第30話「濃厚な沈黙」
「ありがとうございました」
少年が、丁寧な所作でお辞儀をする。
私も、同様にして一礼を返した。
対局開始からおよそ三十分。少年が消費した持ち時間は僅か四分二十秒だった。周囲を見渡すも、ほかに終局しているところはない。小森も浅堀も自身の対局に
沈黙。対局を終えた直後に訪れるこの沈黙は、勝敗に関わらず気まずさをもたらす。
互いに
「よかったら少し、検討いいですか?」
十秒ほどの沈黙の後、私から口を開いた。
検討の依頼については、負けた時のほうが気が楽だ。気持ちとしてはこのまま立ち去り、階段横の自販機でブラックコーヒーでも買って気分転換したいところであったが、沈黙をかき消す第一声が再度の「ありがとうございました」になるのはあまりに情けなく思えた。
「あっ、はい。大丈夫ですよ。まだ時間ありますからね」
小学生らしさのない大人びた口調で、少年は了承する。左手に握っていた扇子をテーブルに置き、いったん石を片付ける。互いにすべての石を
「この手がひどかったですね。
「そうですねぇ。ただ、すでに白が少々打ちにくいようにも思えますかねぇ」
少年が、首をひねりながら答える。
「自分としてはこの黒一団への攻めを狙っていたんだけど、良くなかったかな」
「ううむ、一概に良くないとは言えないと思いますが、白のほうも若干薄みがありますのでねぇ。それほど怖くは感じなかったというのが正直なところです」
「なるほど」
普段なら、少年の年寄り臭い語り口に半笑いを浮かべるところだが、敗北の二文字を背負った今の私にその陽気さはなく、若いのに
「こういう斬新な布石は試みとしては面白いのですが、いかんせん実利に甘いので使いこなすのはいささか難しいものがありますねぇ」
私の代わりに、少年が半笑いを浮かべる。
「そうですねぇ」
マスクをしているので、彼の目には私が不機嫌なように映るだろうかと思ったが、そもそも彼は私の表情になど少しも興味はないだろうと思い直した。
「まあ、こんなところでしょうかね」
七十手ほど並べたところで、少年が言った。
「そうですね。ありがとうございました」
総手数は百手を超えているが、この先はほとんど検討する余地がないことを私も分かっていた。
「いえいえこちらこそ、勉強になりました。また、二回戦頑張ってください」
折り目正しくはあるものの、とことん子どもらしさのない少年の態度に、私は自分が小学生だった時のことをふと思い出す。丁寧だったかどうかはさておき、子どもらしさが乏しいという点では良い勝負だったと思う(別に、この少年のような年寄り臭い喋り方ではなかったが)。
当時の私に、もう少し子どもらしさや可愛げのようなものがあればクラスの中であれほど孤立することはなかったのかもしれないが、担任である首藤の愚劣さは容易く看過できるものではなく、どのみち限界だったに違いない。
彼に従って
小森と浅堀はまだ対局中。どちらも難解な中盤戦だが、形勢は大きく離されておらず善戦していた。それぞれの対局相手はやはり早打ちながらも、この調子で進めれば時間切れになることはなさそうだ。
五分ほど観戦した後、対局カードの主将の欄に✕印を記入し、小用を足すために対局場を出た。
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