第3話 南町当番

南町奉行所。始業開始まもなく。

 月中日になった。勘定奉行所担当が北町から南町に代わる。

 岡 征十郎は番所へ出向いてすぐ、女郎の土左衛門が揚がったと知らせを聞き、茅野原近くの俣川またがわに来た。

 俣川はこの辺りの土地に水を引くために作られた水路で、その上流は三つの川の合流になっている。

 俣川と山から下りてくる元上川もとかみがわ。そして、どぶ板岡場所などのそばを流れてくるどぶ川の三本が合流し、海まで行く元川はじめがわに合流する。

 昨夜の大潮と大雨のため、元川に水が逆流したらしく、女郎の土左衛門が揚がったのだろう。

 女は、どぶ板岡場所にある、風鈴亭の小松と言う女郎だった。

「南町のー、岡殿ですか?」

 声を掛けられて振り返ると、

「北町のー…いや、すみません、名前を存じない」

 相手は苦笑し、

「北町奉行所同心、長谷川と申します」

 と頭を下げた。

 岡 征十郎も下げる。

 あまり、北町と南町の同心が揃うことはない。どちらかと言えば仲が悪い。と思われる。顔を合わせないので、どんな人物か不明だし、手柄の取り合いなどで妙な抵抗意識がある。

「いかがいたしました?」

 岡 征十郎も苦手意識から少しそっけなく聞き返す。

「また、女郎の死体が揚がったと聞きまして」

「……北町当番でも、」そういえば、と手を打つ。

「ええ、四体揚がっておりました。二人は無理心中のようで、男連れでしたが、」

 長谷川の濁した言葉に首を傾げる。

「無理心中だとは思われませんか?」

「……、ええ。ですがすでに、上がそう処理してしまった以上、どうしようもないのですが」

 長谷川は納得してないという顔をした。岡 征十郎はこういう顔をする人をとても気にするたちで、

「それはそれ、として、なぜ(無理心中だと)思えないのかお聞かせ願いませんか?」

「……その前に、その土左衛門はどうしますか?」

「これは―いや、このは不審な点がありますゆえ、小早川療養所の小早川医師に解剖を願うつもりです」

「……、噂にたがわぬですな。南町はよく小早川先生のところに解剖を持ち掛ける。特に、岡 征十郎という同心は、小早川先生にも、更には、町の薬屋にも協力を願うと、」

「それを自分で捜査のできない不甲斐ない同心。と、評判なようで」

 長谷川は声を出して笑ったが、

「ですが、我々の領分でないものを追求すれば、知りえる者の協力は不可欠でしょう。あなたの行動は正しいと思われます」

「ありがたいお言葉です」

「ですから、ここだけの話として、それ―ご遺体を運ぶまでお付き合い願えますか?」

 長谷川の申し出に岡 征十郎は頷き、女郎の遺体搬送や、近辺の捜索を託し、長谷川と二人少しはずれに行った。

「私が無理心中だと思えないのは、二人の男がを刺されていたこと。女は腹を刺されていました。ただし、別の刃物です」

「なぜ判りました?」

「男たちの傷はどちらも匕首だと思われますが、女の傷は非常に細い刃物です。カミソリのような」

「カミソリで人を殺せますか?」

「そこです。私もそう申したのですが、どうも、上は取り合う気は無く。

 ですがね、どうも腑に落ちないのですよ。カミソリで人を殺すなどできないだろうし、女が匕首で、男の背中から一突きですよ。どれほど強い力の者だってね、一気にブスリと刺せますかね?

 女のほうは、腹にカミソリの傷があったほかに、足首、手首に括り付けられていた痕があったんですよ」

「そういう嗜好はありますからね」

「ええ、ですが、どうでしょう? 腹にカミソリの傷のある女が手足を縛られていた。もし、そんな女が揚がったらどうします?」

「小早川先生の所へ連れて行きますね」

「……よかった。私の考えは間違っていなかったようだ。もし、私にもっとしっかりとした助言力があれば、解剖してもらえたかもしれないと思うと、無念です。

 その上でお願いです。これは連続殺人事件だと私は睨んでおります。南町当番の間にどうか下手人を捕まえてください。

 さもなければ、北町ではまた、自殺やら、無理心中として事が済んでしまうでしょうから」

 長谷川は北町奉行所同心として、恥を忍んで頭を下げた。岡 征十郎はそれにこたえるように頷いた。


 昼前になって瓦版屋が六薬堂に入ってきた。入ってきて早々胸のつかえのすぐに取れそうなものをくれというので、生姜しょうきょう由来の胸やけのお茶を飲ませる。瓦版屋はゆっくりとそれを飲み―一度急いで飲んで、詩乃に、「ゆっくり飲まなきゃ効きゃしないよ」と言われてから、なんでもゆっくりと飲むようになった―大きく息を吐きだした。

