余禄 ホセアのこと

 神の命令で結婚したゴメルは姦淫の女で、ホセアに子どもを産んだ後に出て行って再び乱れた生活に戻ったのだが、神はさらにそのゴメルを再び連れ戻すように、と命じる。子どもは「ロ・ルハマ(愛されない)」「ロ・アンミ(わたしの民でない)」と名付けられた。

一体、この男はどんなことを考えていたのだろうか。ホセア書にはその感情めいたものは一切記されてはいない。

 結婚や家庭をそんな風に扱うからには、自らの感情を捨て去るほど徹底的に従順だったのか、それともそうしたことに関心を持たない冷淡な人物だったのか。

しかし、彼のその人生の体験を用いて提示されたのは、警告を無視して罪を犯し続けているイスラエルの民に対する神のあわれみであり、悲しみだった。

「わたしの心は沸き返り、あわれみで胸が熱くなっている」

 そんな思いを、冷淡な人物に託するだろうか。自分の痛みを持って共感できる器だからこそ、彼が選ばれたのではないだろうか。

 恐らく、姦淫の女ゴメルとの結婚は身内からも預言者の仲間たちからも祝福されなかったに違いない。しかしそんな中で敢えてゴメルを愛すると誓うのである。決して単なる義務感だけでなく、もちろん、欲望からでもなく、純粋にゴメルを愛そうとしたのではないだろうか。

 そのホセアの動きを、ゴメルの目線から、想像してみた。彼女は彼女で、様々な事情を経てきたに違いない。多くの傷を負っていたはずの彼女は2度目に彼が迎えに来たのを見た時に、悔い改めることができたのだろうか。

「これから長く、私のところにとどまりなさい」

 と言ったホセアの言葉の通りに、幸せに暮らしたのではないか、と思いたい。

また、預言者アモスを彼の親友として登場させた。単なる空想に過ぎないが、孤独な使命という側面がある中で、預言者たちは互いに友情を持って結ばれていたのではないだろうか。

 ホセア書は、そんな彼らの人生の上に、積み上げられているのだろう。

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