異世界新生活は就職とともに

第6話 異世界で新生活始めます

 俺たちを召喚した国はフォルモント王国というらしい。

 大陸北部の中堅国家である。

 研究施設を脱出した俺は、その辺境領域にいた。

 王都周辺は、俺を改造した研究施設があったりとかなり栄えている。魔導製の自動車などもあるくらいだ。

 だが、辺境部というとまだまだ発展途上と言わざるを得ない。

 辺境に行けば行くほど魔獣被害が多くなる。

 必然として発展に割く力よりも防衛に割く力の方が大きくなるからという。

 何より北方にその偉容を横たえる巨人のごとき山脈がある。

 あらゆる全てが魔導科学にて発展を続けるこの時代にあってなお、その山脈は前人未踏の領域であった。

 そんな辺境の街リーゲルは、北部辺境領域の主要都市だ。

 大きな駅もあり、活気に満ちた都市である。

 その都市の一角に俺たちは小さな家を借りた。


 ●


 朝。

 朝霧がリーゲルの街を覆っている。

 時節としては夏を控えているが、北部辺境の朝は秋ほどに冷える。

 油断すれば巨人山脈より冷たい寝息が吹いて雪がちらつくほどだ。

 王都などの国の中心都市と違い、辺境は未だ魔の領域に近い。

 精霊も多く、朝方などは水や氷の精霊が活動的になる時間。

 それゆえに冷え込む。

 辺境領域は過酷な自然がいまだに強さを保っているのだ。

 人類の英知はその自然に追いつきつつあるが、まだまだ手が届かない場所は多い。

 ここもそういう場所なのだ。

「はぁ、冷えるわね……」

 日が昇る前に起きだしたアリシアがそっと吐き出した息は白く天へ昇っていく。

 ふるりと小さな肩を震わせてアリシアは庭先の井戸へ向かう。

 今日一日使う分の水を井戸から組み上げる。

 資材などがあればいずれ水道を整備したいが、当分は先になりそうだ。

 などと呟きながら水をえっちらおっちらくみ上げる。

 子供と間違われるくらいに小さな体では一苦労だ。

 今年で二十五歳になるが、この体はもう絶望的に成長期も婚期も逃している。

 やはり学生時代の徹夜や無理が原因だろうか。

「あら、確か昨日ここに来たアリシアちゃんだったかしらぁ。水汲み? 偉いわねぇ」

「私の、仕事ですから」

「あらあらぁ」

 近所のおばさんなどこんな調子である。

 来た当初、年齢も名乗った。

 しかし、彼女たちの記憶は井戸端会議で様々な情報や噂で常時上書きされてしまう。

 よそ者の年齢など彼女たちの頭脳から抜け落ちるのも仕方なかろう。

 色々と思うところや言いたいことはあれど、アリシアの体ではそんなのに構っている暇はない。

 会釈だけして、せっせと水をくみ上げる。

 調理場に置かれた瓶をいっぱいにすれば一日分には事足りる。

 なにせこの家に住んでいる者たちは燃費が非常に良い。

「ふぅ」

 それでも額に汗が浮かぶ。

 袖で汗を拭い、少し重めの息を吐いてしまうくらいには重労働だ。

 しかし、朝の仕事はここで休むことを許してくれないくらいには多い。

 辺境にはいまだ便利な魔導機械は少ない。

 言ってはなんだがこの借家、四方の壁のうち一つは都市の城壁という具合で壁を一枚分ケチっている。

 それで借値は壁四枚分と変わらないというのだからなんというかだ。

 ただそんな借家でも、借りられただけでも良い状況。

 よそ者は基本的に辺境では歓迎されない。

 それでもアリシアにとってこの生活は以前と比べれば格段にマシなのだ。

 それもこれも壁際の寝床で眠る男のおかげだ。

「…………」

 そちらを見て昨日寝たときのことを思い出して、かぁっと頬が赤くなる。

 慌てて手をパタパタ。

 一部屋しかなく寝床が一つ。住んでいるのが二人となれば当然、眠るときは同じ寝床だ。

 分けるという話はなんだか遠い過去――実際は昨日――にして、この辺境の寒さがそれは無理だと結論付けさせた。

 隙間さえあれば侵入しては躍り散らす冬の精霊のおかげで一人で眠れば凍えてしまう。

 その点、同居人は魔導サイボーグ。

 非常に温かいし、アリシアが小柄なのもありすっぽり包まれてかなり寝心地が良い。

 良いのだが……。

 ――一切、意識されてもないし、なんなら子供扱いよね。

 自分を救ってくれたこの英雄様は、果たしてアリシアが歳上であることをどれほど覚えているのだろうか。

 きっとさっぱり忘れているに違いない。

「まあ、当然よね」

 アリシア自身、自分の待遇とか扱いが悪いのは当然と思っている。

 むしろもっと雑に扱ってもらっても良いくらいだ。

