第11話 新月の夜巡

 岡 征十郎は番所へ行き、上司である助川に報告をした。十中八九、下手人は馬之上うまのうえ 秀穂ひでほである。と。だが、証拠がない―。


 六薬堂では、相変わらず詩乃が火鉢を抱えていた。

 店の客は風邪引きが多いので、番頭にキセルを禁止され不服そうな顔をしていた。

 喉が痛いとか、咳が続くといったものが来店しては帰っていく。

 北向きの出入り口の戸を風が叩いて過ぎる。

「毎度、どうも」

 そういって瓦版屋が入ってきた。

「目星、付けたようですなぁ」

 というので、詩乃が瓦版屋のほうを見る。

「岡の旦那の岡っ引き、辰のほうが岡場所に張り付いていましたからね。それでね、その見張っているところってのは、馬之上 秀穂とかいう医者の家で、まぁ、ほとんど銭を取らずに面倒を見てくれるらしいのですが、あまり効くような薬は処方してもらえず、そん時の奴さんの言い分が、「女郎などという商売をしていると、していない女とでは薬の効きが違うんだ」と言っていたとか」

「そんなわけあるかっ」と詩乃が吐き捨てる。

「でもまぁ、下流岡場所の女たちです。信じちゃってましたけどね。

 面白いのは、診る時間て言うんですか? あぁ、診察時間。その診察時間が夜なんですよ。店主側からすれば、これから忙しくなるという時間に連れて行くんで困っているようですが、痛いだの、しんどいだのと言っている女が隣の部屋で寝ていて、客が喜ぶとは思えない。と言われちゃ、確かにそうだってんで、引き渡す。だけど、朝になっても帰ってこない。馬之上は治療してすぐに帰っていったと言い、確かに、女郎はそこを出て行ってるんですよ。他の店の客引きが見ていたのでね。

 ですが、それも夜が深くなるにつれて誰も気にしちゃいなくなる。そして、数日後に土左衛門。どう思います?」

「お前、それを役人に言ったのかい?」

「まさか、役人、とくに岡の旦那はビタ銭一枚くれませんからね」

「うちだって支払わないよ」

「…いいですよ。まぁ、それでも」

 詩乃は黙ってしばらくして、

「瓦版屋、今から役所へ行き、今のことを話したうえで、今夜からの夜の巡回の数を増やすよう、岡 征十郎に言ってくれないかい?」

「今夜ですか?」

「岡っ引きの辰は見張りをさせたら上出来な仕事をする男だ。たぶん、その馬之上 秀穂は見張られていることなど気付いていないと思う。

 お前さんが嗅ぎまわっていることは知っているだろうから、お前が居たためにここ数日大人しく居たんだろう。

 だけど、今夜は新月だ。バカバカしい話だが、昔から、岡場所には、新月に中絶手術を受けると、子供ができにくくなる。という迷信がある。もし、動くとするならばこの三日のうちだろう。お前はもうそこの岡場所へは行かないほうがいい。捕り物の邪魔になる。

 だけど、行きたいだろうねぇ。瓦版屋としては、だから、いいことを教えてやるさ。たぶん、馬之上 秀穂の家の裏手は川に面しているはずだ。深いところに面しているだろうから船でしか近づけないだろうが、そこに居れば、何かが出てくるかもしれないよ。

 ただし、この寒空の川ってのは、想像以上に寒いだろうがね」

 詩乃の言葉に瓦版屋は少し考えて手を打ち、走り出て行った。

「動きますか?」

「自分の周りで怪しい動きが無ければね。この数日瓦版屋がいたおかげで身動き取れなかったストレス抑制がある。瓦版屋の姿が見えなくなり、三日のうちに新月が来るだろう? うまいこと、女郎の患者が来るかもしれない。その措置などのからくりが解ればいいのだけどね」


 瓦版屋から伝言を聞き、岡 征十郎と番所の連中は会議を行う。

 たしかに、下流岡場所には「新月の中絶」という迷信があるという。だが、それは全くの迷信で、暗闇で行う施術ほど危なく、そもそも夜に手術を行うものではないのが今の医術だ。

