第14話 「言葉」の意味

そのうち 少しずつ言葉は出てきた。

よく鼻歌を歌いながら遊んでいた。

ほとんどはコマーシャルの短いフレーズの歌を真似していた。

「なんの歌?」とか聞いても全く答えてはくれない。

自分1人で延々と同じ歌を繰り返していたり…。

私のことは「お母さん」とか呼んでなんかくれない。

短い言葉でいいから「ママ」と覚えさせようとするものの…出てくる言葉はコマーシャルの歌ばかり。

後から分かったことだけど、人は言葉をコミュニケーションの手段のひとつとして使っているものである。

でも、息子の言葉はコミュニケーションの手段として発せられている訳では無かった。

耳から入ってくる短い歌を丸覚えして真似してるだけ。

機械的に…延々と繰り返しているだけ。

感情のないロボットが話すのと同じような感覚なものだと言われた。

意味は持っていない言葉。。

私や、周りの誰かに伝えたい…とか、聞いてもらいたい…とかそういう意味ではなかった。

だから、言葉というものは口から出てきてはいても、言葉のキャッチボールは全くできない、息子からの一方的なものだった。


息子が積み木で遊んでいる時に声をかけようとする。

私からの呼びかけはまるで聞こえてないかのように遊ぶ。

そしてすぐに飽きて別の遊び、またすぐ別の……というふうにあちこちと気が散りながら遊んでいた。


お兄ちゃんの時のように私と一緒に遊ぶことを全然喜んでくれないしむしろ逃げるような感じ。。


この子とは一体どうやってコミュニケーションをとればいいんだろう。

やり取りができない。

私のことは…「ママ」のことは 息子の目からはどう見えているのだろう?


言葉は出てきたのに素直に喜べない。。

だけど…例えその「言葉」に意味は無かったとしても、「息子が喋った!」ということは

私にはやっぱりとてもとても嬉しい事だった。


社会で生活していくのには、人とのコミュニケーションは必須だろう。

それが言葉であろうと、手話であろうとゼスチャーであろうと筆談であろうと……


誰かに何かを伝えたいという気持ちや、伝える手段を息子が持てるようになる時がくるのかなぁ。。


そんなことが心の中をよぎりはした。

でも何であれとにかくあの頃の私は誰がなんと言おうと ただ嬉しかった。


どんな些細なことでも喜べる気持ち、今から思えば それはとても大事なことだと思う。









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