第13話 二人並べば最強だった

 社長室を出て自分の席に戻り、力なく椅子に座る。そんな姿をみかねたのか、隣に座る同僚に「気晴らしに今日のランチは外に出よう」と誘われ、その優しさがあたたかくて嬉しくて、申し訳なかった。

 メールをチェックしなきゃと思い、ノートパソコンを開けば、電源を入れる前の暗い画面に映る自分の顔。それはとても弱々しく情けない表情だった。こんな奴じゃ理佐を守れない、そう誰にも聞こえないように心の中で小さく呟いた。


 いきなりでごめん。今夜会える?


 仕事中にメッセージを送るのは気が引けたけど、送らずにはいられなかった。あの記事が世間に出る前にどうしても理佐に会っておかないとダメだと胸騒ぎがする。きっと理佐の事務所にも同じようにあの記事の連絡はいっているはず。もしかしたら既に理佐もこの事を知っているかもしれない。大丈夫だよ、って心配しなくていいからね、って今すぐ声を掛けてあげたい。

 こんな時だからこそ傍に居てあげたいのに、ごめんね、理佐。

 今日一日何をして過ごしたかも曖昧な記憶で自宅までの街灯に照らされた暗い道を一人歩く。今日は撮影や収録が無く、事務所でのデスク作業だけだったから良かったのか悪かったのか、自分でも分かるくらいにずっと心ここにあらず状態だった。今日の仕事内容すらあやふやでよく覚えていない。ランチだってちゃんと同僚と二人で近くの洋食屋さんに行ったはずなのにその時のことを思い出そうとしても、何かを楽しそうに話す同僚の姿しか浮かばず、そこに彼の声は無かった。映像だけが記憶になりそれしか思い出せない。

 きっと彼は、気を遣って一生懸命何かを話してくれていたのに、私には聞こえていなかったんだ。彼に対しても仕事に対しても申し訳なさを感じ自己嫌悪になりながら自宅マンションのエントランスに入ろうとした時に人影が見えた。

 理佐? 会いたかった……、そう気持ちが溢れ出しそうになって、急いで声を掛けようにした時に振り向いたその人は、全く知らない人だった。

 理佐じゃない。違った。そう思い彼女の横を通り過ぎようとした時に彼女に声を掛けられた。

「あの、すみません。こちらにお住いの方ですか?」

「えっ」

「私、フリーで記者をしています深江と言います。こちらに住んでいらっしゃる櫻井理佐さんのことで少しお聞きしたいことがあるのですが、少しお時間宜しいでしょうか?」

 ……記者。いつか此処にも取材が来るとは思っていたけど、どうじて? 情報が漏れたにしても早すぎる。

「すみません、急いでいるので」

「あっ、少しだけで構いませんから! ちょっとだけお時間を――」

 深江と言う記者の声を無視してエントランスの扉を抜けエレベーターに乗る。八階のボタンを押してゆっくりと動き出すその箱の中に私は何故か一人取り残されそうだった。

 目的地に着いたことを知らせるようにゆっくりと扉は開き、見慣れた通路と二つの扉を眺める。

 私の部屋の向かいにあるもう一つの扉。その奥に君が居るのならいつものように輝く笑顔で今すぐこの扉を開けてよ……。誰にも邪魔されないようにと探したこの場所ももうすぐダメになってしまうね…、君のドアノブに触れてみてもそれはただ冷たくて、何一つ慰めてくれなどしなかった。

 扉の前に座り込み、背中を預けながら理佐を此処で待っていようと一瞬思ったけど、きっとそんな姿を見たら君は困ったように微笑むよね。困らせたい訳じゃない。守りたいはずなのに守られようとしているようでまた情けないと自分に嫌気がさす。

冷たさを無くしたドアノブを手離して振り返り、自分の扉を開けて真っ暗な部屋に入る。

 締め切られた厚手のカーテンはそのままにリビングの電気を付けてソファーでぼんやりとあの日の事を思い出し「楽しかったなー」なんて声が部屋に小さく響く。鞄からあの記事のコピーを取り出して見直していた時にこの記事の可笑しな部分に気が付いた。

「夏目さんとのことは何も書かれていない。写真もない」

 もう一度、記事を隅から隅まで読み返してみてもやっぱり私と理佐のことしか書かれていない。ターゲットが理佐だったからあの時、私との写真を撮った後は会食に向かう理佐に付いて行って移動したってこと? それでもなんだかしっくりこない。ターゲットの相手が記者の知らない人や一般人だった場合は、その相手について詳しく調べるはず。それならあの時も理佐に付いて行かずに私を尾行するのが妥当なのに……。

 私は黙っててあげます。

「私……わたしは……っ」

 そっか、だから夏目さんはあの時、 私はって言ったんだ。

 まだそれが本当だと確信は持てないけど、きっとそうだろう。不思議と動揺は無くて体全体の力が抜ける感覚に襲われた。脱力感だろうか……。



「理佐、ちょっといい?」

「うん、どうしたの? 美由紀」

「これ見て」

 明日発売の週刊誌にこの記事が掲載されると理佐に伝えれば、「なんで……」と驚いていた。そんなあからさまに動揺しないでよ、理佐。

「美由紀、これ止められないの?」

「……」

「美由紀!」

「一応、週刊誌に対して抗議文は出すけど発売を止めることはできないよ」

「そんな…っ…なんで…」

 声を荒げる訳でもなく、理佐は静かに頬に涙を落とし泣いていた。やめてよ、そんな風に泣かないで理佐……。私は、私は、間違ってない――

「理佐、一つ聞かなきゃいけないことがあるんだけど」

「……っ」

「この記事に書いてあることは、本当なの? これってこの間、由香たちと四人で会った時だよね? それにここに写ってる相手の人って……佐野さんだよね?」

「……」

「理佐」

「なおだよ……」

「付き合ってるの?」

「……」

「理佐! ちゃんと答えて!」

 私の声に驚いたように肩を震わせた理佐を見て、どうしようもない気持ちに苛々してしまう。こんなに声を荒げて余裕を持てないなんていつぶりだろう。下唇をぐっと噛んで涙を堪えるそんな表情が見たい訳じゃないのに、私はただ、理佐にずっと笑っていて欲しいだけなのに……。

 あの頃みたいに隣で微笑んで欲しいだけなのに……。

「お願い理佐、答えて」

「……ごめん、美由紀」

 その言葉にどんな意味が含まれているの? 分からないよ……ごめんだけじゃ分からない…

 気付けば、今度は目頭が熱く視界がぼやけて自分が泣いていると気付かされた。

「ごめん……」

 もう一度、そう言葉を放った理佐を見て私の中の何かが消えていくような気がした。

「いい……もう、いいから…」

 理佐が隣に居てくれれば、私は強くなれた。私たちが二人隣に並べば最強だと思っていた。私たちは永遠だと思っていた。そう、ずっと願っていた。

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