第7話 夜明けの空に少女は恋の始まりを歌う

 光が森の中に差し込み、爽やかな朝の空気が森の中を満たし始めると、彼等は名残惜しげに立ち上がった。

 リーザロッテとプッティが焚火を消している間にレディルは木立の向こうで草を食んでいた乗馬を曳いて来て乗るように勧めたが、リーザロッテは笑って首を振った。


「大丈夫です。箒さえあれば魔女はどこへだって行けます」


 リーザロッテは棒切れを拾って、その端に針葉樹の小枝を幾つも巻き付けた。即席の箒が出来上がる。呪文を唱えるとそれはふわりと宙に浮き、腰かけるとお供の人形を膝に乗せた。乗馬したレディルと並んで箒に乗った魔法少女は進み始める。

 だが、実際に一行が歩き出すとリーザロッテの箒ときたら、子供が歩くより遅いスピードしか出なかった。

 彼女はキックボードみたいに「とうッ! とうッ!」と足で地面を蹴って必死に加速する。しまいには苦笑したレディルが「やっぱりこっちに乗りなよ」と、馬を止めた。

 そんなこんなで魔法少女らしいところをまったく見せられずしょんぼりしたリーザロッテだったが、馬上で彼に抱きかかえられると現金なものでたちまちニヤケ顔になってしまった。

 一行は馬に揺られて森の中を再び進み始める。


「そういえば、リーザロッテさんはどこへ行く旅の途中だったの?」

「どこって……そんなものありません。どこか、私を受け入れてくれるところがあればそこまで……」

「……」


 私を受け入れてくれるところ、という言葉にレディルの胸は痛んだ。

 出来るなら、身寄りも行くあてもないこの小さな魔法少女を自分の国に温かく迎えてあげたかった。

 だけど……


「僕の国、レストリアはとても小さい国で」


 唐突にレディルは話し始めた。


「訪れる外人も少ないから、とても人見知りだけど、でも打ち解ければみんないい人なんだ。北国で冬の寒さが厳しい代わりに、春になると綺麗な花がいっぱい咲く。夏には爽やかな香りのする花も咲くから、多少暑くても気持ちよく過ごせるんだ」

「へえ、そうなんですか」

「貧しくて、他の列強より少し遅れているけど、僕はこの国を誇りに思ってる」


 そこまで言って押し黙ったレディルに、リーザロッテは思わず言いかけた。


(王子様。私この国に居ていいですか? どうせ行く当てはないんです。このままここに……)


「でも、貴女はこの国からは早く出たほうがいい」


 レディルの言葉はリーザロッテにグサリと突き刺さった。 


「そ、そりゃそうですよね。昨夜は迷惑かけちゃったし……」

「そうじゃない。そうじゃないんだよ、リーザロッテさん」


 思わず声を震わせたリーザロッテの誤解を解く少年の声は悲しげだった。


「この国は今、危ないんだ。もしかしたら戦争になってしまうかも知れない」

「せ、戦争! どこかと喧嘩してるんですか?」

「まさか。逆だよ」


 肩をすくめると、レディルは背後のある方向を指さした。


「お隣にズワルト・コッホという帝国があってね。このレストリアがもともとは自国の領土だから併合させろ、さもなくば属国として従えと言ってきて。それで戦争になるかもしれないんだ」

「ズワルト・コッホって、高慢ちきなあの魔法少女が来た国か!」


 リーザロッテの肩越しにプッティが叫んだのでレディルは苦笑した。


「自分たちに都合よく改ざんした歴史を根拠にそんなことを言っても、こちらは言うことを聞くしかないだろうって思ってるんだ」


 淡々と話していても、その口吻からは口惜しさが滲んでいた。


「ひどーい! そんな脅迫する国なんかやっつけちゃいましょう。ね、プッティ」

「リーザロッテ、よく言ったぞ。その通りだぜ王子様、売られた喧嘩なら高値で買っちまえ。ケチョンケチョンに叩きのめして追い返してやんな!」

「そうだね……」


 それが出来たらどんなに痛快だろう。

 まるで自分のことのようにプンスカしている魔法少女と鼻息を荒くする人形を見て、小国の王子は力なく笑った。

 しかし、本当に戦争にでもなれば国力も軍事力も比較にならないレストリアなど、ひとたまりもない。

 卑劣な脅迫になど屈したくはなかったが、非力な小国では所詮どうしようもなかった。


「買うつもりがない喧嘩を押し売りされてるようなもんだけど、さすがに戦争になったらえらい事になるからね。ま、そう簡単には大事にならないだろ」


 レディルは何とか出来そうに言ったが、どうすればいいのか答えらしいものはまだ見当たらなかった。昨晩リーザロッテと出会う前から彼はそれをずっと悩み、苦しんでいたのだ。


「城に帰ったら兄ちゃん……じゃなかった、国王陛下と知恵を絞ってみるよ」

「……」


 リーザロッテは何も言わなかった。老母の慈愛を受けたこの少女は、高い教養こそなかったが魔法とは違う力……人の喜びや悲しみを自分のように感じる力を持っていた。


「レストリアを出たら南に向かうといい。季節が穏やかで住みやすいリードケネスという国があるんだ。賑やかな国で移民も広く受け入れてくれるそうだし。その隣の皇御(すめらぎ)もお薦めだな。こちらは物静かな人達の国で自然がとても美しいよ」


