第一章 6 『青天井の悲鳴』

 ──透き通るような空気を切る風が街路樹の葉を揺らしている。


 太陽はちょうど天辺まで昇っており、影の面積が一番少ない時間帯になっていた。


 ここは檻の中。現実世界とは別の世界。出る事の許されない檻の世界。


 蠢く陰に怯えながら生活を強いられる空間。


 立川たちはまたあの薄汚い建てかけの建築物にある地下に集まっていた。


 今日はそこに八人しかおらず、茂木を中心とし円を描くように見合っている。立川、夏田、茂木、昼神、加賀爪。あとの三人は見た事がない人物だった。


 その場にいる人間は討伐団の証でもある戦闘服を着用している。


 ──たった一人立川を除いては。


「今日は人数少ないんだな」


 立川は隣にいる夏田に囁いた。


「今は現実でも昼だからね。人数は必然的に少なくなるの」


 夏田は茂木を取り囲む他の五人を見渡しながら同じように囁く。


「それで今回の『見回り』と『討伐』はどう分けるんだ」


 茂木の右前に位置する場所にいたスキンヘッドで筋骨隆々の男が重々しい声を上げる。

 その男は背中に巨大な長方形の盾を背負っており、立川はそれが男の具現器だとすぐにわかった。


「今まで通り二人一組で行動しよう。志村、君は引き続き井上と本部に近づいている幻妖の行方を追ってくれ。もちろん、できることなら討伐して欲しい」


 盾を持った男は隣にいる金髪で鼻ピアスをつけた男の背中を笑いながら叩いた。

 おそらく、盾を持った男が志村で鼻ピアスの男は井上だろう。

 普段から仲が良いのか背中を叩かれた井上も笑いながら肘で志村を小突く。


「それから慶と凛花は見回りを頼みたいがここから五キロ離れた大学の校内で三体ほどの幻妖が確認されている。今もいるかはわからないが一応そいつらの動向も探ってきてくれ」