「五人目です」

 そういって頷き、帳面を叩いた。

「今日から南の当番でしょ、岡様がいましてね、すぐに小早川先生のところに運ばれたんですよ。北町の長谷川様が仕事熱心に何やら話してましたねぇ。

 あの人ぐらいでしょうね、今の北町で仕事しているのは。

 そんなことよりも、今度の土左衛門も女郎でしてね、それがとにもかくにもですよ」

 そういって瓦版屋は顔をしかめさせ、

「そりゃぁ、こういう商売をしてきてますからね、いろんな死体を見てきましたけどね、それにしたってあんな憎悪にゆがんだ顔は見たことないですよ」

「そんなにひどい顔をしてたんで?」と番頭

「ひどいというより、こう」

 そういって首を伸ばし、舌を出し、上を向いて白目を作った。

「それじゃぁまるで何かに縛られた人の様じゃないですか?」

「でも、首には痕はないんですよ」

「死因は?」

「解剖待ちです」

「ねぇ、瓦版屋さん、あんたここで油売っている間に、養生所で待機しておくべきじゃないのかい?」

「そりゃそうですけどね、でも、五人もなんて異常ですからね。それに、解剖には時間がかかりますからね、ひとっ走りと思ってね。それじゃぁ、戻りますよ」

 瓦版屋はそういって走り出て行った。

「にぎやかな人ですねぇ」

 そういって出て行った方を番頭が見れば、入り口にやっとたどり着いたかのように戸にもたれてお清が立っていた。慌てて近づき、小上がりまで誘導すると、座る様に言う間もなく倒れ込んだ。

「あ、あい、すみません」

 お清が体を起こすのを詩乃が止める。

「しんどいのに、ご苦労だったね。少し休むといいさ。どうせ、客は来ないから」

 そう言いながらお清の足を座敷にあげ、その体に番頭が布団をかけた。

「いえ、私ーお薬ー」

 お清はそのまま眠った。かなり深く眠ったようだ、がくっと力が抜けたのが番頭でも解った。

 

 一刻半近くお清は眠っていた。その間お客はこなかったので、静かだったこともあり、お清は久し振りによく眠れたと体を起こした。

「なんて、みっともないところを」

「しようがないさ。眠れてないのだろ?」

 詩乃の言葉にお清の目からはらはらと涙が落ちる。

「話す気になった?」

「もともと、気のせいだと思っていたのです」お清は弱弱しく話し始めた。

「何から話せばいいのやら。でもこれは、冗談でも、気もせいでもないんです。正気の沙汰ではないけれど、でも、本当なんです」

 お清は目に一杯涙をため力強く頷いてから話し始めた。

「私が、茅野原の一軒家を借り受けたのは、もう半年近くも前になりますか。

 たしかに茅野原は全然村として機能していませんで、それどころか、本当にこんなところに人が流れてくるのかしら? という所です。

 私の家があるのは、それでも村の中心と言われる街道から外れたところにあります。周りは茅が生い茂って居まして、半年前はそこを刈り取ることだけで過ぎたようなものでした。

 ですけど、草を刈って庭を広げますと、10竿が広々と置ける庭です。雨が降りましても、部屋は宿屋ですからいくつもあって干せますから、本当にいい家を借りたと思っていたのです」

 お清は番頭が入れてきた白湯をゆっくり飲み、ほぉと一息ついた。

「最初は、気のせいだと思っていたんです。

 茅を刈るのもなかなかの重労働ですし、洗濯をするのも一苦労です。お得意廻りへ行き、洗濯物の回収、配達もなかなかですから、

―ああ、きっと、夕餉を作った気になって居たのだわ―

 と思っておりましたのに、

 二か月ほど前、絶対にさきほど作った朝餉用のおかゆが無くなっていたのです」

「それだけ、人が来ませんと、動物が食べたのでは?」

 という番頭に、お清は弱弱しく微笑み、

「囲炉裏につるしている、熱々の鍋からですか?

 その側に、茶碗と、はしとが転がって、どのような動物が、箸や茶わんを使いますの?」

「確かに、」

「二か月前、いいえ、本当はそれ以前から知っていたのですけど、あの辺りのうわさを。

 でも、信じたくなくて。せっかく手に入れた家ですからね」

 お清はそういって湯飲みを盆に片付ける。

「どんな噂です?」詩乃が聞く。

 お清はさっと顔色を無くし、「幽霊です」と言った。



同刻 小早川療養所

 岡 征十郎より一足先に遺体は搬送されていた。

 岡 征十郎がやってくると、療養所手伝いのおていが

「先生がお待ちです」

 とやってきて、マスク衛生覆面を手渡した。

「先生、岡様が参られました」

「どうぞ」

 そう言って戸を開けたのは、小早川の一番弟子と名乗っている進藤医師だった。若くて力強く、精力家で、意欲的に医療に関わっている。時々好青年とは言えないような横暴ぶりを治せば、いい医者になるだろうと詩乃が言っていた。

