永遠は真実の愛

 パソコンの中にある音楽再生メディアは、すでに今の曲を二千回以上もプレイしていた。イヤフォンで現実をシャットアウト。視界はパソコン画面に釘づけで、キーボードを激しくパチパチと打っている。


 その女の目には文字が次々と映り込んでゆく。


 ――小さい頃から、見えも聞こえもしないけど、墓地へ行くと、視線を感じることがよくあった。振り向いても、そこには誰もいなくて。でも、見られている感覚はよくあって。


 いわゆる霊感ってやつだろう。しかし、何とも中途半端なもので、占い師になれるわけでもなく、私は二十代の頃はシンガーソングライターを目指していた。


 あちこちの事務所から声をかけていただいたが、若さゆえに怖くなって、全てを断ってしまった。


 二十代前半に運命の出会いをした人と、二十六で結婚。


 二十九歳の時だ。変な宗教団体のお祈りの仕方なんてものを試してから、見えないものが見えるようになった。いわゆる、開眼した。完全に霊媒体質だ。宗教団体には入らなかったが。


 しかも、都合よく、神様しか見えないという霊感で、霊体験の怖い思いもせず、スピリチュアルな世界へと入ってしまった。


 他の人とは価値観がズレてゆくばかり。信じない人は信じない。それどことろか、否定されることもある。


 それでも、神様と話すのは楽しかった。ただ困ったことがあって、神様の子供だけで、大人は見えない。だから、頼み事や願いを叶えてもらうことはできなかった。


 どうも、霊感もチャンネルというものがあって、その照準が神様の子供に合っていたらしい。だから、彼らに友達の話や学校のことを聞かせてもらっていた。


 それでも、とても心の澄んだ話で、綺麗な世界をずいぶんと夢見た。神様が住んでいるところは、とても素敵で、いい人ばかりなのだろうと思った。


 しかし現実は厳しく、性格の不一致というありきたりな理由で、三十四で離婚。


 家族とはもともと仲がよくなくて、しかも出戻りだからこそ、風当たりは強く、一年で失踪した。知り合いもいない都会で一人暮らし。


 それでも、再婚し、霊感を使う仕事にもついたが、少しずつ体調を崩していき、最後は相手が浮気という形で、また離婚をした。


 現実の忙しさに翻弄ほんろうされ、霊感はなくなっていき、精神的なバランスをかいて、現代医学では治せないやまいを抱え、結局実家へ戻ってくるしかなかった。


 絶望のふちで、生きていく気力もなく、あの綺麗だった神様の世界はどこにもなかった。


 そうして、気がつけば、四十三歳になっていた。好き好んで、病気持ちのアラフォー平凡女と結婚する男などいないだろう。子供はいなかったが。


 しかし、ある日転機がやって来たのだ――


 パソコンのキーボードを打っていた手をふと止め、イヤフォンをしているはずなのに、音量は目一杯なのに、春風のような穏やかな男の声が親しげに響いた。


りょうちゃん!」


 いきなりのバックハグ。薄手の白い布地が胸に強く巻きついた。


「どうして、抱きついてるんですか?」


 漆黒の長い髪を揺らして、聡明な瑠璃紺色の瞳が悪戯っぽくのぞき込んだ。


「ぎゅーってしたいから」


 その反対側から、地をはうような低さなのに、凛とした澄んだ女性的でありながら男性の声が呪い殺すように対抗してきた。


「なぜ、君だけがするんですか〜? 僕もしたいんです〜」


 ピンクでフリフリの腕が二本巻きついてきて、妻はパソコンの前で、回転椅子の上で夫ふたりに拘束をかけられた。


「いやいや! ふたりで抱きついてきて、どういうことで――」


 背後のかなり上のほうから、高い声をわざと低くしたような、ありとあらゆる矛盾を含んだマダラ模様の声が、神様使用の物言いをする。


「何、それ? 後ろからバッと飛びついていいの?」


 妻の脳裏にパパッと電光石火の如く映像が浮かんだ。それは、跳び箱をするように遠くから勢いよく走ってきて、両足で床を強く蹴って、妻の背中に突進してくる夫の姿だった。


 本作のな主人公――明智 颯茄りょうかは慌てて止める。


「いやいや! やめてください! みんなの体重が十五分の一だからって、衝撃はきます!」


 時々口走る、神様を見ることができるようになってしまった、颯茄からの神ルール、その一。


 ――重力は地球の十五分の一。

