第6話 まんぷく笑劇場

 知っている人は知っている。昭和の名作漫画『のらくろ』が良質なめしテロ漫画だったという事を。


 原作者の田河水泡たがわすいほう先生は、他の作品においても食いしん坊キャラを登場させてましたが、『のらくろ』の主人公、野良犬黒吉のらいぬくろきちに勝る食いしん坊はまず居ないでしょう。



 猛犬連隊もうけんれんたいに所属していた軍人の頃は、つまみ食い、盗み食い、早弁の常習犯(これはのらくろ直属の部下、デカや破片にもある悪癖)。


 依願免官いがんめんかんの後に海外に渡り、炭鉱夫を経験して日本に帰国した直後の放浪時代には、お世話になったお宅で遠慮なしに大量のご飯とオヤツを戴くなど、その行動パターンは全くブレませんでした。


 野良犬と名が付く通り、仔犬時代に川に捨てられて苦労に苦労を重ねて生き延びてきた彼を、心身共に癒してくれるのは美味しい食べ物。軍隊に入った動機も「ご飯と寝床の保証がある」、ただそれだけだったのです。



 大昔、横浜シネマ商会で製作された短編アニメーション映画『のらくろ伍長』(1934年/漫画・演出 村田安司)にも、祝日で暇をもて余すのらくろが屋台で焼き鳥をムシャムシャ食べるシーンが出て来ます。


 ところがいつもの楽しげな食事風景とは違う様子。ここに来る前、軍の宿舎の部屋で「伍長にまで昇進したものの、それを報告して喜んでくれる親も居なければ帰る家もない」と深刻につぶやく下りがありました。


 馴染みの屋台でどれだけ美味しい焼き鳥を食べても、店主の親父さんと楽しげに語らっても、その背中にはどこかうら寂しい雰囲気が漂う。思わぬところで、孤児であるのらくろの心情が垣間見えます。


 なお、ここで登場した気さくなご店主、何と戦後に自分の娘(おぎん)がのらくろと恋愛結婚した流れでのらくろの義父に転じるのですが、それは余録。



 話を食べ物の方に戻しましょう。



 『のらくろ』は戦後間もない頃、マイナー系出版社から描き下ろし単行本が幾つか刊行されましたが、古書で買うととんでもないプレミア価格になる為、そう簡単には入手出来ません。


 容易に読めるのは【国立国会図書館デジタルコレクション】に収蔵されている『珍品のらくろ草』(一九四九年/神田出版)の電子書籍(無料で閲覧可能)。本編にも、お馴染みの飯テロなシーンが見開き二ページに渡りバッチリ描写されております。



 戦後、求職者と言う名のホームレスに転じていたのらくろが、いつものドジを発揮して金庫の中に閉じ込められ、一週間飲まず食わずで瀕死の状態になっていたところをどうにか助けてもらうのですが、その際にお世話になった植物学者の先生のお宅で、まあ食べること食べること。


 先生の奥さんと娘さんも優しい人たちで、すっかり痩せ細ったのらくろにこれでもかとご馳走を振る舞います。


 白飯に鳥肉のお惣菜、ボリュームたっぷりの食パン、ふかしたさつま芋にお汁粉(お代わりし放題)、大盛りのうどん。食後のデザートに餅菓子とリンゴ。残さず戴いたのらくろは飢餓状態からすっかり回復……ではなく、急激に食べ過ぎたせいで苦しんで寝込んでしまう始末。漫画ですから、しばらく経てばあっさり治るのですが。


 大食漢ののらくろが食べられないのは、カエルの丸焼きといったゲテモノ料理くらいかしらん。



 なお、のらくろの食い意地について言及した作品は田河水泡作品だけにあらず、昭和五十九年(一九八四年)に雑誌【丸】にて発表された『のらくろもどき』(著者・手塚治虫)があります。


 要するに公認のパロディ漫画なのですが、田河水泡先生の執筆時期に沿った絵柄を忠実に再現しているのが特徴。話の中でのらくろが腹を空かすに従い、キャラデザインは時代を逆行し、最後にはとうとう四本脚で歩く初期の姿に。やっと白飯にありついた場面では擬人化が殆ど解けていました。


 作中に登場した田河先生いわく「手塚君、くれぐれもマンガの主人公にはひもじい思いをさせるなよ」。この台詞こそが、のらくろの本質を突いています。

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