昭和回顧録 ときたま☆こらむ(同人誌再録版)

こゆるぎ美冬

第1話 だるだるストーブライフ

 筆者が子供の頃、ぶっちゃけると昭和五十年代、学校の各教室に設置してあった暖房器具「だるまストーブ」。これは俗称で正確には鋳物いもの製の石炭ストーブです。いったん燃えると火力が強くて長持ちする為、一頃は国鉄(現在のJR)駅の待合室でもよく使われていました。


 小学校の教室だと、石炭ストーブの上に水を張った蒸発皿(かなだらい)を乗せて、そこに給食の瓶牛乳を入れて湯煎で暖めるのが定番でしたね。温まった牛乳にミルメーク(※粉末タイプの牛乳用調味料。当時はコーヒー味が主流)を入れて飲むと満足度がUP。



 時代が進むにつれ石炭ストーブは姿を消し、代わりに電気やガス、灯油ボイラーなどで動くセントラル・ヒーティングが台頭していく訳ですが、安全性と引き換えに心躍る原始のロマンは失われていった気がします。


 例えば真冬の寒い時期、授業中に突然石炭ストーブの火が消えたとします。いつもならストーブ脇の石炭箱に置いてある予備の石炭も、こういう時に限ってスッカラカン。校舎に隣接してる石炭置き場まで足を運ぶには時間がかかるし、だいいち重くて運ぶのが大変。


 そこで担任の先生は慌てず騒がず、お隣の教室にお伺いを立てて火種を分けてもらうのです。十能じゅうのうと言う鉄製の炭用スコップに燃え盛る石炭を乗せ、床に落とさない様に速やかに自分の教室に戻り、石炭ストーブの炉の中に入れて授業再開。休み時間になったら改めて石炭を補充……と、現在こんな行いをしたら大問題でしょうけれど、当時はこれが普通。まあちょっと大胆かなぁと思われる程度で、誰にも文句は言われませんでした。


 で、こんな光景を見続けてると周りも当然、感覚がマヒ。高学年の教室では休み時間中にストーブの火が消えると、先生の許可なく生徒たちが勝手に火種をお裾分けし合ってましたね。特に男子たちが嬉々として実行。皆こぞって、「危険な任務をこなしてる俺」に酔いしれるのです。



 実のところ、当時の石炭ストーブは生活に密着し過ぎていた為、危険物という認識に欠けていたと思われます。何より、小学校の教室の石炭ストーブに安全用の柵を設けていなかった。


 煙突ガードすら無い為、生徒が昼休みにうっかり煙突に触れるなど日常茶飯事。火傷を免れても、着ているジャージの一部がジュワッと溶けて大穴が開く珍事もありました。それでもPTAで問題にならなかったのは、ひとえに昭和の大らかさでしょう。改めて思い返すと凄い時代。



 平成も終わりかけてる現在、昔ながらの「だるまストーブ」(石炭ストーブ)をあてがわれたとしても、自分は素直には喜べません。使える場所を確保するだけでも大変ですし、維持費もかかる。煉瓦れんが作りの暖炉と同じく、今では敢えての不便さを楽しむ贅沢品です。


 赤々と燃える石炭の輝き、ストーブ本体からの直接的な輻射熱ふくしゃねつ、瓶牛乳をじっくり温める蒸発皿からの湯気。それらの一つ一つに新鮮な感動を覚えていたあの頃から、ずいぶんと遠ざかってしまった感があります。

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