第2話

中国の宇宙ステーション『天宮』が稼働を停止して三年が経過していた。

 停止した『天宮』は無人のまま衛星軌道上を周回していた。

 『天宮』に限らず廃棄された人工衛星などは実に三万基近くが衛星軌道上にひしめき合っており、国際的な問題となっていた。

 イブは、地球からおよそ5万キロの位置でやっと補足された。何しろ大きさが縦横ニメートルにも満たず、速度は毎時20万キロと高速の80パーセントという"亜光速"だったのだから無理もない。

 最初に発見したのは日本の筑波天文台だった。発見時刻は日本時間22時45分。たまたま星雲のスペトクル分析をしていた学部生と指導教官が発見し、教授を携帯で呼び出した。教授が警察に電話した時にはイブはすでに『天宮』に衝突した後だった。



 日本。岐阜県山中の小さな町。

 

 「名前は?」

 警官が言った。

 「アイバ…」

 エイジは答えた。

 「下の名前は? 」

 「しも? 」

 「下! 」

 「エイジ……」

 「アイバ エイジ君ね。いくつ?」

 「十七…………点…」

 「十七歳! 干支は? 」

 「イヌ………国家の」

 「まじめに答えさい! 君は12歳にも24歳にも見えない。干支か年齢どっちか嘘ってことでしょ」

 エイジは警官を見た。顔にニキビ跡が残っている。二十代に見えた。若いせいだろうか。”国家のイヌ”というのが警察官への悪態だと気付かなかったらしい。エイジは余計に腹が立って「じゃあ、辰で…」と答えた。

 「"じゃあ"って何? "じゃあ"って! 辰年ね! 高校何処?」

 「何処でもない」

 エイジは心底うんざりしていた。夜中歩いているだけで職務質問されるこの土地が大嫌いだった。移動は車が基本で、自転車に乗っているのは中高生か外国人だけ。歩いているのは老人と子供だけ。まして深夜歩く人間は皆無。そしてうんざりしていたのはそれだけが理由では無かった。

 「真面目に答えなさい。どこの高校? 八百津? 東実? 美濃加茂?」

 「……行ってない」

 「じゃ何処で働いてるの?」

 「……働いてない」

 「それでこんな夜中にほっつき歩いてるんだ」それまで黙っていた、もう一人の年かさの警官が口を挟んできた。「で、お家は何処? 」と言う目は笑っていなかった。

 「伊岐津志……」エイジは答えた。

 「随分遠いね。お父さんの名前は?」

 「……いない」

 「えっ? ごめん、ごめん。じゃお母さんの名前は?」

 「いない……」

 「えっ? 」

 エイジは走り出した。

 「あっ! 待て! 待て! まだ質問してんでしょうが! 」

 人気の無い県道をエイジは走った。

 並走するパトカー。「止まりなさい! アイバ君! 止まりなさい! アイバエイジ君! 」

 嫌がらせだ。わざわざスピーカーを使いやがって。

 エイジは運転席を見た。運転する若い警官と目があった。

 笑ってやがる。

 エイジは頭が熱くなるのが分かった。絶対に止まらねぇ。くそったれ!

 パトカーのモーター音が高音に切り替わる。パトカーはエイジを追い越して歩道を塞ぐよう停車した。

 エイジは迂回しようとパトカーの背後に回り込もうと反対車線に飛び出す。

 急バックするパトカーのボディとエイジのパーカーの降ろしたままのジッパーが接触した。

 「オイ!! 当たったぞ! 」エイジは停止したパトカーのボンネットを叩いて叫んだ。

 だが運転席の二人は黙ったままだ。

 何かがおかしい。まるでエイジが眼中に無いように虚ろな目。その目は何を見ている? エイジは警官の目線を見定めた。

 上? 上を見ている?

 光……。

 エイジはフロントガラスのバックミラー辺りに光の筋が走っていることに気付いた。

 ネオンサインが反射しているのだと思っていると、交差するようにもう一筋延びていく。それに交わるようにもう一筋。そしてもう一筋。もう一筋。

 エイジは振り返った。

 「ええっ! 」

 流れ星。

 数十、数百……のまるでデタラメに流れ星が飛び交い始めた。

 そしてどこもかしこも光の筋でいっぱいになった。空に描かれた無数の光の筋で空が"球状"であることが分かる程だ。

 パトカーがクラクションを鳴らす。エイジは我に返った。いつのまにか背中から強烈な光が照らしている。反対車線からのハイビームだ。

 ハイビーム? 

 エイジは振り返った。と思う。周囲を強烈な光と音が包んだ。大型トラックが衝突してきたのだと思った。方向感覚を失った、とういうより自分の体を見失った。目を開けているのか、閉じているのかさえ分からない。

 何が起きている。エイジは手をまさぐる。手が何かに触れた。アスファルトだ。思っても見ないところに地面がある。どうやらエイジは地面に倒れているらしい事が分かった。

 「……か!? 」

 遠くで声が聞こえる。

 「……アイバくん……」

 誰かが誰かを呼んでいる。こういうのを聞くと早く返事してやれよ、とエイジはいつも思う。

 「アイバくん 無事か? 」

 ――オレ事だ。エイジは普通に聞こえるよう努めて「ハイ、全然大丈夫です」と言った。

 「牧さん、 無事です 」若い警官の声。

 「ああ、後部座席に運ぼう」

 エイジの体は「ヨイショ」というかけ声で宙に浮き、パトカーの後部座席の上に寝かせられた。エイジはすでに意識を取り戻していたが意識を失ったままの演技を続けていた。運んでもらっている手前、途中で意識を取り戻しては何だか悪い気がしたのだ。

