第35話 二人目

「一応確認だけど、受付であたしのことを聞いたのはあんたたちでいいんだよね?」

 零は眠たげな眼を手でこすりながら、僕たちに疑問をぶつけた。

 僕は先輩に目配せをして、どうするかお互いに同意をとっておくことにした。先輩は僕の視線に気がつくと小さくうなずいた。

 零がどういった意図で尋ねたにせよ、嘘をつく意味があまりない。嘘をついて、機会をうかがうことができるほど僕たちに余裕がないからだ。


「そうです。私たちがあなたに会いに来たのです」

「ふーん、見たところ警察ってわけじゃなさそうだけど……?」

「僕たちは、警察の依頼で君に話をしに来たんだ」

「なるほど、だけど警察官が普通の高校生を頼るはずなどないだろうね……ということは、あんたたちは私の推理が正しければだけど、ファンタジー生物ってことになるわけだ」


 こちらを警戒しているのだろう、零はあまりこちらに近づいては来ない。それどころか、僕たちの話を聞くたびに一歩ずつ下がっているような気さえする。

「それで……どっちなんだい?」

「どっちとは?」

 彼女が口に出した『どっち』という言葉の意図がわからず、僕は思わず口にしてしまった。

 その僕の言葉が決定的だったのだろう、彼女は後ろに大きく飛びのいた。

 警戒している相手にとって、質問の意図がわからない相手というのは、ほとんどの確率で敵でしかない。なぜなら、味方以外はすべて敵だからだ。だとするなら、味方同士では何らかの合図というものを用意しているというのが当たり前のことだ。

 いかんせん、僕たちは、田中という男から詳しい話を聞けたというわけではない。少しぐらい過ちがあるのは仕方のないことだろう。しかし、この状況においては実に軽率な行動だった。


「なるほど、結局ファンタジー生物ってやつはどいつもこいつも、自分の利を優先する糞っ垂れってことだね。あたしのように正しさってやつを持ち合わせてはいるのだろうかね?」


 零は先ほどよりも憂鬱な表情で僕たちを睨み付ける。

 これほどまでに敵意を見せつけられては、話し合いをできるような期待はわずかにももてないことだろう。いや、最初に会った時からそれが無理だということは、僕でさえ何となくだがわかっていた。

 このまま相手から話を聞くというのはかなり難しいことだが、不可能ではない。相手がまるでしゃべらなくならなければなんていうことはないのだ。僕にとってはね。


「僕たちも必死だからね」

「あんたが必死!? ふんっ、笑わせてくれるね。あたしはいつ殺されるかと不安で毎日眠れないって言うのに……」

「殺されるだと?」

「所詮あたしたちは化け物だからね……人間様にとって危険だと知られたら、殺されるに決まっているだろう」


 構えを解かずに、恨めしそうに言う零は、実のところそれほど不安を感じていないことがわかる。彼女の口から嘘が零れたからだ。『不安』それは彼女にとってそれほど大きな障害足りえない。彼女の言葉がそう表している。

 なぜだかわからないが、僕には彼女の嘘だけでなく、本当の考えすらわかるような気がした。

 だからこそ、僕は彼女に聞いておかなければならない。


「君は何をしたんだ? 何もしていないなら僕たちを襲う必要性なんてないだろう?」

「馬鹿だね、殺す理由なんて一つだけだろ――」

「――危険なFAを全員殺すってことですか?」

 先輩が横から口を挟んだ。

 全員殺す。その必要性がどこにあるのかわからない。もし先輩の言葉が真実なら、彼女は何のためにFAを殺そうと思ったのだろう。僕は先輩の言葉に疑問を持った。

 だがそれも、零の表情が苦悶へと変化したことによって晴らされる。


「読まれないようにしていたはずなのに……どうしてあたしの心が読めた?」

「私から意識を外しすぎです。おかげで嫌なことまで見えてしまいましたよ……本当に残念でなりませんがね。私も少し感が鈍ったようです、自分の能力のことを他人に話してしまうなんてね」


 得意げに先輩はそういった。

 それは僕でさえ知らなかったことだ。お互い言わなくてもいい能力については話さないから当たり前のことだが、少しだけ驚いた僕もいる。

 そんな僕を見て、零は何かに納得したかのように小さく頷く。

「なるほどね……だけどそこまでわかったのならあきらめもつくだろう? この状況が……二対一という構図がどういった結末を迎えるかということがね」

 彼女は自分に不利な状況をみて、さも自分が優位であるかのようにふるまっている。

 まるで意味が分からない。僕の頭が悪いからか?


「いいえ、私は状況を理解しているつもりですが、あなたの思うような状況とは違います。本当はもっと膨大な時間を消費して、ようやく理解できるはずだったことをたった数秒の油断からあなたは私に教えてしまったということですよ」

「違うな、あたしが言ってんのは理解できようが関係ないってことさ。気づいた時には、時すでに遅しってやつだ」

「確かにあなた達は、すごいです。私よりも優れた力を持ち、心に対しての理解だって私よりかは上でしょう。もしかしたら私よりも知能が高いのかもしれない。だけど、それでも、あなたたちはもう詰みってことですよ」

「強がりを……」

 零も先輩も、自分が優位であることを絶対的に信じているらしい。だが、僕にはまるでわからない。二人の話している内容も、零が余裕であるかのようにふるまっていることも、二人が一切嘘をついていない理由すらも。