 摩擦も何もかもが十五分の一。それが常識の神世。


 さっきまで気配がなかったのに、妻の背後にまた一人現れる。


 神様ルール、その二。

 ――大人は瞬間移動ができる。

 幽霊みたいに突然背後に現れるなど日常茶飯事。

 出た〜! まさしく、それである。神様だけど……。


 羽のような柔らかで少し低めの夫の声が、あまり残念でもなさそうに、


「今日も僕は先を越されてしまったみたいです。残念無念」

「そういうわりには、お前、颯茄のそばに行かないよな?」


 はつらつとしているが鼻声の、男にしては少し高めの響きが別の夫にツッコミを入れた。


「譲り合いの精神です。僕は彼女と他の方の時間を大切にしていますからね」


 妻が少しだけ振り返ると、部屋のドアの前にいきなり男が立った。


「颯茄さん、素敵っす!」


 やけに調子だけよく、やんややんや言うだけで、さわやか好青年の笑みを見せるばかり。妻は夫にペナルティを課す。


「いやいや! 褒めてないで、助けてくださいよ!」


 そうこうしているうちに、部屋の窓際に、両腕を組んですらっとした夫がふと立った。完璧と言わんばかりのファッションセンスで、足元はゴスパンクのロングブーツ。土足――。


 神様ルール、その三。

 ――神様の世界は汚れというものは存在しない。つまり、床に土埃はつかない。さらに素晴らしいことで、洗濯機がいらない。洗濯という家事は存在しない。


 モデルばりに足をクロスさせている、その夫はバカにしたように鼻でふっと笑い、


「毎日毎日、同じ罠にはまるとはな。所詮人間のお前の頭はガラクタだな。ふんっ! 神に触れられているだけ、光栄だと思え」

「カチンと来るな!」


 何事でも極めれば、得るものはあるわけで、現実に具現化する神々――。つまりは彼らに触れるわけだ。これは、霊感持ちの颯茄だけのルール。


 しかも、これも特別ルール。

 ――彼らと颯茄は結婚している。いや、結婚されていたが正しい。


 地上と違って、ただの紙切れの結婚ではない。魂――心を交換するという儀式を行なっている。この世界で言えば、血や遺伝子がつながっているのと同じ。れっきとした家族である。

 

 というわけで、神であろうと、人間であろうと立場は対等だ。ひねくれ言葉を浴びせた夫を、妻はきっとにらみ返してやった。


 すると、その男が立っている脇の窓ガラスに、がたいのいい男が映り込み、しゃがれた喧嘩っ早そうな声が、別の夫に話しかけた。


「おう。てめぇ触ってねぇじゃねぇかよ。いいのかよ? いっつも暇さえありゃ、胸とか触ってんだろ?」


 ウェッスタンブーツで現れて、また土足だ。どうなっていやがる? 神様である夫どもよ――! ちょっと待った。今の話は聞き捨てならない。


 夫婦でする会話は夜色になりかけて、未だに抱きつかれている妻は、急に慌て出した。


「あ、あれ? なんでそっちに話が飛んでしまって……」


 すると、すぐ近くから地鳴りのような低い声が、真面目に回答する。


「さっき触っているのを見た」


 ――神様ルール。いや、我が家のルール。

 夫婦間での隠し事はしない。


「いやいや! 何を勝手に答えてるんですか!」


 妻は動けないなりに、今は健全なシーンだけにしてほしいと願った。夫婦にはいろいろ秘密はあるもので、他人には聞かせられな――


「また、してたんでしょ? 夕飯前に帰ってきたみたいだから。もう二時間近くになる。少なくとも一回は終わってるよね?」


 白い着物――いやモード系ファッションで妻に抱きついている夫が、月明かりが入り込む窓辺にいつの間にか立っていた、逆三角形のシルエットを見せる男に聞いた。


「えぇ。リビングに入ってすぐに、瞬間移動でこちらの部屋へ来ましたからね」

「キミにしては珍しいね。簡単に答えてくるなんて」


 うちに秘める激情を、クールな頭脳で抑えているみたいな、夫二人の修羅場のような緊迫した会話が飛んだ。


 殺人事件の犯人探しをする場面で、主人公の探偵が二人誤って出てきてしまったように推理が繰り広げられてゆく。


「帰ってきたという言葉から、子供たちに聞いてきたという可能性が高い。大人ならば、きちんと時刻が言える可能性が高いですからね。そうして、終わった頃を見計らって、あなたはこちらへ来た。何か用があるのではありませんか?」

