燃え尽きの正体

 前回で燃え尽きてしまったわけですけど、バーンアウト症候群ともいうみたいです。


 私は本当に漫画を描くのが好きで、アイデアも困ったことがないし、ペンを持たない日はないくらい、常に作品に取り組んでいました。

 しかし、こうなってから、楽しかったことも楽しくなく、普通に出来ていたことも出来なくなり、何に対しても興味がなくなり、感動や喜びといった、心の動きが停止し、無気力の化身みたいになってしまいました。

 精力的に活動を続けていただけに、無気力な自分が受け入れられず、無理やりアイデアをひねりだして漫画を描こうとするのですが、まぁ、それも無茶な話で・・・。

「こんなのは私じゃない!」と、もがきまくってました。


 早くこのしんどい状態から回復しようと、ネットで毎日調べ続けました。

 結果、簡単に言うと理想と現実のギャップが自分へのダメージになるということでした。

 まぁ確かにそうなんです。

 やりたいことや、理想が高いゆえに、現実のやりたくないこと、嫌いな漫画を描かなくてはいけないというギャップに苦しんだわけなんです。





 嫌な仕事、自分に合わない仕事についてしまったとします。そしたら、そこにある選択肢っていうのは、「やめる」か「続ける」の二つですよね?当たり前だけど。


「やめる」を選択した人っていうのは、「自分」を優先した人ではないのかなと思います。自分が不愉快、しんどい思いをすることから避けたい。この仕事よりもっといいところがあるかもしれないと思う。などなど、人それぞれではあると思いますけど、共通するのは「嫌なことから回避する」つまり、「自分を守る」ということだと思います。

 事柄によっては、ワガママとかそういわれることもあると思いますけど、必ずしもそうではないと私は思います。


「続ける」を選択した人っていうのは、「他人」を優先した人ではないかなと思います。

 お金が必要だから。などの外的要因や、世間体、誰かからの評価。もしくは、しばらく我慢していれば環境が変わるかもしれないなど、環境に希望を持ってみたり・・・。

 確かに、嫌な仕事、合わない仕事を続けることは、なかなかできないことだと思いますし、世間からの評判もいいかもしれないし、信頼されるかもしれません。


 仕事が嫌だったら、趣味を持てばいいとかよく聞いたりしますけど、(それで大丈夫な人もいるかもしれませんが)それでは誤魔化しきれない人もいる思います。

 というか、仕事が嫌だったら、趣味を楽しめるか自体疑問です。


「続ける」を選択するということは、「自分を犠牲にする」ことだと思います。

 心、精神には容量があるんだなぁと、うつ病を経験して感じるようになりました。今は良くても、我慢したダメージは必ず精神エネルギーを減らし、あまり回復はしない。


 要するに、何が言いたいかといいますと、嫌なことを続けることは、自殺行為であり、長い将来を考えると、病気になったり、人間不信や精神を病んだり、不利益だということが言いたいのです。




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