第11話 大切なのは……

「諦めないから」

 さっきの由香の言葉が私の頭の中でこだまし続ける。どうしよう、なんとかしなきゃ……


「理佐? どうしたの?気分悪くなった?」

「なお……」

「振り向いたら居なかったから、ちょっと休む?」

 不安そうな目で優しく声を掛けてくれた貴方が、何よりも大切なのにどうしてこんなに上手くいかないんだろう。神様も皆みんな意地悪だよ……。


「なお、あのね――」

「理佐、ちょっといい?」

 由香が私たちの関係を知っていることをなおに言わなくちゃと思い、なおの右手の袖を掴んだところで美由紀の冷たい声がした。

「美由紀……なに?」

「……ちょっと」

 なおに軽く視線を向けてそう言った美由紀を見てきっと仕事関係の話だと分かった。同業とは言え、なおや由香は他社のマネージャーとタレント。情報を出せないことも多いし此処を離れて話したいと言う美由紀の思いはさっきの視線で理解できた。

 今はオフでお休みのはずなのにとちょっとと思ったけど、美由紀がこのタイミングで言うならきっとそれは今じゃないとダメってことだよね。

「分かった。なお、ちょっとごめんね」

「うん、大丈夫」

 なおも察してくれたようで優しく頷いてくれた。あぁ、本当は一秒でも離れたくないのに、後ろ髪を引かれる思いで美由紀と近くのベンチへ移動して話を聞くことにした。


「どうしたの?」

「先月末に話した化粧品メーカーの広告のこと覚えてる?」

「うん、先方からオファーがきてるって言ってたやつでしょ?」

「そう。先方のお偉いさんが理佐のこと気に入ってるらしくてさ、本当はオーディションやるはずだったけど、やめて理佐に正式に決めたいって話がきてて」

「えっ、凄いじゃん! あそこのメイク道具普段から使ってるから嬉しい!」

「それでさ、急なんだけど今日このあと先方のお偉いさん達と会食の予定が入りました」

「……えっ」

「だから、会食」

「いつ?」

「今日」

「何時から?」

「うーん、先方の都合でランチ希望らしい」

 微笑んでいるはずの美由紀の顔は、普段の笑顔には感じられない圧があり、それはきっと笑っていないその二つの目のせいだ。この美由紀の笑顔はいつだって怖い。笑顔で威圧して相手にノーと言わせない笑顔。

 一瞬、屈してしまいそうになったけど、美由紀の後方少し離れたところに居るなおを見つけてやっぱり今日だけは仕事を入れたくないと思った。


「待って、今日のランチ? そんなの急すぎるよ」

「急も何も私もさっき連絡が着て知ったんだから仕方ないじゃん」

「そんな……、今日は久しぶりの一日オフだったのに!」

「ごめんってば。またオフ取れるようにスケジュール調整するから、ね?」

「嫌! 今日じゃないとオフも意味ないの!」

「はぁ……理佐」

 さっきの怖い目はどこかに消え、今の美由紀は呆れたような目で私を見つめ大きなため息を一つ放った。

「オフはちゃんとまた作るから」

「でも、――」

「遊びたいから仕事を断るなんてプロとして意識低いんじゃない?」

「…っ」

「これがどれだけ大きな広告か分かってる? 最初は新作の単発広告でって話だったけど、今オファーがきてるのはブランドイメージキャラクターとしての広告なの。このメーカーの製品全ての広告起用になるんだよ? それを分かって今、断ろうとしてるって自覚あるの?」

「広告はやる! でも、会食は別の日じゃだめなの?」

「……」

 今、会食に行ったらなおと一緒に過ごせなくなる。最近は全然会えなくて電話して声が聞きたくてもタイミングが合わなくてできなくて、やっと今日会えたのに、まだなおと一緒に居たいのに……。なおと一緒に居たい気持ちを覆うように私の中に黒い雲が段々と大きくなっている。その雲は私の不安を煽るように由香となおの二人が微笑み合う姿を映し出す。


 なおと離れちゃだめ


 胸の奥のずっと深い場所に居る私がそう私に訴える。

「今の理佐って凄く子供に見える」

「……」

 その声に温もりは無く冷たく突き放されるような棘を感じた。

「もう会食に行くも行かないも理佐に任せる。けど、行かなかったことで広告の話が飛んだら、私はもう櫻井理佐の担当から降りる」

「えっ……」

「この世界には、表舞台に立つ為に毎日毎日もの凄い量の努力をしてる人たちがいる。でも、実際にその中で表舞台に立てるのは、ほんの一握りの人たちだけ。それは理佐も良く分かってると思う」