「そう。でも、それはボクだけじゃない。そうだよね?」


 聡明な瑠璃紺色の瞳は実はさっき、廊下の窓ガラスを鏡のようにして、女性的な夫をしっかりターゲッティングしていた。


「うふふふっ。バレてしまいましたか〜。僕も話に参加したかったんです」


 身の毛もよだつような含み笑いなのに、語尾がゆるゆると伸びていた。ガタイのいい夫が疑いの眼差しを、逆三角形のシルエットを作る夫に投げかける。


「二時間で一回きりってか? 今日は少なくねぇな」

「いいえ、三回です」


 王子のように気品高い声なのにしれっと否定し、正確な数字を告げた。鼻にかかった声を持つ夫はゲンナリした顔をする。


「日に何回する気なんだ?」

「よいではありませんか。彼女は私の妻なのですから」


 教会へ昼間行っていた夫が、優雅な惑わせ感のある声で綺麗にしめくくる、神と人の性生活を。


 というか、古い密教か何かの、打楽器が激しく鳴る焚き火の前で、トランス状態になるまで踊り続け、行われる神に捧げる性的な儀式みたいな言い方をした。


 と言えば聞こえはいいが、夫婦の営みは営みであり、神様でも行為は変わらないのだ。妻は動けないまま、盛大にため息をつき、心の中で――もう一度、心の中で――リピート、心の中で叫ぶ。つまりは心の声。


(あぁ〜、結局、十八禁に話がいってしまった〜。このエロ夫ども! 妻の美しき霊感歴史を語っていたのに……)


 バックハグの拘束は取れ、振り返ると、六畳の狭い部屋に、夫たち十人が横並びしていた。もちろん全員土足。


 山吹色のボブ髪をかき上げながら、妻を跳び箱にしようとした夫が、軽い説教をする。


「お前、そろそろ覚えなって」

「え……?」


 間抜けな顔をした妻の前で、


「俺たち神様」

「はい、言葉は砕けてますけど、映画のタイトルみたいですけど、神様です」


 ジョークと言われても仕方がないが、ここはしっかり現実だ。なぜか物質界に具現化した神。しかも全員男。そうして、イケメン。


 どうしてイケメンかって? 肉体のない世界では、心がそのまま見た目になるから、神様は地上の誰よりも綺麗だ。まさに神がかりなイケメン。しかも、全員二メーター前後も背丈がある。スタイルもバッチリ。


 よだれが出るくらい素晴らしい眺めだ。妻はにやけそうになるのを必死で抑えて、神からの説教の続きを聞く。


「お前、人間」

「はい、重々承知しております」


 そうして、唯一平等でないことが、再告知された。


「人間の心の声、神の俺たちに筒抜け――なの」


 神様ルール、その四。

 ――人間の思っていることは、神様には全て聞こえている。


 不平等極まりなかった。しかし、妻は負けていなかった。


「筒抜けだろうが、エロ夫はエロ夫だっ! 神に誓って、嘘は言っていない!」


 六畳一間で、妻はわめき散らした。神である旦那たちにもいる神様たちに、是非とも妻の叫びを聞いていただきたい。審判を下していただきたい。


 しかし、夫たちも負けていなかった。全員が声をそろえて、


「エロい夫が好きなんだろ!」

「むふふふ……」


 妻から今までの勇ましさは消え去って、思わずにやけてしまった。人間のモノとなると、長いとか太いとかそんな違いぐらいだ。


 神は全然違う。大人のおもちゃも顔負けな作りである。しかも、永遠にイクという。それを知ってしまうと、人間の男に興味などなくなる。


 あんな肉体の欲望に駆られた性衝動など美しくない。全然イケていない。やはり心から求める愛は神聖で絶美だ。神によこしまな気持ちなどない。そこには真実の愛ゆえに求める、しかない。


 病気持ちのアラフォー女のまわりに、十人の男性神が取り囲む、夕食後の会。


 これが私が人生で最後にした結婚だ――。現実に具現化した神様十人が旦那さんの、私の結婚生活。


 守護霊ならぬ、守護神。さすがに、旦那さんたちの言ったことは、現実となる。まさしく、神様の言う通り。ちょっと意味が違うけど……。


 しかも、神様の特権。年齢が自分の好きなところで止められる。と言うことで、全員二十代。いつまでも若々しくイケメン。


 性格よし。相手を思いやることが当然。人を見た目で判断しない。私の肉体が老いていこうと、旦那さんたちには関係ない。私の心――内面をいつも見てくれているのだ。


 だから私はもうやめた。この世界の心の濁った男たった一人と結婚生活するなんて、まっぴらごめんだ。


 それに、誰か一人なんて選べない。みんなが大切。だってそうでしょ? 私と一人一人結婚したんじゃなくて、みんなでひとまとめなんだから。つまりはこう言うこと。旦那さんたちもお互いが夫。