 彼にはどれほど酷く迷惑なことをしたというのか。

 こうして人並みに扱われているだけ、この英雄様はお優しい。

「脳裏妖精の方がまだ普通の反応よね」

 殺されても文句は言えないし、その時は喜んで殺されよう。

 ただこの英雄様は殺してはくれないだろうが。

 死んで楽になることを彼は許してくれない。

「はい、やめやめ。朝食の準備しなきゃ」

 そんな濁った思考はするものじゃない。

 パチンと頬を叩いて、少し強く叩きすぎたから瓶の水で顔を洗うついでに冷やす。

 水面に写った顔。不健康そうで、くまが目立つ。

 澱んだ気持ちを洗い流すように冷たい水をかけて、さっぱりと。

「さあ、やるわよ!」

 気合いをいれて朝食の準備。

 今朝の食材は肉である。

「ぅ――」

 脳裏にフラッシュバックする己の罪。遠く離れ、逃げたのだと、責め立てる。

 吐き気、えずき。

 我慢しようと堪えるがどうしようもなく、口元を押さえドアへと走る。

 蹴ってなおギギギと音をたて半分も開かないドアをタックルするように開けて庭の隅で吐く。

 ほとんどなにも出ないが、不快感ばかりつのる。

「く、はぁ……」

 戻って口をゆすぎ調理に戻る。

 ――肉は苦手だ。自分のしたことを思い出す。

 それはもう自業自得の自分自身への罰だ。

「でも、安いし……」

 辺境で一番安いもの。それは武器と肉だ。

 辺境は魔獣が多く、辺境の男も女も魔獣を狩れて初めて一人前という風習がある。

 そのおかげで魔獣の肉や素材が良く市場に出回る。

 昨日着いたばかりの時、酒場で魔獣の肉を出された時、本当に食うのかとアリシアは思ったものだ。

 魔獣の肉は、山ほど取れるから格安だしなによりうまいのである。

 とれすぎて余るほどだから、食料にしてしまうのは当然のことだった。

 さらに魔獣の素材は他領では最高級の武具の素材となるため辺境の資金源となっている。

 逆に高いのは魔導機械と野菜だ。

 野菜は厳しい自然の中でも育つものはあるが、少ない。

 だから外から運んでくるため輸送費がかかり、需要も合わさり必然的に値段も上がる。

 だから貧乏人は肉を食うしかない。それがどれだけ苦手であろうともだ。

 作るのは辺境の定番料理魔獣肉のスープ。

 鍋で水を煮たせ、そこに一口大に切った魔獣肉を入れて煮込む。

 貧乏料理ここに極まれりの単純明快な肉のスープである。

 味気ないと思われるだろうが、そこは魔獣の肉。何かしらのうまみ成分があるのかこれだけでも非常に美味いのである。

 種族毎に肉質と味が違うので、毎日肉でも飽きることはないし栄養価も高いとのこと。

 曰く、辺境人の屈強な肉体は魔獣の肉のおかげ。

 もしここで魔獣の肉を食べていれば、もしかしたら私も、などとアリシアは思うが、伸びるとしても横だけだろう。

 さて、煮込んでいる間に別の作業。

「お弁当いるわよね」

 お昼は外で食べることになるだろうから、お弁当がいる。 

 といっても多く作れるものは多くない。やはりサンドイッチなどが良いだろう。

 手づかみで食べられるものはいつの時代も歓迎される糧食だ。

 黒く硬いパンを切る。本当ならばもっといいパンもほしい詩、挟む素材も良いものを使いたいものであるが、魔獣肉くらいしかない。

「ん、ふぅ……」

 吐き気をこらえつつ、せめてもの心づくしとチーズと葉の野菜を挟み込む。

 それを綺麗に包んでがたがたと揺れるテーブルの上に置いておく。

 時折、鍋の方を確認しながら次は哲也のコートの手入れだ。

 彼は今日から働きに出るので、みすぼらしくてはいけない。

 働きに出る男がみすぼらしければ井戸端会議で女衆に何を言われるかわかったものではない。

 昨日この家に着いた時から感じた、辺境の女のの怖さを。

 どうやら自分たちにそのつもりはなくても周りから見れば、家族であると認識されている。

 子供のようなアリシアであっても、辺境では女扱い。

 子供のように見えようが手加減はされない。昨日散々言われた。

 家の男がみすぼらしいとそれはその家の格、ひいては女としての格にかかわるのだ、とくにこの辺境では。

 ただでさえふくよかさのかけらもないアリシアなので、こういう細かな部分だけでも手を抜かないようにした方が良い。

 おばちゃんたちの情報網は、魔導ネットワークに匹敵するまであるのだ。

 良い女でいれば商店でおまけしてくれるまであるので手は抜かない。

「ほつれはなし。傷もないし、シワにもなってないわね」

 壁につりさげられたコートを確かめていく。

「うん、良し」

 さて、次。お守りを編む。