 岡 征十郎はマスク衛生覆面が苦手だったが、これを用意され、解剖室に案内されたのでは、何かあったのだろう。と察していた。

「解剖は済みましたか?」

 といった岡 征十郎に小早川医師は首を振り、

「これからなのですがね、脱着し、きれいにし終わったところです」

 岡 征十郎は、小早川の側で必死に何かを書ている男のほうを見た。

「絵師の田村 小斎しょうさい殿です。医学発展のために絵を描いてもらっているんですよ。こういう症状や、事例を皆で共有するためです」

 小早川が説明したが、小斎はひたすらに絵を描いていた。岡 征十郎が入ってきたときにちらりと見ただけで、あとはずっと女の体を描いていた。

「私を中に入れたということは、一体どういうことです?」

 岡 征十郎は、小斎がじっと見ている姿を見ながら―よく見られ続けれる―と思いながら小早川医師に聞いた。

「この傷ですよ」

 小早川医師はそう言うと、女郎の下腹部を指さす。

「それは?」

「手術の痕でしょうね。きれいに縫合されて、抜糸待ちだったようですね」

「長谷川さんが言っていた、カミソリのような痕はこれのことでしょうかね? それで、これは死因ではないと?」

「ええ、開けて見ないとなんの手術をした痕か不明ですが、ですが処置は完璧です」

「では、自殺、ですか?」

「死因は、出血性ショック死大量出血でしょうね」

「しかし、この傷はちゃんと措置していると、申されたではないですか?」

「それではありませんよ。あなたは男だから、興味はあっても、あまり見ていいものではないだろうから、見る、見ないは任せますがね、死因は、いにしえの産物ですよ、引っかきによって行った中絶手術です。

 小早川先生が女郎の股を広げる。岡 征十郎は顔をそむけたが、死因と聞き顔を上げる。ただし―頭のほうから見ているので見えない。

「私が気になるのは、このカミソリ痕です。

 これほどきれいな手術痕は最近のものです」

「二、三日ということですか?」

「あぁ、いや失礼。違いますよ。

 最近の医術で身に着けるべき手法です。そうですねぇ、黒船がやってきて、医者が入ってきましたね、それらから習ったもの、すなわち、この二、三年の間に、医術学校に通ったものによる手術だと思われます。

 ですが、この、中絶手術は、わたしよりも年上、もっと言えば、老人たちの手法。ただし、あまりよろしくない岡場所の専属闇医者ではまだこの手を施すものもいるでしょう。

 彼らに医術向上の意欲はなく、専門たる知識もなく、あるのは、金さえ払えば、どんなことをしてでも中絶させるだけです。

 そこに安全も、女郎のためという道理もないのですよ」

 小早川医師が珍しく感情的になって居た。

「つい先刻、女が一人担ぎ込まれましてね、どうしたものか、岡場所の医者のもとに行き、中絶を頼んだそうですが、あまりにも血が止まらず、痛みもひどいと、駆けこんで来たのですよ。

 今はまだ眠っていますが、処置は済みました。引っかきだされ、処置もそこそこに追い返されたようで。だが、それがよかったのかもしれません、あまり傷がひどくなかった。

 ―この人よりは」

 小早川医師が女郎の遺体に目を移した。

「岡場所の医師が下手人だと思いますか?」

「……解りません。どぶ板岡場所でしたか? ひどい名前です。しかも、劣悪たる場所だとも聞きます。医者という名でそこに居ないかもしれませんよ」

「最新技術といにしえの技術。先生は、二人の医者の傷跡だというのですね?」

「そうです。いや、そうだと思いたいですね。これほどきれいな処置をするものが、こんな原始的な方法をしたとは思いたくはありませんからね」

「解りました。他に気になることがありましたら、またおしゃってください」

 岡 征十郎はそういって頭を下げ解剖室から出た。

 マスク衛生覆面を外していると、手伝いのおていが白湯を出してくれた。

「はやく捕まえてくださいませね」

 岡 征十郎は頷きながらさ湯を口にした。口の中にざらりとした血の味が感じられた。

「長谷川様も自分が捕まえたかったでしょうにね」

「長谷川さんを覚えていますか?」

「ええ。もちろんですわ。

 お女郎さんのご遺体が上がるたびに、こういう場所にこういう傷があるんだが、他殺だと思わないだろうか? なんて聞いてきたのは長谷川様だけですから」

「その説明は簡単だったかい?」

「いいえ、かなりよく覚えておいででしたよ。ですからね、一度紙を渡して、どこですかって、絵で描いてくださいと頼みましたけど、それがまるでだめで、文字にしたって、ミミズのような字で。

 わたし、お侍様は字がみんなきれいだと思っておりましたのに。

 長谷川様はずっと剣術の稽古に勤しんでいて、手習いのほうは苦手だとおっしゃってましてね。でも、わたしでは、長谷川様のおっしゃったことの半分以上も全く覚えていなくて、お役に立てなくて」

「絵師がそばに居れば、それは可能なほどだろうか?」

「どうですかね? それに詳しい……そうですわね、とても詳しい方が聞いて書けば」

 おていが解剖室のほうを指さしながら微笑む。

「それを、小早川医師が見れば判断できるでしょうか?」

「小早川先生はこのの先生です。でも、本当のご遺体が無いのですから、もしかしたら、もうひと方のご意見を聞きたがるかもしれませんね」

「そいつがいれば、質問をして、もっと詳細に解りますかね?」

「そうだと思われます」

 岡 征十郎は頷き、外に待たせていた岡っ引きの寅に長谷川と詩乃を呼んでくるように言った。






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