 ここへとたどり着くまでの、私も含めてみんなの道のりは長かったけれど、大切なのは真実の愛だけ。受け入れてしまえば、何てことはなく、みんなの今までの人生はここへと続くためだったのだ。


 死んでも続く結婚、これが永遠の愛だ――


 それでもいつか終わりが来るって?

 ううん、来ない。だって、神様の住んでいる世界は永遠だから、愛も永遠。神様の世界では別れはこない。それが常識。だから、出会ってしまえば、本当に永遠で真実の愛。私は死んだら、みんなのところに戻るだけ。


 イケメン神の魔法で、メルヘン世界へと飛び立っていた妻の耳に、夫たちの声が次々に入り込んできた。


「僕が今日は彼女の隣です〜」

「ボク、まだ一回しか寝てないんだけど」

「俺は端っこでもいいぞ」

「なら、てめえは一番はじな。オレもそろそろそばにしろや」

「俺っちはどこでもいいっすよ」

「それでは、私は彼女の隣に――」


 教会へ行ってきた夫の言葉は、他の旦那さんたちに素早くさえぎられた。


「お前はいい。毎晩、八回するって約束だから、どのみちそばに寄るだろう」


 我が家のルール、その二。

 私とこの旦那さんは、夜八回するという約束が毎晩、律儀に守られている。


 妻が座っている椅子の背もたれにもたれかかったまま、マダラ模様の声が螺旋階段を突き落としたようにグルグルとまとわりつく。


「お前は?」

「俺はどこでもかまわん」


 地鳴りのような低い声が簡潔に答えた。白いモード服を着ていた夫が、間延びした声で窓際に立っていたゴスパンクの夫に問いかける。


「どうするの〜?」

「お前らの好きにしろ」

「お前さ、そろそろ素直になったほうがいいよ。じゃないと、颯のそばにいつまでたってもいけないからさ」


 マダラ模様の声に忠告され、ゴスパンクのロングブーツを履いた夫はそれっきり動かなくなり、言葉も発しなくなった。視線もまったく動かない。


「…………」


 誰にもわからない夫の心のうち。他の旦那たちは、マダラ模様の声の持ち主に視線を集中させた。昔からの親友ならば、この男の言動を翻訳してくれると思って。


「返事なし、ノーリアクション、考え中。そして、ちょっと後悔中!」


 やはりひねくれ夫であった。まるで学校の先生のように、パンパンと手を打ち鳴らして、凛とした澄んだ女性的でありながら、男性の声が仕切り直した。


「この際ですから、彼女に決めていただきましょうか? みなさんよろしいですか〜? どちらの場所になっても文句はなしです」

「じゃあ、颯ちゃん、決めて」


 白い服が視界にまた入ってきた。妄想していた妻は記憶が飛んでいて話がよくわからず、思いっきり聞き返した。


「はぁ? 何を?」


 後ろから、ドアをノックするようにトントンと頭を軽く叩かれて、マダラ模様の声が耳元で響く。


「お前のそばで俺たち寝るから、それぞれの場所でしょ?」


 何かと思えばそんなことで、妻はあきれて盛大にため息をついた。


「毎晩毎晩、同じことでもめて。あれでしょ? 空中に浮くベッドも使って寝るんでしょ?」

「そうだ」


 夫全員が声をそろえる。


 神様ルール、その五。

 ――人間の世界より、神様の世界は文化が発展している。コンピュータを人間に作らせたのは神様なのだから、当然のこと。


 私が神であったならば、むちを手に出して、ぴしゃんと床に叩きつけているであろう。と思いながら、颯茄は高飛車に言ってのけた。


「よくお聞きなさい、旦那さまども。結婚した順に左からお並びなさい! っていうか、子供じゃないんだから、明日から自分たちでお決めなさい!」


 妻が仕切ると、夫たちは速やかに部屋から出て行き、自分の布団を妻のベッドの近くに、指示通り並べ始めた。


 今日の夢は、夫たちとの出会いを見ることにするか。いや、旦那さんたちの境遇から見よう。永遠の時を生きている神様の歴史を、今夜紐解こう。

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