 辺境の仕事は農作業であろうとも危険が多い。そのため辺境の女たちは毎日、男の安全を願いお守りを編むのである。

 一緒に住んでいるのならば編まなければならないと言われてしまえばここになじむためにもやる必要がある。

 素材は女自身の髪の毛。

「長かった髪を切ったのはいいけれど」

 すっかりと軽くなってしまった。腰まであった癖ッ毛は今や肩口までバッサリだ。

 あまり短くしすぎると男の子に見られるから肩口までである。

 とかく、その髪を使って小さなお守りを編む。

 髪が伸びるのは早くとも数か月、毎日使うことになるので量は調節しなければならない。

 辺境人は髪が伸びるのが早いから問題ないとのことだが、辺境人ではないアリシアではそうはいかない。

 それでもここで暮らしていくのならその流儀に則らなければ生きていくのは難しい。厳しい大地ほどその傾向は強くなる。

 それの上、見栄えも気にしながら作るというのは非常に難しい。

 ただ、辺境人の髪が灰とか黒が多い中、金髪はとても珍しい。その点でカバーできる部分もあるだろう。

「えっと、ここをこうして」

 幸いにしてこういう細かい作業は得意だ。

 一度教えてもらったので、あとはそこからするすると編み上げていく。

 普通のものよりも短いが緩く編み上げボリュームを持たせる。

「良し。これをコートに着けて」

 胸の部分につければ、灰色のコートに金の色どりが加わっていい感じだと思う。

 ちょうどよくスープも完成。

 端の欠けた木の椀にスープをよそって木のスプーンと一緒に、がたがたと揺れる傷だらけのテーブルに置く。

「哲也、起きて」

 あとは哲也を起こせば、新しい一日の始まりだ。

 

 ●

 

「哲也、起きて」

 アリシアの言葉で俺は覚醒する、今起きた風に。魔導サイボーグである俺は眠っている間も周囲の状況を知ることが出来る。

 眠っている間にテレビを録画しているようなものだ。

 覚醒と同時に瞬時に再生されて、何が起きたかがわかるというもので、彼女の頑張りも把握している。

 力仕事は俺がやっても良いと言ったのだが、彼女は譲らなかった。

 これも償いなのだろう。

 あと相変わらず肉類はまだまだトラウマらしい。

『それを黙ってみてる辺り、マスターも鬼畜ですね』

 ――アリシアもあまり触れてほしくないらしいからな。

『そういうことにしておきましょう』

「今日は、ギルドに行くんでしょ? 登録があるから早く行った方が良いと思う。だから早く食べて行きましょ」

「わかった。いただきます」

 がたがたと揺れるテーブルを片手で抑えて椀からそのまま飲む。

 この身体になって良いことはどれほど熱くても問題なく飲み食いできるということだ。

 味覚も搭載されているおかげでしっかりと味がわかる。

 魔獣肉のスープはなにも味付けをせずとも濃厚な味を出す。

 豚骨スープほどこってりというわけではなくコンソメスープのよう。

 しっかりとした味付けは、余分な味のない淡白な魔獣肉のおかげで際立つ。

「うん、うまいな」

「素材が良いからね」

 アリシアはそう言うが格安の肉である。

『魔獣の肉は神々の恩寵を受けています。それ故に味が良く、栄養価も高いのです』

 辺境に来るまでに何度か聞いた説明だ。

『ただ、臭みはあるのできちんと下処理をした彼女の腕でしょう』

 これは初めて聞いた。

 珍しくシーズナルがアリシアを褒めている。明日は槍でも降るのではないだろうか。

『失礼な。これでも褒めるべきは褒める王なのです。その方が治世には良いのですよ。如何に嫌いで首を落としたい相手でも』

 ――はいはい。

 そういうことにしておこう。

「ふぅ」

 そんなやり取りをしている間にアリシアも食べ終わったようだ。

 相変わらずあまり食べていないようだ。特に肉。

「もう良いのか?」

「ええ」

「……持つのか?」

「問題ないわ」

「本当に?」

「本当よ」

 ならば良し。

「んじゃ行くか」

「ええ」

 片付けそこそこに家を出る。

 ドアは相変わらずの軋みで力を込めなければ開かない。

 閉めるときも一苦労だ。鍵もない。

 だが、それでも自分の家というのは良いなと思う。

 今にも崩れそうなぼろ小屋でも日も昇り、澄みきった青空の下では輝いて見える。

 立派な一国一城だ。

「良し行こう」

 これから向かうのはハンターギルドだ。ファンタジーにありがちなあれである。


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