異国の姫と狐の嫁

「あちゃー」


 額に手を当てて亮介がうなる、初日から遅刻した留学生が二名います! なんてのは、悪い方向に有名になるのは間違い無しだ。


「お嬢様、とりあえずカバンを、ここは任せて先に講堂へ」


 優男に見えてなかなかの膂力りょりょくでもって、アンシェが門の向こうにシェリーのカバンをトスした。


「アンシェ・ジェイン。貴方、このベンガヴィルの王女シェリー・メノンに従者と民草を見捨てろと?」


 亮介が持っているのと同じくらいの重さだったはずだが、シェリーは黒豹のようにひょいと跳び上がり、飛んできたカバンを片手でキャッチしてアンシェをにらみつける。


「め、滅相も……」


 助けたつもりがヘソを曲げられてしまい、アンシェが口ごもると困った顔で亮介を見た。元とは言えば、自分がもたついたせいで巻き込んでしまったというのもあり、亮介は亮介でどうくぐり抜けた物かと思案する。


「王女殿下、ならば民草の事を思えばこそ、先にお進みください」


 自分一人ならどうにでもなるのだが……と思いながら、亮介はとりあえず頑固者の王女様に先に行ってもらう事にした。同じ異国の留学生でも、王女殿下なら何かと顔が効くだろう。


「理由を聞こうかしら、リョウスケ・タカシナ」

「我々が自力でここを突破できないときには、殿下にご助力を仰がねばなりません。例え異国のアルスターとはいえ、殿下のご威光をもってすれば我々を救うなど他愛もないこと」

「そうね……」


 亮介の言葉にシェリーが顎に手を当ててうなずく。


「貴方、いま“自力で突破と”おっしゃいましたわね? 算段があるのかしら?」


 シェリーの言葉に、亮介は満面の笑みを浮かべた。


「いいから、さっさと行けよ姫さん。ここは高科亮介が引き受けたと言ったんだ」


 急に態度を変えた亮介の、少々バンカラな物言いにシェリーは目を丸くする。


「よくてよ、ここは聞いてさしあげます。式が始まる前にいらっしゃいな、口だけだったらひどいんだから」

「ああ、あんたの従者共々まかせとけ」


 ふふふ、と笑うと身を翻しシェリーが小走りに駆け出して行く。


「……タカシナ君? それで勝算はあるのかい?」

「さてね、リョウでいい。アンシェ、あの門を超えるのに何秒いる?」


 大した高さはない、ざっと八フィートといったところだ。


「登り切るのに十二秒そこらかな」


 ふむ、と涼介はうなずいた。カバンをぶん投げてしまえば、自分もその程度あれば超えられるだろう。


「ちなみに、あの自動人形オートマタはどうやって俺たちを認識してると思う?」


 そう言いながら、亮介が軽く左右に反復横跳びをすると、それを追ってジコジコと歯車の音を立て、古くさい騎士のようなバケツ頭が左右に動く。


「視覚じゃないかな、詳しくはないけど、恐らくセレン光電池を使った光学測定器」

「そいつを、ごまかすにはどうしたらいい?」

「暗闇か、強い光があれば」


 ――なるほどな、精密すぎる……ねえ。


 先程、トーマスが話していたことを思い出す。ブリキのバケツ野郎を誤魔化すより、相棒を説得する方がよほど大変かもしれない。


「了解、まずはこうだ!」


 言いながら、亮介はカバンを校内に放り投げる。唖然とするアンシェにお前もやれよと顎で示すと、渋々と言った体で彼もそれに従った。


「合図したら目を閉じて走れ、上手くいったら今週の昼飯はお前の奢りな」

「いいですよ、よくわかりませんが、お安い御用です」


 もっけのさいわい周りに誰も居ないのを確かめて、亮介は財布から銀貨二枚を取り出した。今月は金欠もいいところだ、晩飯は諦めなきゃならないだろうが仕方ない。


「茜」


 コートの襟飾り風に止められた、ふわふわの襟巻きをなでて亮介はつぶやいた。


「あい」

「二日と一晩」


 すこし間を置いて、不満そうに返事が帰ってくる。


「やだやだ、三日と三晩」

「明日の日暮れまでだ、代わりに銀貨を二枚やる。俺が学校に居る間は買い食いしてていい」

「ほんとっ? やるやる! なにをしたらいい?」


 買い食いと聞いて手のひらを返す相棒に、涼介は小さく吹き出した。


「あのバケツ頭の守衛な、あれをな……」


 八洲やしま語で襟巻きと話す姿に、怪訝な顔をするアンシェに肩をすくめてみせると、亮介は銀貨を足元に置いて、襟巻を空中に放り投げた。

 空中で襟巻きがくるりと回り、人の形になる。毛先が銀の長い金髪、赤いアイラインを目尻にひいた狐娘が虚空から現れる。


「おさん狐が一番弟子! 茜、参上!」


 ハイカラーのブラウスにロングスカートなのは、洒落っ気なのか茶目っ気なのか、まあその両方だろう。 前触れもなく増えた人数を処理しきれず、守衛が一瞬固まった。カカカカと、解析機関の歯車の音がバケツ頭に反響して響く。


