完殺の使徒と勇者候補

「おや、勇者候補様がお二方もお揃いで。こちらで仲良くおなりだったのですね。素晴らしいことですわ」


 薊を首吊りにしたまま、少女はにっこりと微笑んだ。

 笑顔に、伸夫の背筋が凍りつく。


 素早く視線を巡らせれば、胸元を血に染めた霞が、壁際でもがいている。

 薊は、いまにも縊り殺されそうだ。

 そして、伸夫と桂湖は揃って全裸である。

 どれひとつ取っても、いたいけな少女が平然と流していい状況ではない。


 歪んでいる。

 狂っている。

 常軌を逸している。

 目の前の、美しい造形をした人型が、断じて理解も共感も及ばない存在だと、伸夫は確信した。

 生理的な嫌悪感と、本能的な恐怖が這い上がってくる。

 背筋が凍り、膝が笑い始め、金玉がきゅうっと縮こまった。


 だが――

 この場を切り抜けられるのは、恐らく、伸夫だけだ。


「わたくしは、お二方をお迎えに罷り越しました。勇者特務神官、【熾天】のあかつきと申します。どうぞお見知りおきくださいませ」


 ローブの裾を捧げ持ち、優雅に一礼する少女――暁へ、伸夫は怒鳴り声を上げる。


「とりあえずを放せ! 俺たちゃソッチの事情なんか知らねえんだ。放さなきゃ一切聞く耳持たねえからな!」

「……よろしいでしょう。仰せはごもっともです」


 言い終えると同時に、薊が床に落下した。

 薊は激しく咳き込みながら、暁を睨んで立ち上がろうとする。


「薊! 一切口を出すなよ。コイツの話を全部聞いてから判断する!」


 そして、伸夫はほんのわずか、背後に庇った桂湖へ目を向けた。

 桂湖は顔面蒼白で震えながら、伸夫へ縋り付いている。


(これでわかれよ薊――!)


 どうにか呼吸を取り戻した薊は、静かに歯噛みすると、気配を殺して霞のもとへ向かう。

 霞は、何度も倒れ込みながら、四つん這いになろうとしているところだった。


(よし。それでいい)


 あの様子なら、霞は致命傷ではあるまい。

 いざというとき、動けるのは一人より二人のほうがいい。

 抱えて逃げてもらうにしたって、手脚は多いに越したことはないだろう。

 逃げる隙があるかは別問題だが。


「それでは、お話を聞いて頂けますか?」

「いいだろ。好きなだけ話せ」

「寛大なお心遣い、感謝いたします。実はわたくしは、ここ地球とは異なる世界の民にございます――」


 薊たちのほうへ意識を向けないよう苦労しながら、伸夫は必死に頭を働かせる。

 なにかヒントはないか? とっかかりはないか?

 この場の勝利条件は? 受け入れるべきリスクは?

