えなかった。先生は振り返って、白いチョークで自分の名前を書いて、再び生徒たちに向き直った。


 唇はルージュでも塗っているように血色がよく艶があるベビーピンク。綺麗な花が風に揺れるようにそれが動く。


白鳥すわん 月主命るなすのみことです」


 クラス中から子供たちの大爆笑が上がった。


「あははははっ!」


 椅子から笑い転げそうな子供たちを視界の端に映して、鋭いアッシュグレーの眼光で月主命を刺すように見つめた。


「ふざけた苗字つけやがって、あのティーチャーさんはよ」

「僕もやはりあの路線がよかったでしょうか?」


 隣を見ると、貴増参が手をあごに当てて、真面目に検討している顔が見て取れた。突っ込みどころ満載な世界になったもんだと、明引呼は思う。


「てめぇもふざけてんだろ。役職名の不動を苗字にしやがって」

「明引呼はどんなのをつけちゃったんでしょう?」

空美そらみだ。カミさんがそれがいいってよ」

「奥さんの意見を尊重する。なかなかの愛妻家です」


 居心地がよくなくなって、明引呼は貴増参に言い返そうとした。


「ごちゃごちゃ言って――」


 パパふたりのおしゃべりに、学校のチャイムが終了を告げた。


「それでは、本日はここまでとします」


 子供だけでなく、大人同士の出会いを膨らませながら、神世は発展していた。


    *


 大通りを間に挟んで向こう側にある建物は、マンションではなくオフィスビス。新しく引っ越した部屋で、自室を持った奇跡来きるくは、ポンと買ったパソコンを前に文字を打ち込んでいた。


 ウォーキングマシーンに座っているコウは、今日も新しい出来事を、大人の神様が見えるようになるまで付き合う人間の女に話していた。


「月主命は小学校の社会の先生になったぞ」


 余計な言葉が入っていると思い、パソコンのキーボードを打つパチパチという音が消えた。


「はぁ? 社会の先生? 普通、小学校って、担任の先生が全部の教科教えるよね?」

「神様が人間と同じなわけがないだろう。いいか?」

「うん」


 コウにさとされ、回転椅子をパソコンの真正面からはずし、夕闇に光を強く放ってゆく、オフィスの明かりを見つめるようになった。


「物事を忘れたり、理解ができないのは、肉体の不具合からくる。だから、神様の子供は、授業を全て一回で覚える」

「すごいね! さすが未来の神様」

「だから、テストもない。人の勉強よりもはるかに難易度の高いことをする。半年もしないうちに、地上の全ての言語は小学校一年生でも読み書きできて、話もできる。だから、教科ごとに専門の先生がいるんだ」

「さすが人間の守護をするだけあるね」


 奇跡来は大いに納得した。言語が理解できなかったら、神様は人間には平等ではないと。


 しかし、コウは世界の常識をひっくり返すようなことを語り出した。


「人間を守護をする神様はほんの一握りだ。メインの世界は霊界や神界なんだからな」


 奇跡来は今までの話を思い出す。世界は広くて、次々に新しい世界が出てきて、地球なんて場所を知らない神様たちも大勢いる。それどころか、悪というものを知らない神様もいるくらいだ。


 コウがはっきりと告げた。


「お前が暮らしてる世界はサブだ。サブ! 大袈裟に言えば、なくなってもいいんだ」

「そうだね。魂だけで存在してるのが普通なんだから。希少価値という意味で言えば、幽霊は人間のほうかもね」


 よくそばに遊びにくる子供たちが、アニメに出てくるお化けを見て、存在を知らず大爆笑していたのを、奇跡来は思い出した。スピリチュアルな哲学。


 色ペンの芯を出すボタンをカチカチと落ち着きなく何度も押す。


「担任の先生は別にいるの?」

「そうだ。ホームルームや学校の行事は、担任の先生が担当だ」

「ということは、担任プラス教科の数が、一クラスの受け持ちの先生ってことか」


 奇跡来はメモ用紙に『神』と書いて、くるくると何度も丸で囲んだ。


「しかも、先生は一クラスしか受け持たない。人間みたいに数が少ないわけじゃないからな。人はたくさんいる。だから、いくつもクラスは受け持たない。先生をやりたいやつがみんなやれるようになってる」

「ふ〜ん。授業風景とか見てみたいなぁ〜」


 向かいのオフィスで、残業をしているサラリーマンを窓越に眺める。この世界とは違って、ブラックはどこにもなくなり、緩やかな時の中で神様たちは生きているのだ。

 

「親バカが神様には多くてな。学校に子供の様子を毎日見に来るやつもいるらしい」

「仲いいね。人間と違って、神様は……」


 奇跡来はどこかぼんやり返事をした。コウの姿は別れの挨拶もなく、急に消え去った――この世のことに彼女の心は囚われた。


 自分は時々おかしいと思う。冷たい雨が降るベランダに裸足で、傘もささず出たくなり、窓を開けてずぶ濡れて立っている。


 もう夜中だというのに、急に外出したくなって、出ていこうとしたのを、配偶者に止められた。


 癇癪かんしゃくみたいなひどい怒りに囚われ、配偶者に食器を投げつけ、包丁で刺殺しそうになり、四本の腕が力の競り合いを起こして、プルプルと震えているのを一度見たことがある。人を殺そうとしている自分が、自分の中にいる。