「!!? ……精霊の乙女アプサラス??」

「目エつぶって走れ!!」


 目を白黒させながら、上ずった声を出すアンシェに大声で応じて、亮介は門までの距離を目測して目を閉じる。


「そのバケツ頭を燃やすなよ、茜!」

「はいな! 推して参る!」


 亮介が念押しして一歩踏み出した途端、ボウという軽い爆発音が響いた。まぶた越しに分かるほどの明るさで、青白い光があたりを包みこむ。

 両手が鉄格子に触れた途端、左隣で派手な金属音がしたのは、アンシェが門扉にぶつかった音だろう。


     §


 なんとか無事に門扉を乗り越えた二人は、植え込みをかき分けながら最短距離で講堂を目指して走っていた。

 茜のやつはと言えば、銀貨二枚を拾い上げてご満悦。亮介に手をふりながらスキップで退場していった。バケツ頭の守衛から、ちょっと煙が上がっていたような気もするが……うん気のせいだ、気のせいにちがいない。


「リョウ、今のあれは……いや彼女はなんだい?」

「いいから黙って走れ。式に遅れたら姫さんに怒られる、つか血が出てんぞ?」

「ああ、問題ない、門に少々ぶつけたようだ」

 

 植え込みを抜け、コの字型の校舎を抜ける。ふと右を見ると、先程の門とは比べ物にならないほど立派な正門が開いたまま・・・・・、父兄たちを迎えているのが見えた。


「マジか、さっきのは通用口かよ。って、お前なんで通用口から来たんだよ」

「それを君がいうのかい? 僕は殿下が……ああ、いや、お嬢様ってことにしておいて欲しいのだが……」

「あれだ。茜の事は見なかったってことで、おあいこな」

「わかった」


 チラリと校舎の時計を見ると、八時五十七分だ、九時に始まる式には滑り込みセーフ……。まあ、アウトかセーフかというとセウトくらいには持ち込めるだろう。


「そこのあなた達、急ぎなさい! 我が校の五分前の精神は……ってどうしたの君。額から血が出ていますよ?」


 一難去ってまた一難、講堂へと急ぐ二人の行く手に妙齢の女性教師が現れた。


「ワタシ、彼ニ、ブツカリマステ。ケガタイヘン、デスダヨ」


 南無三! 心のなかで毒づいてから最高に困った顔をして見せ、必要以上にカタコトのアルスター語で教師に窮状を訴える。


「大丈夫ですレディ。入学式に出たいのでどうか通していただけませんか?」


 逆にアンシェは流ちょうなアルスター語に加え、上流階級の使うアクセントで応じると、キラキラと星でも飛びそうな素敵な笑顔を向けた。


「にゅ……入学早々に大事になってはいけません、とりあえず君は保健室に」


 ――うわぁマダムキラーだわー、……姫様に言いつけといてやろ。


「アリガト、オネガイシマシタ」


 吹き出しそうになるのを必死でこらえ、お互いに小さく手を上げてから再び走り出す。まあ、そんなこんなで少なくとも一人、いや二人、入学早々に友達らしきものができたのは、もっけの幸いといったところだろう。


     §


「主さまおかえり! 私にする? 私にする? それともわ・た・し?」


 なんだかんだと慌ただしい一日が終わり、瓦斯燈ガスとうが石畳を照らし始める頃、クタクタになって下宿にたどり着いた亮介は、ドアを開けるなり胸に飛び込んできた茜を、ひょいとかわしてベッドに倒れ込んだ。


「疲れた、腹が減った。ていうか茜、おまえメシ食ってないだろ?」

「だって……」


 三年ほど前、狐が化けた婆さんが、慣れない街中で汽車に轢かれそうになっていたのを助けた結果、嫁にしろと押し付けられたのが茜だが、顕現させておくだけで生命力マナを持っていかれる。


 よく言う「物の怪にとり殺される」というのは、この手の妖怪変化を顕現させるには、メシの代わりに生命力を持っていかれるからだ。逆に言えばたらふく食わせておけば、それは軽減される訳だが、仕送りの少ない貧乏学生の亮介では、自分が食うのが手一杯でそうもいかない。


「お前が腹減ると、その倍くらい俺が疲れるんだ。ちゃんと食えよ?」


 特に今日みたいに、彼女が力を使ったあとに押し寄せてくる倦怠感というのはなかなかのもので、午後のカリキュラム説明はシェリーとアンシェに随分助けられた。


「あのね、あのね主様」

「なんだ?」

「一緒に食べようと思って、色々買ったの。帰ってくるのを待ってたの」


 とはいえ、いじましいほどに忠実でかいがいしいのは亮介も良くわかっているので、強くは言えないのもまた事実だ。


「それでか……でもなあ、授業になんねえからな学校で」

「うん、でも一緒に食べたほうがおいしいから」


 そう言って、へにょりと茜が耳とシッポを下げる。そんな彼女の頭に手をのばし、亮介はそっとなでてやる。


「何を買ってきたんだ?」


 みすぼらしい部屋のテーブルの上に、それでも白いクロスがかけてあるのは茜の気遣いだろう。皿の上には揚げた魚と芋、パンとキャロットラペ、小さな羊のパイが二切れ置いてあった。かごに入れて布がかかっているのはパンと卵だった。


「ああ、うまそうだな、メシにしよう。ありがとな茜」

「うん! それでね、食べたら一緒に寝る!」

「それはどうかなあ」


 異国の片隅で二人きり、なんとも頼りないランプの明かりが揺らめくと、慎ましい晩餐が始まった。

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