 それを探るため、脳みその半分で暁の話を分析する。


 ――曰く。

 神はに祝福を下される。

 しかし、世界を穢すが未だ蔓延っている。

 神は世界を浄化せんと託宣を下され、聖なる軍勢は起こされた。

 されど、民の長年の怠惰はあまりに罪深く、世界の穢れはあまりに多く。

 ゆえに、神は異界の民をも祝福し、勇者たる役目をお与えになる。

 勇者には神の力が分け与えられ、またから特別の報奨がもたらされる。

 その行いは誇りと栄光に満ち、約束された勝利をと分かち合える――


 まるで台本でもあるかのように、淀みない口調。

 語り終えると、暁はまた、柔らかく微笑んだ。

 脂汗を垂らしながら、精魂を振り絞って思考を走らせる伸夫の様子を、気に留めることもなく。


「わかった。それでアンタらは勇者を求めてるんだな。よーく理解できたよ」

「ご理解いただき、深甚に感謝いたします。それでは――」

「ただし!」


 伸夫に遮られ、暁は小首を傾げて微笑んだ。

 緊張に足が震え、ガンガンと頭痛がする。

 言葉を間違えれば、全員まとめて殺される。

 ブツンと唇を噛み切り、気付けついでに頬を解してから、伸夫は舌を動かした。


「……俺たちにも、家族や友達がいるんでね。身辺整理ってヤツをさせてもらいたい。わかるか? 別れの挨拶とか、そういうのだ」

「なるほど。ええ、それは必要なことでございましょう」


 いけしゃあしゃあと。


 膨れ上がる怒りを恐怖で押し殺して、伸夫は続ける。


「だろ? だから、少し時間をもらえないか?」

「もちろんお待ちいたしますわ。いかほど必要でしょうか?」

「……一日だ。明日、同じ時刻に、また来てくれ」

「承りました。どうぞ、お心を安んじなさいませ」

「それと! コイツらは魔族とはいえ世話になった。敵は敵、恩は恩、返せねえのは心残りだ。向こうへ渡るまで、コイツらを始末してもらっちゃ困る」


 そこで初めて、暁は押し黙った。

 鼓動が耳の奥に響き、喉が焼け付いたように乾く。

 足の震えが伸夫の腰まで登ってきたあたりで、暁はようよう口を開いた。


「……わたくしどもの許へおいでいただけるまで、ですわね?」

「ああ。そのあとはもう、俺らにゃ関係ねえ。きちっと始末してくんな」


 暁の微笑みが、伸夫の心臓をひしゃげさせる。


「その御心は、神のご意思にそむくものではございますまい。勇者候補様の御慈悲に免じて、ゴミどもの死は猶予いたします」

「ありがとよ。ワガママ言った分は、向こうでの働きで返させてくれや。ああ、神様にな」

「素晴らしいお心がけでございますわ。それでは、お二方に祝福のあらんことを」


 その言葉を最後に、暁は宙に溶けるがごとく、姿を消した。


 数秒、伸夫の呼吸が止まる。


「行った、か……?」

「……わからぬ。が、そう判断すべきか……」

「いや、もうムリ。もう限界」


 背後の桂湖にもたれるように、伸夫はずるずるとへたり込んだ。

 桂湖も、伸夫の背に縋り付いて座り込む。


 一日。稼いだ。


 自慢してもいいだろう。


 服を着ることすら思いつかず、伸夫は深々と息を吐く。

 喉にくっきり痣が残った薊が駆け寄ってくる。

 そして、ズガンと床に頭をこすりつけた。


 土下座である。

 魔族の文化なのか、それ。


「すまなかった! あれだけ大口を叩いておきながら、君に助けてもらうことになるとは……情けない限りだ。どうか許して欲しい」

「ホントだよもう。勘弁してくれ。あーーーーーーービビった!」


 体の震えが止まらない。

 トラックとも、風呂場での転倒とも比べ物にならない、凄まじく濃い『死』の気配だった。

 心臓を鷲掴みにされた幻の感触が、生々しく残っている。

 当分、アレがナニしそうにない。


「しかしまあー、おっかねえ姉ちゃん……でいいのか? ガキじゃねえよな……なにあれ、一応人間?」


 努めて軽薄に尋ねる伸夫へ、薊も正座に直って答える。


「ある意味、あれこそが『人間』とも云える。信仰心と戦闘技能を幼い頃から刷り込まれた、純粋なる神の下僕だろう。まあ、さすがに子供ではあるまい」

「だよな」

「ああ。ある魔王を討ったのもああいった者どもだと言われているが、まさか異世界にまで送り込んでくるとは……」

「それだけ、連中も『勇者』の戦力化に本腰を入れているということですね……」


 足を引きずるように、霞が歩み寄ってくる。

 応急処置は終えたようだが、未だ呼吸は荒く、脂汗が浮かび、苦しげに脇腹を押さえている。

 壁際の血溜まりからして、ひどく内臓を傷つけたか。

 伸夫なら悶絶しているような重症だろうが、態度だけはクールに保って、霞は問いかける。


「それで、ノブオ。あなたは結局、どうするつもりなのですか?」

「あ? 聞きてえのはこっちの方だよ。明日またあの姉ちゃんが来た時、ちゃんと追っ払ってくれんだろうな?」

「そ、それでは……」


 暗中光を見出したと言わんばかりの薊に、伸夫は口をへし曲げて答えた。


「ま、提案そのものは悪くねえが、アレについてくなんてヤだね俺は。人選ミスだよ人選ミス。おい桂湖、お前は?」

「絶対ムリ!!」


 伸夫に取りすがったまま叫ぶ桂湖に、伸夫は肩をすくめる。


「だってよ。俺としちゃあ、死ぬしかねえならちったあ楽に済ませてえんだけど?」


 伸夫の皮肉を鼻で笑って、霞は桂湖へ歩み寄った。

 裸の肩を抱こうとし、己の血まみれの手を見て引っ込めると、すぐそばに跪く。

 桂湖の瞳が涙に濡れて、霞へ向けられた。


「怖い思いをさせて申し訳ありませんでした、ケイコ。あなたが私を信じてくださる限り、私はこの命に替えてもあなたをお護りします。狂信者ごときに負けはしません」

「私も同じだ、ノブオ。この身を賭して君を護る。決して望まぬところへ連れて行かせはしない」

「はいはいもうそういうのいいから、勝算! 二人がかりで鎧袖一触だったじゃねえか」


 すがめた目を向けられると、薊はドンと胸を叩いた。

 堂々たる乳袋が、たぷんたぷんと揺れる。


「簡単だ、。あの傍迷惑の輩とは違って、私たちはこちらの世を騒がせぬよう、力を制限しているのだ。……解放には少々時間がかかるゆえ、此度は見事に裏目に出てしまったが」

「……こっちの基準でいうなら、すでに充分バケモンだぞお前ら」

「それは否定しようもないが、あの程度は実際必要だったろう? それでは事足りぬとなれば、是非もない」


 薊が胸を張り、乳袋がまたゆっさと揺れた。


「君が生み出してくれた機だ。いかな強敵であれ、勝ってみせるとも」

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