 警官達は運転席と助手席に座ると無線機で話し始めた。

 「こちら五十七号車。加茂署管内の八百津町蘇水公園付近にて意識を失った少年を確保。病院まで搬送します」

 「……号車……トンネル出口付近……現場……インセキの落下目撃多数……ケンドー……線……封鎖……県警本部が……」

 「こちら五十七号車。回線状態悪し。復唱願います」若い警官はそう無線に言ってから「インセキ……って言いましたよね?」と年かさの警官に顔を向けた。

 「ああ、そう言った。きっきの光がそうだろ。近くに落っこちたらしいぞ」

 無線が何かを喋りだした。

 「……クリ…………アリ………ガッ!……ガリッ……ブヅン!」

 「ひでえ……電話してみます」若い警官は無線のスイッチを切ると内ポケットからスマホを取り出して何度か画面をタップすると耳に当てた。すぐに「だめだ。通じません。回線が混み合ってるってメッセージです」と言った。

 「県警到着まで近くの県道を封鎖しろってことだろうな。とりあえずこの先のトンネルの出口の先の信号の辺りまで行こう」年かさの警官はなだめるように言った。

 「はい」若い警官はスマホを仕舞うとパトカーを発進させた。

 「牧さん、カーナビや無線、電話が通じないのは隕石と何か関係があるんでしょうか? 電波が何かこう……ヘンになるとか……でしょうか? 」

 「オレも分からん。だが偶然じゃないだろう。何かしら関係があるはずだ。それより隕石が落っこちたのが田んぼの真ん中ならいいんだが」年かさの警官は自分のスマホをいじりながら答えた。「だめだ、遅すぎる」スマホの画面は真っ白だった。本来なら地図アプリが現在地を表示しているはずだった。

 エイジは後部座席で息を潜めた。

 パトカーは夜道を進んだ。

 五分後にパトカーが停車して二人の警官が外に出て行った。エイジはすぐに起き上がると窓の外を見た。結露のせいでよく見えないがやけに明るい。あちこちでパトライトが回っているのは分かる。大事のようだと分かる。隕石の落下でエイジの事など忘れられている可能性が高い。これではいつ解放されるのか分かったものじゃない。エイジは退散することを決めて、そっとドアハンドルを引いた。がドアは開かない。後部座席はチャイルドロックされているらしい。滑り込むように前方の運転席に乗り移ると集中ドアロックのスイッチを押した。「ガハッ! 」というやけに大きな音が鳴った。エイジはそのまま運転席のドアハンドルをゆっくりと引くとドアを小さく開け、そっと外に出たが地面で砂利を踏む音が鳴った。エイジはすぐにこの場所が県道沿いの神社の駐車場だと気付いた。さして広くない駐車場にはパトカーで溢れていた。駐車場に面した県道には工事現場のような球状の照明があちこちに置かれており、県道に縦列停車中の自衛隊車両を照らしていた。エイジはドアを閉めると地面に屈んで近くのパトカーの後部から自衛隊車両を観察した。

 指揮車用の四駆や輸送トラックが延々と県道沿いに縦列駐車している。エイジはその中に49式大型輸送トラック発見した。49式大型輸送トラックは「ジャンパー」輸送の専用機といっていい。

 「ジャンパー」がここに来ているのだ。

エイジは唾を飲み込んだ。

 「ジャンパー」とは陸上自衛隊の兵器の通称である。正式名称は「76式跳躍滑空機」。およそ二十年前に世界に先駆けて日本で開発された。開発の原動力となったのは戦争である。在日米軍撤退を狙ってロシアと中国がそれぞれ北海道北端、尖閣諸島から日本に侵攻するという元寇に匹敵する大事件が起こった。後に「尖閣・千島紛争」という面白くもない名前で呼ばれることになるのだが、当時の日本は蜂の巣を突いたような大騒ぎとなった。世界大戦が始まるとメディアが騒ぎ、関西空港は日本を脱出する「平和主義者」達でごったがえした。

 既存技術の流用とはいえ「ジャンパー」は紛争開始からたった半年で完成し、ロールアウトと同時に実戦投入された。

 「ジャンパー」の威力は絶大だった。

 北海道と沖縄まで侵攻していたロシアと中国をわずか三日で叩きだし、考えられる最小限の被害で紛争を終わらせた。以来「ジャンパー」は日本の国防の象徴であり英雄だった。エイジもご多分に漏れずこの兵器に夢中だった。

 エイジはなんとか49式大型輸送トラックに近づけないか考えた。あわよくば「ジャンパー」を至近距離で見られるチャンスだ。警官や自衛隊の姿は辺りに見えない。近くの隕石落下現場に出払っているに違いない。

 エイジは腕に蚊が停まっていることに気付いてぴしゃりと自分の二の腕を打った。「んん? 」という声がパトカーの向こうから聞こえた。エイジは反射的に地面に腹ばいになった。腹に当たる砂利が冷たい。二台先のパトカーの向こう側を編み上げのブーツが行ったり来たりするのが目に入る。陸上自衛隊のアーミーブーツ。エイジは迷った。

 本当にやるのか? 

 だが考えるまでもない事にすぐに気付いた。今は「ジャンパー」を至近距離で見られる千載一遇のチャンスなのだ。それに捕まってどうなるものでもない。

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