 配偶者はこう言う。親との確執がきちんと解消されていないから、心が歪み、フラストレーションを爆発させるのだと。


 結婚という大地に綺麗に咲いているような花の根っこは、ひとつがボロボロと崩れると、連鎖して他の根も崩れ、いつか花も枯れるだろう。


 奇跡来の日常は、コウが持ってくる話とはまったく違っていて、重苦しく危険なものだった。


    *


 マゼンダ色の長い髪が水色のリボンに綺麗に結ばれ、秋風が入り込む長い廊下を、茶色のロングブーツのかかとを鳴らしながら歩いてゆく。


 遠くから見ると、女性のような線を描く人の後ろに、ガタイのいい男が瞬間移動ですうっと現れた。


「おう、先生?」


 小学生たちが騒ぎながら、明引呼の背後にある廊下を横切ってゆく。水色をした細身のパンツは歩くのを止めず、遠ざかってゆく。明引呼はもう一度呼んだ。


「月主命先生?」

「はい?」


 凛として澄んだ女性的な声が響き、マゼンダの長い髪を揺らして、教師は振り返った。ジーパンの長い足がウェスタンブーツに連れられ近づいて、藤色の長めの短髪は礼儀正しく頭を下げた。


はくこうの父親の、明引呼って言います。初めまして」

「初めまして、よろしくお願いいたします」


 月のように透き通った白い滑らかな肌。ニコニコのまぶたに隠れていて、月主命の瞳を見ることはできなかった。


 人当たりのいい感じで佇んではいるが、明引呼は鋭く言葉のパンチを放つ。


「先生はお笑い好きですか?」

「いいえ、私が生きてきた時代は、あちらが普通です」


 にっこり微笑んだまま、月主命は首を横に揺らすと、水色のリボンも動いた。慣れない敬語を使って、明引呼のしゃがれた声が廊下に響いた。


「失礼ですが、おいくつですか?」


 月主命は小首を傾げ、人差し指をこめかに当て考える仕草をした。


「そうですね〜? ざっと三百と言ったところでしょうか〜?」


 明引呼は口の端でふっと笑い、思わずタメ口を解禁する。


なげぇな。社会じゃなくてよ、歴史の先生のほうがいいんじゃねぇのか?」

「なぜですか?」


 白いフリフリのシャツが木漏れ日に乱反射した。自分と背丈は変わらないのに、まるで雰囲気の違う新任教師に、明引呼ははっきりと意見してやった。


「そうそういねぇぜ。三百年じゃなくて、三百億年も生きてるやつはよ。先生自体が歴史だろ」


 初めて姿を現したヴァイオレットの瞳は、冷静で落ち着いているが、感情という温かみのあるものはどこにもなかった。


「ご指摘ありがとうございます」


 凛としてはかない女性的な声なのに、男の低い響きを残して、月主命はきびすを返し、廊下を歩いて行ってしまった。


 マゼンダの長い髪が揺れるさまを、明引呼は眺める。


「気にさわったってか?」


 カツンカツンと茶色のロングブーツは音を立てながら、すれ違う生徒に頭を下げてゆく。


「にしてもよ、女みてぇな男だな」


 よく見れば男性の線なのに、ぱっと見は女に見える先生は、ニコニコの笑みのまま、子供たちに上品に手を振る。鋭いアッシュグレーの瞳には、そんな男の姿が映っていた。


「あれが、昔は男らしかったってか?」


 再び歩き出した、マゼンダ色の腰までの長い髪が揺れるのをじっと見つめていたが、


「けどよ、面白おもしれぇ野郎だな」


 渋く微笑んで、明引呼は瞬間移動で消え去った。


 それを待っていたかのように、茶色のロングブーツは廊下の真ん中で立ち止まり、振り返った。滅多に姿を現さないヴァイオレットの瞳が、何の感情もなく、ガタイのいい男が立っていただろう場所を見つめる。


「僕とは違って、兄上のような男らしい人……」


 風になびいた髪を手で押さえて、凛とした澄んだ声は地をはうように低く囁かれた。


「歴史……。変えてもいいかもしれない」


 再び廊下を歩き出し、乾いた空気にかかとの音がゆっくりと響いていた。


    *


 どこかずれているクルミ色の瞳は、パソコンの画面を凝視していた。パチパチとキーボードを打ちながら、奇跡来はコウに言われた作業をしている。


「ん〜〜? 月主命さんの職業は、小学校の歴史の先生。っと。孔雀大明王さんは、魂の研究所の副所長。研究者肌だった? 何となくイメージが違うなぁ〜」


 外国産の甘いチョコレートを頬張る。


「火炎不動明王さんは……聖輝隊せいきたい。国家の治安維持部隊だったよね? 人間界でいえば、国家公務員ってところかな?」


 ガラスのカップに入ったハーブティーの香りに癒され、続きを打ち込んでゆく。


「夕霧命さんは……躾隊しつけたい。国家の環境維持部隊。光命さんは恩富隊おんぷたい。その中でも曲を作るんだ。楽器は何を使うんだろう?」


 ふと手を止めて、会ったこともない神のことを思案する。向かいのオフィスフロアの電気はもうすでに消灯していた。カーテンを閉めることもないガラス窓に映った自分をしばらく瞳に映していたが、答えは出てこなかった。


「先生たちの組織名は教江隊おしえたい。神様の世界って、ダジャレ好きだな」


 奇跡来は珍しく微笑んで、データをセーブした。

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