 夏田は小さく頷いたが相変わらず常に不服そうな表情を浮かれる昼神は無反応だ。


「そして、立川くんと夜久やどめはハッチの見守りだ。いつもは小出がやっているんだが今日はどうもいないようなんでね」


 夜久とは立川が初めて見た三人の最後の一人だった。

 夜久は大きな瞳に長い睫毛で胸まで伸ばしている髪の毛は茶色に染めており、毛先をウェーブさせてセットしている。


「よろしくね」


 明るい表情で放たれた一言は立川を安心させた。二人一組と聞いて志村や井上、特に昼神となんかに組まされるような事になれば真っ先な見捨てられる気がしたからだ。

 でも、夜久は違う。絶対に見捨てない。会ってまだ数十分しか経っていなかったがそれだけはわかった。根拠は全くないが信じてもいいと思わせるような雰囲気が夜久にはある。


「私は他のシェルターを確認してくる。他の団員にも伝えなければいけない事があるからね。陽太、君はここで監視していてくれ。動きがあれば連絡を」


 加賀爪は敬礼し了解の意を伝える。


「よし、じゃあ──」


 茂木がこの場を締めようとした時、昼神が言葉を被せるように話し始めた。


「ちょっと待てよ。──ここに戦うには相応しくない野郎が一人いるんだがそれに関してはなんとも思わないんすか。遊びじゃねぇんだ。ウチはな、社会科見学お断りなんだよ」


 昼神の目は立川に向いている。その視線を追う形でその場にいる全員も立川を見た。


「確かに。そいつの服装は戦う上では不適切だ。戦うのを認める訳にはいかないな」


 志村も昼神の意見を後押しする。


 しかし、茂木は何も言わずに立川に頷いた。


「──着替えれば僕も認めてもらえるんですか?」


 それに応えるように立川は低く冷たい声を出す。


 茂木と夏田以外の全員は立川があまりに様子が豹変したので居竦んでしまった。

 昼神は悪寒が走るのを感じる。



 ──そして、どこからか風が吹いてきた。


 それに連れられ塵が舞いながら集まり始める。

 その少量の塵は立川の身体を順に包み込み、塵の量は増えてきていた。


 腕だけを包んでいたのが、やがては首と胴体、次に腰、脚にと上から下へ身体中を包む。


 立川は目を閉じる。


 深く息を吸い、吐いた。


 みるみるとその塵は輪郭を見せる。


 再び、立川が目を開けた時には一同が驚愕をしていた。

 具現化を用いて戦闘服を生成したのである。


「こいつぁ驚いた」


 志村は立川がたった今見せた具現化に見惚れていた。


「……ありえねぇ」


 さすがの昼神も動揺しているようで汗が一滴だけ頬を流れ落ちていった。


「すごい……短期間でできちゃうなんて」


 夜久は立川が作り出した戦闘服を指で確かめるように触りながら呟いた。


 短期間の間に具現化を身につけたのも三日前が発端である。



 ──三日前。


 立川が加賀爪の具現器で『創造主の巣』を見たあの日。


 目が覚めてから立川は学校に行くと夏田に放課後付き合って欲しいと頼まれた。


 待ち合わせをして夏田についていくととあるミリタリーショップに辿り着いたのだ。


 そこはお世辞でも綺麗とは言えない見た目をしていて、なんとなく胡散臭い雰囲気を醸し出していた。


 あまりに劣化しているアンテナは今にも落ちてきそうだ。チカチカと並んでいる電球が赤と緑の光を交互に出しているのもなんとも安っぽい。

『ミリタリー・シ ッフ』と色々なものが無くなっている看板はその安っぽさに拍車をかける。


 店のドアを夏田が開けるとベルの音が鳴り響く。シンとした空間に空気は埃っぽかった。


 店の外見とは裏腹に電動で動くエアガンやガスガン、それに取り付けるための器具やメンテナンスに必要な道具がずらっと丁寧に並べて置いてあった。


 しかし、どれもしばらく動かされていないのか灰色の埃を被っている。


 薄暗い店内に差し込む太陽の光で浮かび上がる埃の粒たちが共に店内に入ったかのように奥へと流れ込んでいっている。


「誰?」


 奥から声がした。男の声だ。声の主は暗がりから差し込んでいた光の中へと進み出てきた。

 赤いエプロンを着ている事から店員だとすぐにわかった。髪の毛はパーマがあてられており、白いシャツにチノパンがだらしなく着こなされているのはエプロンをしていてもわかった。


 目は寝起きなのか眠たそうだ。


「城島さんご無沙汰してます。夏田です」


 夏田は軽く頭を下げてから持っていた紙袋を渡した。大きさと紙袋に印刷された模様からして中身はお菓子だ。


「凛花ちゃんか。いやいや久しぶりだね。あっこれ有り難く頂きますね。今日ここに来たって事は次は彼かな?」


 紙袋を隣にあった棚に立てかけるように置きながら城島は立川と目を合わせた。


「はい。立川 響矢くんです」


 夏田に紹介され立川はお辞儀をする。城島はニコッと笑いながら手を振ってきた。


「じゃあ、奥で見てみるよ。凛花ちゃんはここで待っててね。立川くんは僕についてきてね〜」


 城島は立川を手招きした。夏田を残し、奥へと進んでいく。中に入っていくとそこは一層と暗くなっていき、障子の部屋に入れられた。


「服脱いで」


「え!?!?」


 突然の言葉に立川は思わず声を張り上げる。

 しかし、城島は不思議そうにこちらを向いている。


 ──ここに来た時に城島は『次は彼』と言っていた。これはみんなやってきた事なのか……。茂木さんも昼神も。──夏田も。


 考えても仕方がないと立川は言われるがままに着ている制服を脱いでいき、下着だけの姿になった。

 すると、城島はポケットをゴソゴソと漁りながら続けるように話しかけてくる。


「普段はどっち? S? M?」


「え……」


 やはり、今から何か如何わしい事でも始まるのか。討伐団に入るための儀式だとか何とか難癖をつけられて。立川は感じた事のない種類の恐怖心を抱く。


「ん?……もしかしてL?」


 L? なんだその質問。立川は急に頭がこんがらがった。

 そして、城島のポケットからメジャーが出てくるのを見て完璧な勘違いだと立川は独りで赤面する。




「お待たせ」


 諸々の寸法を測り終わった立川と城島は夏田の待っている店頭へと戻ってきた。


「夏田! 戦闘服の寸法を測るなら初めに説明しててくれよ!」


 夏田に近づきながら言う立川を当の本人はポカンと何もわかっていない顔で見つめていた。

 城島はクスクスと笑っている。そこから咳払いをして城島はケースに入れられている戦闘服を立川に手渡した。


「それで……立川くんの寸法を測るとあら不思議、なんとたまたま元からある服のサイズとピッタリではありませんか。一から作る手間は省けたね。ということでこれをあげよう」


 半透明のケースからは戦闘服が少し透けて見えていた。正直、こういう服も着てみたかった立川は目をキラキラさせる。


「ありがとうございます!」


 手をズボンで拭いてから受け取ろうとした時、横から夏田がケースを受け取る。


「今回はこれを貰うんじゃなくって借りに来たんだからね」


 意味のわからない発言に立川は動かずに手を差し出す態勢のまま固まっていた。


「これから練習するのよ。この服装を具現化して瞬時に着替えるのを」


「は?」


「当たり前でしょ? これは特注品で実戦で使われる者となんの変わりもないボディアーマーよ? タダで作れる訳でもないしそんなに新人が来る度に城島さんに負担を掛けてたら店自体無くなっちゃうわよ!?」


