余禄 ヨブのこと

 ヨブ記は年代的には最も古い時代の書物だと言われている。ヨブ記自体の中に具体的なことが何も書かれておらず、諸説がある。が、垣間見られる生活習慣の様子から、恐らくは族長時代、つまりアブラハムとほぼ同年代の物語だろうという説が、有力な様である。舞台となったウツの地というのも現存する地名ではないため特定されてはいないが、恐らくは死海の南、エドム人の住んだ地域ではないかと言われている。

 苦難の僕ヨブと言われるように、この書は人生の苦難の意味を求めて交わされるヨブと3名の友人たちとの問答という形で展開されている。

 この書の謎のひとつは、エリフという人物だろう。2章11節には、3人の友がヨブを見舞いにやってきたと明記されているが、エリフはその3人には入っていない。その後30章に及ぶ長い問答の途中に、遅れてやってきたという記述も一切ない。32章になって突然口を開くのである。考えられることは2つ。彼の来訪はあえて記述するほどのことではなかったからか、初めからそこにいたか、である。故遠藤明信師に教えていただいたことだが、エリフという名は「彼の神」を意味する。そして、他の3人とは違い、ヨブは彼の発言には一言も反論していない。彼の発言は彼の登場と同じように37章で突然終わり、入れ替わるように神の言葉がやはり突然に始まる。ヨブが悔い改めた後も、神はヨブの正しさと3人の友人たちの誤まりを指摘されるが、エリフについては言及がない。まるで神ご自身の御使いのような扱いである。どう考えても、エリフはヨブ記全体の鍵を握る人物だろう。そんなエリフの来訪が、記述の必要なし、とされる道理はない。ここは、初めからいた、と考えるのが自然な気がする。さらにエリフは自分が一番年下だと言っている。知恵深い年長者ではなく、年少者。そして神ご自身が指摘されるように、ヨブのような人物は他にいない。そうしたことからも、エリフが新たなことを教えたというよりも、ヨブ自身に自らの信仰を思い出させた、あるいは原点に帰らせた、という役割を果たしたというところが順当ではないだろうか。

 初めからそこにいて、ヨブに自らの信仰の原点を思い出させた人物。その辺りから、エリフをヨブに育てられた従者のような役柄としてみた。もちろん、物語前半で死んだヨブの娘の婚約者だったということも含め、完全に創作である。ヨブ記は様々なところで研究され、取り上げられているが、中にはヨブを実在の人物ではなく、寓話の中の存在として扱っているものも見られる。あまりに深淵過ぎてとりつきにくく、どこか現実離れしたものとしてとらえられているのかもしれないが、決してフィクションではなく、実際に生き、うめき、血を流すようにして神と向き合った、信仰の大先輩の命の記録である。だからせめて、生きた人間だったというイメージだけでも持てないものかとの思いで、この物語を書いた。

 ちなみに、ヨブの子ども達のうち、その名が記録されているのは回復後に与えられた娘達だけである。それぞれ、鳩、香、化粧道具を指すそうで、愛しい人の比喩として用いられる鳩をはじめ、どの名も美しい女性だったということを表していると言われている。しかし、もう一つの意味もあったのではないだろうか。すなわち、大洪水からの回復を知らせた鳩のように、ヨブにとっては神との関係の回復を意味したのではないか。あえてのちに生まれた娘達の名だけを記したのは、ヨブの信仰告白でもあったのではないか、などと空想した次第である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る