 詩乃の見立て通りのことが起こるかどうか張り込むほうがいいが、馬之上だって警戒していないわけないだろう。どこに配備するか―。

 馬之上の家は岡場所のはずれにある。両隣を連れ込み女の家が建ち、背後には川が流れているが、川へ降りる場所はない。前の道は岡場所から一線引くように少し広い。だから、下手な見張りが居ればすぐに解る。岡っ引きの辰がその風景に馴染んで見張っていることで、辰のスキル能力の高さが解るほどだ。


 虎の情報で、馬之上が今いる柳座岡場所に子供ができている女郎が二人いるという情報が入った。一人は女腹―女の子しか生まない―の女郎なので、子供は下ろさずに産むのだという。もう一人は女郎になりたてで、子供がいるのが解りパニック動転になっているので、そちらが行くかもしれない。という話しだった。

「だが―、措置をしているだけでは、捕まえられまい?」

「そうだ」

 同心たちが眉を顰めるのも無理はない。手術を行っているだけだと言われればそれまでだ。だが、馬之上に術を行っていいという許可は出ていない。それで捕まえることはできる。だが、殺しではない。

 それに、術中に踏み込んで、その患者をどうする?

「詩乃を同行させよう」

「詩乃をですか?」

 与力の助川の言葉に一同が驚く。

「はっきりと、施術を行うのであれば、小早川先生に同行を願うが、今、養生所は忙しいようで、夜間出張ってもらうのは無理かもしれぬのだ」

「詩乃なら、行ってくれるでしょう」と岡 征十郎。

 助川が頷く。


 こういう時の詩乃は案外文句を言わずに店を出てくるものだな。と皆が感心する。

 防寒着を重ね着し、まるで雪だるまのような姿をしていても、その色の白い、肌におかっぱ頭は目立つ。

「何という格好、」

 絶句する岡 征十郎に、

「私が取り物をするわけじゃないからね。

 じゃぁ、あたしはあの店の二階で待ってりゃいいんだね?」

 と店の二階を指さした。馬之上の家のはす向かいの店の二階の一室に辰が張り込んでいるのだ。ただ客としているわけじゃなく、そこの男衆として潜り込んでいるようだ。

 役人たちは闇に紛れるように巡回をし、数名が町人に成りすましてこの辺りを見回ることになっている。

 吉原のような華々しい提灯灯篭ではなくても、明かりの数は街の長屋から漏れるものよりも明るい。

 詩乃が店に入ると、岡場所に来ていた客が詩乃を指名をするが、詩乃は岡っ引きから借りた十手をちらりと見せる。客の男が嫌そうな顔をしながら、女郎を選ぶ。


「あんた、ずいぶんといい仕事してるって話しじゃないかい」

 詩乃が部屋に入り火鉢を抱きかかえるなり言うと、障子に穴をあけて覗いていた辰が首をすくめる。

「もともと、この世界でやってたんでね。店がつぶれたのを機に下界しゃばに行って初日、食い逃げしようとして岡の旦那に拾われたんですよ」

「なるほどね。

 ところでさぁ、馬之上のところに昼間は誰も行かないのかい?」

「まぁ、下っ端の女郎が数人入っていきましたね。ここの女に行かないのかと聞くと、「行かない」というんで何でか? と聞けば、若い学生がいるなら、その学生が見てくれるなら行くけれど、あの先生は嫌だというんですよ」

「なんで? 漢方医だろ?」

「胸を引きちぎられそうになった女がいましてね」

「はぁ?」

「これはどうやってくっついているんだって、この店で一番乳の大きな女が行ったとき、こんな大きな乳を見たことがない、何をくっつけているんだって、掴んで引っ張ったんだそうで、そん時学生がそれを止めてくれたが、もしかするとあのまま引きちぎられていたかもしれないって言ってましたね」

「学生は、新田 剛健?」

「いや、学生の名前も顔も覚えちゃいないんですよ。みんなマスク衛生覆面をしていたようでね、でも、少なくても四、五人は変わったと言っていましたね」

「記憶にとどめないように顔を隠させていたか」

「衛生上じゃないんで?」

「本来の使い方はね。だが……もし、その馬之上が犯人であるならば、あそこにいた学生先生が死んだとあってはすぐに皆が言い出すだろう? だけど、しばらく身元が解らなかったじゃないか。つまり、マスク衛生覆面のせいで顔を見ても誰だか解らなかったからだ」

 詩乃の言葉に辰は納得する。

 