 飛び火した言葉が心を刺し、しょんぼりとする城島をよそに夏田は続ける。


「それにいちいち着替えるよりかは具現化させる方が効率が良いに決まってるでしょ? みんなそうしてるんだから」


 みんなそうしてる? 茂木さんも昼神もこれを具現化させているのか……。立川は初めて昼神がすごいと思った。


 そして、そこから三日間、夏田による地獄の特訓が続き何とか具現化に成功したのだ。

 初めて具現化に成功した時、夏田は信じられないといった顔つきをしていた事からも自身でもすごいことなのだと薄々は気づいていた。




 ──そして現在。


 ハッチの前で立川と夜久は座っていた。防音シートが風に揺られる音を聞きながら、微かに見える青空を立川は見上げていた。


 夜久の方を見ると同じように何を見る訳でもなく空を眺めていた。

 夜久の隣には斧が地面に刺さっていた。グリップの部分は黒く塗られているが木製だとわかる。


「夜久の具現器?」


 立川が聞くと夜久はこちらを向き、斧を見て、またこちらを向いてからニッコリと笑った。


「うん! 可愛いでしょ!」


 夜久は立ち上がり地から斧を引き抜いて見せつけてきた。


「……か……可愛い……?」


 どこが可愛いのか立川には一切わからないが夜久はまるで恋人かのように斧を抱きしめながらグルグル回っていた。


「立川くんの具現器は弓だよね。扱うの難しそう」


「いや、昔からやっていたからもう慣れてるよ」


「へぇー! じゃあ大会とかにも出たりしてたの?」


 好奇心旺盛な夜久はガツガツと人の心に入ってくる。他の話題なら嫌には感じなかったが、この話だけは。あの思い出だけはまだどうも乗り気になれなかった。

 過去の話として整理がついていないばかりに露骨に感情を表に出した立川に夜久は察した。


 気不味い空気と沈黙が流れる。


 そんな沈黙を際立たせるようにまたも風に揺られる防音シートの音が耳に入る。


 しばらくお互いに個々で意味もない行動で気不味い空気をやり過ごそうと試みる。


 立川は弓の先で地面に絵を描いてはそれを靴消し、また描きと繰り返し行なっていた。

 夜久は具現器を日の光で照らしてみたり、素振りしてみたりとしている。


 その状況が続いていた中で立川と夜久は確かに聞いた。


 どこからか現れた雲で青天井が隠されると共に、


 女の悲鳴を。


「悲鳴!? 女の人の声だ」


「きっと幻妖が現れたのよ! 行きましょ!」


 立川は夜久と悲鳴のした方へと走っていく。


 未だに悲鳴は続いていた。悲鳴が近づいてくるつれ、幻妖のい異様な声も聞こえてくる。


 心拍数が上がるのを感じる。走っているからではなく、緊張と危惧からである。


 ずっと悲鳴が頭から離れない。


 いよいよ悲鳴のした地点へと曲がり角を曲がると悲鳴を上げていた主である女がいた。

 そして、幻妖も。


 若い女はパジャマを着ている。


 対して幻妖は肌は深緑色で口は耳まで裂けていた。

 髪の毛の量からして元は男だったのだろう。今では性別も判断できないくらいに人間の原型を留めていなかった。目は見当たらず、尻からは巨大な尻尾が生えている。


 幻妖は女にのしかかり女が着ているパジャマを引きちぎりながら笑っている。


 女は必死にその場から逃げ出そうと幻妖からすり抜けるもまたすぐに覆い被さられていた。


 女は泣き喚きながら、ひたすらに叫び救いを求めている。


 まさに地獄だ。


 立川はただ自分の切れる息と鼓動しか聞こえなかった。


 女の叫び声も、幻妖の笑い声も、夜久の声も聞こえない。


 頭も目も手も脚も動かない。


 ピクリともしない。


 女が襲われる様を見る事しかできなかった。


 そして、ついに幻妖はその耳まで裂けた口を大きく開け、女の頭へと運んだ。


「……わくん……ちかわくん……立川くん!」


 夜久が幻妖へと斧を振りかざしながら叫ぶ声で立川は我に戻る。


 ──いやああああああああ


 同時に聞こえてくる女の叫喚。


 ──動かなきゃ……動かなきゃ……夜久では間に合わない……今自分が動かなきゃ確実にあの人は死ぬ……動け……動け……動け……動け!


「お願い! 立川くん!」


 最後の夜久の声で目が覚めたように立川は腰に掛けてある矢筒に手を入れ一本の矢を弓と交える。


 幻妖の頭に狙いを定め、顎まで矢を引く。


 女の頭はすでに幻妖の口に入り込んでいる。そのまま口を閉じる前にケリをつけるにはこの一本を当てるしかない。


 ──当たる、当たる、当たる、当たる。


「うおおおおおおおおおおおお」


 そして、矢は立川の咆哮と共に放たれた。

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