4 重なり合う花びら

「私の手を握って、霞さんに語りかけて」

「か、語りかけるって、なにを……?」

「それはなんでも構わないわ。『また会いたい』でも、『真実が知りたい』でも。言ったでしょう? 現世にいる者が語りかけたときのみ、怨霊にはこの世との繋がりができるって」


 言いながら両手を差し出す椿。おずおずと握り返す桜。

 端から見れば、花の名を持つ少女同士が繋がった微笑ましい光景。

 しかしこの場で行われるのは、そんな尊さからはほど遠い呪いの儀式だ。


「私の手から力が抜けるまで、霞さんを思って本気で語りかけて。私の手から力が抜けたら、それが降霊成功の合図。質問を始めて頂戴」

「ぎ、儀式が始まったら、椿さんとは話せなくなるんですか?」

「最初の内は、短いアドバイスぐらいはできると思う。でも質問を続けて怨霊が力を増し始めたら、私はほとんど表に出てこれなくなる。まだ質問したいことがあったら今のうちにね」


 言われて桜は頭を悩ませる。もう聞くべきことは聞き終えたが、慎重に慎重を重ねるに越したことはない。

 時間制限があることも、チャンスは一度きりであることもすでに聞いた。怨霊が取り乱す可能性も、それがヒントになり得ることも確認した。基本的なルールは言わずもがな。

 あとは、あとは、あとは――


「――あの。椿さんはどうして、ここまで私に親切にしてくれるんですか?」

「……え?」

「ご、ごめんなさい、こんなときに。でもどうしても気になって。報酬だって、私が『三万円しか今は払えない』って言ったら『ならいらないわ』って言うし……」


 報酬はいらない。それは桜がこの座敷に案内されるまでの間に、あらかじめ聞かされていたことだった。

 だが疑り深い桜は、椿が本当になんの見返りもなく協力してくれるとは思っていなかった。「タダより恐いものはない」という格言もある。そう言って安心させておいて、あとで高額な見返りを請求するつもりかも――という猜疑心がようやく晴れたのは、つい数分前のことだ。


「本当になにもいらないんですか? 私、なんの見返りも求めない善意って逆に恐いんですけど」

「……ずっと思っていたけれど、桜ちゃん思考が大人びすぎてないかしら? もう少し子供らしく素直になっても、私はいいと思うわよ?」

「う……そ、そんなことより、質問に答えてください。答えられないなら別にいいですけれど」


 桜自身、今はこんなことを気にしている場合じゃないと分かっていた。分かってはいたが、どうしても気になったのだから仕方ない。

 目の前の浮世離れした年上の少女が、なにを思って自分に協力しているのか。

 なにを思って、こんな邪道の仕事を続けているのか、どうしても。


「……私はね、桜ちゃん。正直に白状すると貴女のことは……生きている人間のことは、別にどうでもいいの。子供だってどちらかと言えば嫌いだし」

「……へ?」

「貴女に限らず、生きている人の悩みや怨みなんて、所詮は一時的なものだもの。どれもこれも時間が経てば薄れてしまう、一過性のものにすぎない」

「なっ……そ、そんなことは……!」


 あまりにも極端な椿の言い分に、思わず憤慨する桜。自分が感じている気持ちを「所詮は一過性のもの」などと断じられれば、それも当然だろう。

 確かに復讐心など、時間と共に薄れていくのかもしれない。そんなものに後押しされここまで来てしまった天津桜は、どうしようもない馬鹿なのかもしれない。

 でも、それでも。今桜が抱えているこの感情は、間違いなく本物だ。本物の怒りで、本物の怨みだ。それを馬鹿にするのは、たとえ専門家である椿にも許されないはずで――


「――でも、怨霊の怨みは違う。時間が解決するものでも、怨霊自身が解決できるものでもない。いつか永劫に近い時の果てに魂がすり切れるまで、彼らは一生苦しみ続ける」


 一段トーンの下がった声に、桜は押し黙った。押し黙らざるを得なかった。

 それが間違いなく、復讐屋にして霊媒師である古明地椿の本音なのだと、子供ながらにハッキリと分かってしまったから。


「物心ついたころから、私は彼らの声を聞いてきた。先代――お母様が生きている間も、死んで跡を継いでからも。その怨嗟の声を、ずっと聞き続けてきた」

「ずっと、って……もしかして、儀式をしていないときもですか!?」

「もちろん、四六時中というわけではないけれど、ね」


 死霊の怨嗟をずっと聞き続ける。それは一体、どんな気持ちなのだろうか。

 生きている人間の事情よりも、死んだ人間の事情を優先する。そんな風に人格が歪むほどのストレスなど、桜には想像すらできない。


「その声に比べたら、生きた人間の苦痛、苦悩なんて、すべてがどうでもよかった。どんなに悲痛な生者の叫びも、絶え間なく続く死者達の慟哭に比べれば、いつかは泣き止む赤ん坊の癇癪にしか聞こえなかった」

「……つまり。椿さんが親切にしているのは、私じゃなくて――」

「ええ。貴女じゃなくて、今も苦しみ続けている貴女の従姉妹おねえさん。お母様の遺産のおかげで生活には苦労していないから、報酬だって別にいらない。納得してもらえたかしら?」

「……分かり、ました。すいませんでした、直前に変なことを聞いて」


 反論する余地もなく、素直に謝るほかなかった。

 ここまでストレートに本音をぶつけられてしまえば、ひねくれ者の桜も納得するしかない。その本音が、今の桜にとって好ましいものなら尚更だ。


「椿さんが、本気でお姉ちゃんを救おうとしてるのは分かりました。私のことはどうでもいいっていうのは、この際置いておきます」

「あらそう。なら……今度こそ、そろそろ始めましょうか」

「はい。お願いします、椿さん」


 繋いだ椿の手を、強く握り返す。

 先ほどまで感じていた未知の儀式への不安感は、すでにない。

 

 ――だって、この人は。

 見ず知らずの私の従姉妹おねえちゃんを、本気で救おうとしているのだから。

 その理由が歪んでいるかどうかなんて、今はどうでもいい。

 

 なら、信じないと。

 信じて、言われたとおりに。きっとどこかにいる霞の霊に、本気で語りかけて――


「――聞こえていますか、霞お姉ちゃん。私です、桜です」

 

 ぎゅ、と。

 重なりあった手が、より一層強く握られる。


「お姉ちゃんは、今の私を見てどう思っているでしょうか。……きっと怒っていると思います。お姉ちゃんは優しい人だったから」


「でも、だからこそ私は許せないんです。そんな優しかったお姉ちゃんが、不条理に殺されてしまったのが。その犯人が、今ものうのうと生きているのが」


「お姉ちゃんが犯人を許すと言うのであれば、私も素直に諦めます。そもそもお姉ちゃんはとっくに成仏していて、私が一人で空回っているだけなのかもしれません」


「でも。もしお姉ちゃんが、今も苦しんでいるのなら。犯人が許せなくて、怨めしくて、復讐しないと成仏できないなら。私に、その手伝いをさせてください」


「こんなこと、子供が思っちゃいけないのは分かってます。でも、どうか……私の声が聞こえてるなら、どうか……私にお姉ちゃんの無念を晴らさせてください……!」


 ほとんど無意識のうちに、桜は頭を下げていた。

 それがこの説得を聞いている霞への懇願なのか、それとも違う『なにか』への祈りなのかは、桜自身にもよく分からなかった。

 いずれにせよ――


「―――ぁ」


 懇願に応えるように。祈りを受け入れるように。

 ふっ、と。強く握った椿の手から――力が、抜けた。

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