 その夜、動きはなかった。


 翌日、詩乃は眠そうで、いつものことだが、更に商売に身が入っていない様子だった。


 その夜は北風が舞い踊るような勢いだった。顔に当たる風が鋭利で、詩乃は前を歩く岡 征十郎の背中にくっつくようにして歩いた。

 岡 征十郎が文句を言っているようだが、風の音が煩くて聞こえなかった。だから詩乃は思った。

「やるなら、今夜だろうね」


 岡場所はこんなにも寒い夜だというのに男が集まってきていた。年も終わりに迫り、正月を家で過ごすために帰ってきたらしい漁師や、田舎に帰る前にやってきたもの、正月にお伊勢参りに行こうと出てきたものなどで大賑わいだった。

 ただ、彼らは本家吉原からあぶれたもので、本当は吉原へ行きたかったが懐と相談してやってきたような連中ばかりだった。

 馬之上の家の前も人が行き交っていた。店の部屋が足りなくて、連れ込みようの店まで出張ってくる女郎もいたり、まさに年の瀬の大賑わいだった。

 詩乃を岡場所そばまで送った岡 征十郎に、

「今夜だろうね、川のほうを気をつけておくれよ」

 と告げると、いつになく岡 の顔がきりりと引き締まった。

 詩乃が裏口からはす向かいの店に入ろうとした時、馬之上の家のほうに人目をはばかるように走り入る女郎を見た。詩乃は急いで上がり辰に客が入ったことを知らせると、辰はさっと駆け出て行った。

 詩乃は障子を少し開きはす向かいに目をやる。

 風が頬を切って部屋の火鉢の温かさなんて吹き消していく。


 馬之上の家の明かりが強くなった。

 詩乃がいる店の外に岡たちが姿を見せた。頷かれたので詩乃も降りていく。

 馬之上の家の前で中の様子をうかがっていた岡っ引きからの合図を待つ。

 半刻経っただろうか? 一刻だろうか? 緊張から寒さを忘れていても、足指が寒さで痛んだころ、岡っ引きが身動きしてすぐ、

「投げやがった」

 という怒号が聞こえた。

 辺りは客の男と遊女の声と客引きの声でごった返していたというのに、とんでもない大声が上がったものだと詩乃も辺りを見渡す。

 岡っ引きが戸を開けるのが早いか、岡 征十郎はじめとする役人が馬之上の家になだれ込み、裏手の川の方でも何やら騒ぎが上がり、色めきだっていたはずの岡場所の音がぷつりと聞けた。

 詩乃はかすかに風が運んできた鉄さびの匂いに顔をしかめた。

「お詩乃さん、お詩乃さん!」

 遠くの方で詩乃を呼ぶ声がする。詩乃が馬之上の家の中に入る。

 役人が詩乃を中に入れる。―モーゼか―

 取り押さえられている馬之介の白衣は真っ赤になっていた。

「せ、施術をしている最中だぞ」

 という馬之上に、免許のないものが術を施せないというような罪状を助川が申し渡している。

「助かるか?」

「早々にすべてが出て行けばね」

 そういうが早いか、詩乃は両手、両足を縛られ、薬で眠らされている女の股へ行き顔をしかめる。

「出て行って」

 短い低い声に皆が出て行く。馬之上が「私の患者だ」とか「俺はえらい医者なのだ」とか言っている声をふすまで遮断する。

 詩乃は黙々と後処理を済ませる。


 真夜中になっていた。客はすでに店の中に収納され、外に居るのは馬之上を捕らえた役人と、縄を打たれそこに正座させられている馬之上だけだった。

「小早川先生のところに頼む」

「できなかったのか?」

「ほれ見ろ、あんな女に何ができるというのだ、私のほうが医者だぞ」

 という馬之上の前に詩乃は歩み寄り、

「馬之上という名前は、本名からもじったか、馬借の息子だろうね。たぶん、馬末うますえとか、そういった名前で、子供のころから馬のほうが上だと叩き込まれていた。あんたがどうなろうと馬だけを大事にしている親が許せず家を出た。秀穂なんて突飛な名前も、人より秀でていると思わせたいからだろう? 単純な名前だ。

 施術は成功している。だけど、あの患者、肺炎にかかっているんで様子を見てもらいたい。ただそれだけだ」

「大儀であった」

 助川が言うと、詩乃は頭を下げ、帰ろうとしたが、

「あんたに医者を名乗る資格はない。新田 剛健という立派な医者を殺したあんたにはね」

 そういってその場を去った。

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