「先輩、一体何の話をしてるんです?」


 これ以上は後から理解するのも無理になると思い、僕は焦りからか大きな声を上げてしまった。

 大きな声に驚いたのか、先輩は僕の方を振り向いたものの、黙り込んでしまった。それに呼応するかのように、誰かの声が聞こえ始める

『残念。いや、これほど幸運なことはないかも。わたしのことに気がついてくれたからね』

 僕は思わず頭を押さえた。しかし、声の主は、僕のことなど気にも留めず、続けて話す。

『まあ、わたしのおかげというのもありますでしょうが、ともかくこれでようやく解放されます』

 どこから聞こえているのかわからないが、僕は声が聞こえるたびに頭が痛くなって、とても不快な気分だ。

「……誰だ……っ!?」

 頭が割れるようだ。

『わたしは宮下アヤメ……』

「宮下アヤメ……?」

『と言っても、あなたの思い浮かべている宮下アヤメとは違うけどね』

「……違う?」

 頭が痛すぎてまともに思考できない。


「なるほど、どこに行ったのかと思えば……そういうことか。だけど、そもそもあんたは勘違いしているよ。こいつの能力をね」

 僕とは対照的に零はすべてを理解したようでがっかりしたような、はたまた嬉しそうな表情を見せたかと思うと、次の瞬間には、とてつもなく冷たい目で僕を見つめる。

「結局、そいつは始末しなきゃいけないってことか……馴染みを殺すことほど嫌なことはないんだけどね!!」

「僕はお前のことなんて知らないっ!」

「あんたのことじゃない……宮下アヤメのことさ!」


 その言葉を口にすると同時に、零と僕の距離がいっきに近づいた。彼女が近づいたのかと言えばそうなのだが、その挙動はまるで見えなかった。それどころか、僕には風圧も何も感じられない。うまく言葉で表現するのなら『時間を止めて近づいた』と、そう感じるぐらいに風は静かだ。

 だからといって、零の攻撃が早いというわけではない。いや僕の反応速度ぐらいは簡単に上回るスピードだというべきなのだろうが、それは不意を突かれたからだ。

 僕は彼女が懐から出した小さなナイフ、いや医療用のメスというのだろうか、ともかく彼女の右手に握られたそれが目に入ったところまでは覚えている。このときばかりは後悔した。――少しぐらいスポーツでもやっていればよかったと。

 そこからは一瞬だ。頭の中では、僕が生まれてからずっと見続けたものがフラッシュバックし、頭をパンクさせる勢いで流れていく。これこそが走馬灯というやつなのだろう。しかし、僕には幸せってものが人よりも不足している。思い出すのは嫌なことばかりだ。

 母と父に敬遠されていいたような思い出や、近所の人から差別された思い出、兄に嫌みを言われる思いでなんて最高に息が詰まる。

 もっとも、一番多く思い出したのは妹のことで、その次は先輩や先生のことだったから、ある意味では僕は幸せ者なのかもしれない。


『あきらめるにはまだ早いよ!』


 頭に強い衝撃がはしる。僕は条件反射的に頭を抱えてしゃがみ込んだ。それがよかったのだろう。先ほどまで目の前にいた零は数歩ほど後ずさり、自身の右手を抑えながらこちらの様子をうかがっているようだ。

「誠君! 大丈夫ですか!?」

 先輩が大きな声で叫んでいる。

 頭に響くから、できれば大きな声で話すのをやめていただきたい。


『あと少しぐらいなら力も残っていたようだね……最後ぐらい力になれてよかった……』

「お前は一体何なんだ……何が言いたいんだ……?」


 それから宮下アヤメを名乗る声は聞こえなくなった。

 まったくわけがわからないが、どうやら僕は声の主に助けられたらしい。助けられたと言っても、相手の能力もよくわからない状況で、相手の能力を素早く動くことができる能力だと仮定した場合、少しだけ寿命が延びたに過ぎない。

 なんといっても、声の主は置き土産に言葉通りの頭痛の種を残して行ってくれたわけだ。


「右手が言うことを聞かない……流石アヤメ……あの人と同等の力を持っているとは……だけど、これでチェックメイトってわけだ。なんて、そうなればよかったんだけど……さてどうしようか?」

 彼女は自分の右手をメスで突き刺して、誰かに問いかけた。

「どうするも何もないでしょう? 葉月さんに気がつかれてしまったのだから黙らせるに決まっているじゃない」

 零の問いかけに呼応するかのように、その人影は突如として現れた。

「宮下さん……やはり約束は守られなかったようですね」

「護ったじゃない。アヤメは人を一切傷つけていないのだから」

「解離性同一性障害ですか……」

「ご明察、私たちはいわゆる多重人格ってやつで、アヤメが主人格。アヤメが余計なことをしなければ、私の勝ちだったわけだけど、残念……お気に入りを二つも壊すことになるなんて」

 宮下が何かをいっているが、僕にはそんなことどうでもいい。


「本物の宮下アヤメはどこだ?」


 僕の問いかけに彼女は苦笑いを浮かべた。

 それがまた僕に焦燥感を抱かせる。宮下アヤメが、事件の犯人じゃないとするなら、つまりそれは宮下アヤメがただのクラスメイトであるということの証明に他ならない。

 だからこそ、それは僕が証明するべきだ。

「まだいるわよ。私の心という名の牢獄にね。まあもう二度と出てくることもないでしょうけど」

「どういう意味だ!?」

 目の前に立つ宮下は嘘をついていない。だがその代り、僕が今まで見てきたことがないような不気味さをまとっている。嘘とか、本当とかそんなことが些細なことだと思えてくるほどに、彼女は冷たい殺気をまとっている。

「私より精神も力も弱い主人格が出てくる必要ないでしょ? 簡単なことよ。心なんてものに囚われて、自分の能力すらまともに使いこなせない男なんかに、心を託すからそういうことになる。あとは私に任せればいい。出てこなくいいのよ……アヤメは、あなたの嫌いなものは全部私が破壊してあげるから」

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