「……うん」

「だから私は、こんな意識の低い人の為なんかじゃなくて必死に夢を追いかけてる人を応援したい。そんな人たちの支えになりたい。悪いけど、今の理佐には付いていけない」


 美由紀の言葉に何も知らないくせにって思った。でも、何も知らないからこそ美由紀の目に映る今の私は大きな仕事よりも遊びを優先したがっている甘えた奴なんだと思う。

 個人的にも事務所的にもこの広告が決まったらどれほど凄いことか分かってる。分かってるけど、ごめん、美由紀。それでもやっぱり私はなおを選びたい。今、なおと離れてしまったらきっと私たちの未来は壊れてしまうから……。

 壊れないように、壊されないように守らないといけないものがあるの。

 覚悟を決めて美由紀に話をしようとした時、美由紀の後ろになおが居ないことに気付いた。


「なお?」

「ちょっと、理佐どうしたの?」

「なおは? なおが居ない……」

「えっ」

 どこに行ったの? なお? もしかして由香とどこかに行っちゃったの?

 急な不安に胸が苦しくなる。それでも視線を動かしてなおを探す。

「理佐?」

 後ろからやってきた愛おしい人に思いっきり抱き着く。

「えっ、理佐?」

「……どっか行っちゃったかと思った」

「ごめん、理佐体調悪いのかと思ってお水買いに行ってた。はい、お水」

 抱きしめ返してくれることはなく、お水を手渡す為に私から離れていったなおに寂しさと少しの虚しさを感じつつお水を受け取る。

「ありがとう」

「うん。あのさ、」

「うん?」

「少しだけ話聞こえて……行っておいでよ、会食」

「えっ、でも」

「また今度のお休みの日に一緒に出掛けよう?」

「でも、今度はいつになるか! それになおのオフと予定合うかなんて分からないし!」

「大丈夫。こっちもちゃんと調整するから。それに大事な仕事に関係してるんでしょ?」

「なお……」

「朝から一緒に居て沢山元気充電できたし、沢山癒された。また今度会える時まで仕事も頑張れそう」

 この時のなおの微笑みと声は、優しさよりもあたたかさを強く感じて私の中にある大きな雲も押し退けてくれるパワーがあった。こんな事を言われて、こんな笑顔を見たら私も頑張るしかないじゃん……。

「分かった、会食行ってくる」

「うん」

「でも! 会食終わったらまた会おう? ランチだから遅くても夕方には終わると思うから」

「ふふっ、分かった。終わったら連絡して」

「うん」


「有難うございます」

「えっ」

「理佐のこと説得してくれて」

「……私もマネージャーなので森橋さんの気持ちも少しは分かりますから」

「……少し?」

「……」

「きっと本当は、理佐が抱えている気持ちの方が分かるんじゃないですか? それに、行かせたくないとか?」

「……どうですかね」

 核心を突いてくる森橋さんに対してこの時、私はちゃんと笑顔を向けることが出来たか自分でも不安だった。

「理佐、由香に事情説明してくるからここで待ってて」

「うん」

 ひらひらと歩きながら手を振る森橋さんの後ろ姿になぜか不安と引っかかりを感じた。でも、それが何に対してなのか分からずモヤモヤする。

「なお」

「ん?」

「本当にごめんね……」

「ううん、大丈夫。また夜会えるし気にしないで」

「……うん」

「ふふっ、まだ納得してないじゃん。凄く嫌そうな顔してるよ?」

「だって、本当はまだ嫌だもん!」

「……そんなに私と一緒に居たいの?」

「もう! ニヤニヤしてる! 意地悪しないでよ!」

「ふふっ、ごめんってば」

「なお」

「ん?――」

 一瞬だったけど、確かにそこに触れた。急なこと過ぎて上手く対応できなかった……。

「今日はまだキスしてなかったから」

 そんな甘いセリフをその甘い声で耳元で囁かれてしまい、顔中に熱が集まったように熱い。

 慌てて周りを見渡して、きっと誰も見ていなかっただろうと自分を落ち着けることに必死で目の前で「してやったり」とドヤ顔の彼女に構う余裕は全く無かった。


「理佐、そろそろ行くよ」

 少し離れたところから森橋さんの声がして、理佐は「いってきます」と言うとそっちに行ってしまった。自分で送り出したとは言え、やっぱり少し寂しい。

 周りには楽しそうな笑顔ばかりが歩き、幸せオーラ全開だ。そんな中、此処に一人でいるのは何とも言えない気持ちに襲われてしまうので、さっさと園から出て帰ろうとゲートがある方に足を向けた時、もう一人の甘い声と、二人で残されたことに気付かされた。

「佐野さん、次なに乗りますか?」

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