第4話 告白

「……勇者様?」


 教会に一歩踏み入れたら、当たり前のように彼女はいた。

 鎖の音を響かせながら、勇者の再訪に目を見開いた。


「お帰りになられた筈では……?」

「聖女様」

「はい」

「貴女に伺いたいことがあります」

「私に?」

「そうです」


 突然の言葉に驚きながら、聖女はゆっくりと微笑み、頷いた。


「もちろんです。どのようなことをお聞きになりたいのでしょうか?」

「貴女は自由が欲しくはないですか?」

「え? 自由?」


 単刀直入過ぎたせいか。

 聖女は目を丸くした後、戸惑いを隠せない様子で曖昧な笑みを浮かべた。


「申し訳ございません。仰っている意味が分からないのですが……」

「貴女は俺達を英雄だと言っていました」

「ええ、勿論です」

「それは貴女にも当てはまることだ」

「……」


 肯定はなく、ただ静かに勇者を見つめていた。

 感情が読み取れない。

 思わず怖気づきそうになりながらも、勇者は言葉を重ねた。


「聖女様、貴女はこの国のため、世界のために必死に尽くしていらっしゃいました。それこそ、ぽっと出の『英雄』なんかとは比較ならないぐらいに」

「……聖女として当然のことをしたまでです」

「だとしても、俺は貴女が罪人になるなんて納得できない」


 誰かのために犠牲になって、強要されて聖女になった一人の少女。

 幾千年もその犠牲を糧に、世界を生き永らえてきた。


 なのに、それ以上の物を差し出せなんて、

 その犠牲が罪としてしか見られないなんて、

 あまりにも救いがなさすぎる。


「聖女様、もし貴女が自由を欲しているのでしたら、どうか俺の手が取って下さい」

「……」

「俺が必ず貴女を救ってみせる」


 柄にもない言葉に内心頭を抱えたくなったが、それでも言ったことに後悔はない。

 ただ、聖女は黙り込んだままで、若干不安になってくる。


「聖女様――、」

「勇者様」


 言葉を遮られた。

 こんなことは初めてだった。


「は、はい」

「勇者様は聖女になる子供を教会が買い取って、聖女として教育を受けさせるという話をご存じですか?」

「え、あ、はい」

「では、その子供は飢えて死にかけて、行き場を失って途方に暮れることが条件なのはご存じですか」

「え……」

「聖女として意味を与えられることが、その子供にとっての唯一の救いになるのです」


 そうすることで、生まれた意味を見出し、飢えることも苦しむこともなくなるのだ。ドラゴンに喰われ、犠牲になるその日まで。


「私の髪は異端でした。後に神父様方が稀有の力を持っていると称賛されるまで、私の両親は勿論、周囲の人々は皆、私を怖がって、食事を与えることさえ厭っていました」


 中には、彼女の髪と瞳の色から、ドラゴンの化身ではないかと囁かれ、殺されそうになったことさえあったと言う。

 食事を与えらないのは、まだよかった方だったらしい。


「生きている意味どころか、考える気力さえ湧かないまま、日々を過ごしていた時でした。神父様達に、救われたのは……」


 買い取られたことを救いと称した時、初めて聖女は嬉しそうに微笑んだ。

 こちらが泣きたくなるほど、酷く悲しい笑みだった。


「聖女になる、なれるのだと知って、初めて私は人生の意味を知ったのです」

「聖女様、」

「そう呼ばれることが、何より私には嬉しいのです」


 生きている意味を再確認できるから。

 そう呟いて、笑う少女に何と声をかけていいか分からなかった。


「勇者様達がドラゴンを倒されたと知った時、私は喜んだのではありません。生きる意味を奪われてしまうのが怖かったのです」

「……!」

「ですがそれは杞憂でした。罪人として、聖女として、この教会に縛られると知って、心から安堵したのです」

「聖女様……」

「こんな人間なのです、私は。勇者様」


 声をかけられて、再び目が合った時、勇者は息を呑んだ。

 今にも泣きそうな顔をした、紅の瞳を見たからだ。


「私を軽蔑されたでしょう。ですから、お願いです。自由にしてみせるとか救ってみせるとか冗談でも言わないで下さい」

「……」

「お願いですから、勇者様、どうか私から、」


 怖がっている子供の顔で、震える声が耳に届く。


「生きている意味まで取らないで……っ」


* * * 


 俺は勘違いをしていたのかもしれない。

 目の前で泣き出す少女の姿に、勇者は思った。


 この少女をどこかで完璧だと、誇り高い聖女の姿だと思い込んでいた。

 いつも人々のために祈り、人々を祝福し、聖女の微笑みを浮かべている。

 気付きもせず、気付こうともしない。

 この少女の心の叫びを聞くまで、彼女が何を思っているかなんて考えたこともなかった。聖女だから、その心の中は常に人々のためにあると。


 これでは聖女を罪人に仕立て上げた教会や、蔑む人々と同類ではないか。


『聖女様だって、一人の女性だ』


 剣士の言う通りだった。


「聖女様」


 びくりと少女の肩が跳ねた。


「俺は勘違いしていました」

「っ」

「俺も弱い人間なのです」

「……え?」


 予想していた反応と違ったのか。

 聖女は泣き濡れた顔で、呆けた顔をした。


 ああこんな顔もするのだなと初めて知った。


「俺は勇者とか英雄とか言われていますが、本当は臆病で弱くて、傷付くのが何より嫌な人間なんです」

「勇者様……?」

「そんな風に貴女から言われる資格のない人間です」


 実際、ドラゴンを倒すために教会から選ばれた際、俺は恐ろしくて震えていたのを覚えている。絶対に死ぬと、無理だと、言って、


 お前ならできると両親から見送られた際も、

 王都に着くまで、馬車に揺られている時も、

 本当は逃げたくてたまらなかった。

 魔法使いや剣士に逃亡を阻止されたのは一度や二度ではない。


 遺書も認めた方がいいのではないかと悲観的になっていた。


 そんな時だった。聖女に出会ったのは。


「教会で出会った時、俺は貴女に光を見出しました」

「え……」

「貴女が犠牲にならない世界が欲しかったのです」


 ドラゴンの贄としてその身を犠牲にされると知ってもなお、人々のために祈りを捧げる少女の姿に、心奪われるには十分すぎるほどの衝撃を受けた。


「世界のためじゃない。誰でもない、貴女が笑える世界が欲しかった」

「ゆう、」

「貴女が好きです」

「!」

「教会だけじゃ分からない、世界を知ってほしい。俺と一緒に笑ってほしい」


 勇者はその場に跪いた。息を呑む聖女に、勇者は言った。


「もう一度言います。俺の手を取って下さい。俺が必ず貴女を救ってみせる」

「……っ」


 紅の瞳の揺らぎを見つめながら、答えを待つ。

 やがて、聖女の口からゆっくりと開く。


「私は―――、」

『勇者!!』

「「!?」」


 切迫した声が教会に響く。

 聖女と勇者の前に、揺らぐ魔法使いの姿を見た。

 幻覚の魔法を応用した、高等魔法だった。


『告白の最中ごめん!! でも、今大変なの!!』

「なんだ、どうした!?」

『とにかく移動魔法を使うから、早くこっちに来て!!』

「……っ」


 魔法使いは良くも悪くも呑気だった。それは彼女の年齢にそぐわない力と自信が培ったものであった。ドラゴンと対峙した時でさえ、動じたこともなかった。


 だからこそ、その切迫した声が事態の深刻さを物語っていた。

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