 王族出身だけに見識も深いのだろう、レディルは楽しそうに近隣の諸外国を語ったが、その言葉はもう彼女の耳には入ってこなかった。

 やがて木立ちが途切れて森の外に出ると、馬車の轍がついた田舎道が現れた。脇には「トロワ・ポルム」と村名が書かれた木製の標識が立っている。遠くにその集落も見えた。


「ここまで来ればもう大丈夫です。送っていただいてありがとうございました」

「うん。じゃあ僕、ここから城へ向かうから」


 馬から降ろされたリーザロッテが丁寧に頭を下げるとレディルは自分も馬を降り、懐から小さな革袋を差し出した。


「これ、道中の路銀の足しにして下さい」


 「とんでもない! 大事なお金なのに受け取れません」とリーザロッテは慌てて押し返したが、レディルは「小銭しか入ってないし城はもうすぐそこだから」と無理やり握らせた。


「そんな……困ります……困ります……」

「生命を助けていただいたお礼にしては少ないけど、せめてもの気持ちに……お願いだから」


 そう言われるともう断ることも出来ない。リーザロッテは泣きそうな顔で、小さな革袋を受け取るしかなかった。


「リーザさんのお婆ちゃん、ご生前に僕の親父と会えていたらきっと気が合っただろうなぁ」

「え?」


 驚いて顔を上げたリーザロッテへ「お婆ちゃんの遺言、助け合い分ちあって生きよって僕の親父の言った言葉と同じだもの」と、レディルは照れたように笑った。


「この先の国のどこかで静かに暮らせるようになったら、時々思い出してね。お婆ちゃんと同じ言葉を大切にしている国があったって」

「レディル様、あの……あの……私……」


 レディルは言いかけたリーザロッテの唇に指を当てて何も言わせなかった。

 そして、そのまま前髪をやさしく掻き上げると彼女の額にそっと唇をつけた。心優しい魔法少女へ、王子からのお別れの挨拶だった。


(……!!)


 驚愕のあまり、リーザロッテは立ったまま石化してしまった。


「どうか良き旅を。さよなら……」


 カチンコチンに固まった彼女の前でひらりと跨った少年が軽く鞭をくれると、馬は軽やかな足取りで走り出した。一度だけ振り返ったがリーザロッテは驚愕した表情のまま、瞬きすらしていない。彼は苦笑して手を振った。

 その姿は遠くなり、とうとう見えなくなった。

 リーザロッテはそれでも動かない。


「……」


 しばらくして、ヤレヤレ……と、ため息をついた傍らの魔法人形は手にした薪ざっぽを振りかぶる。

 そして、リーザロッテの脳天に思い切り打ち下ろした。

 ボカチーーーン! という景気のいい打撲音が朝焼けの空に響く。

「いったぁぁぁぁーーい!」という悲鳴と共に、石化していたリーザロッテの魔法はそれでようやく解けた。


「何すんのよ! ぷげげーっ、頭にでっかいタンコブがぁぁ……おお、痛い痛い……」

「うっせぇ、それ以上ウダウダ言ってっとタンコブをもひとつ増やすぞ! てめー王子様にお礼らしいお礼もさよならもちゃんと言わねえで。これからどーすんだよ!」

「どうって……」


 涙目で脳天のタンコブをさすっていたリーザロッテは真顔になった。レディルの去った方角を見つめ、ふっと微笑む。プッティは驚いた。

 一瞬だけだったが、まるで今までの情けない自分は全て演技で、初めて本当の表情を見せたというような、それは大人の顔だった。


「森のはずれが小さな空き地みたいに空いていたから、あそこにしようかな」

「リーザロッテ?」

「魔法で木を切るにしても材木ってどれくらい要るかなぁ……」

「材木? お、おい一体何を始めるんだよ」

「うひーん、何から手を付けていいのか分からないやー」


 魔法少女リーザロッテは途方に暮れたように頭を抱えた。

 だが、その瞳は明るく輝いていた。困っていることも楽しくてたまらない、というような喜びが、その小さな身体からいっぱいに溢れ出ている。

 何故って……


「まず住むところを作らなきゃ。家だよ、家。リーザロッテ・ハウス! ずっと野宿って訳にはいかないでしょ」

「リーザロッテ、お前……」

「魔法で何かお仕事も始めなくっちゃ。村の人とも友達にならなくちゃ。それからそれから、ええと……」


 ぼう然となってリーザロッテの言葉を聞いていたプッティも、次第にその意味に気がついた。その顔は歓喜に輝きはじめる。

 西の果てから遠く旅してきた魔法少女は、この国の王子様に恋をしたのだ。

 早くこの国を出たほうがいいと言われたのだけれど、それでもリーザロッテは決めてしまったのだ。

 少しでも好きな人のそばにいたい。それが戦乱の匂いがする国であっても。

 少しでも好きな人の役に立ちたい。身分違いの恋だけど、それでも。


「リーザロッテ、これから忙しくなるぞ。やることいっぱいだ!」

「合点だい!」


 リーザロッテは両手を振り、調子っぱずれの声で歌いながら行進みたいに歩きだした。その後ろから苦笑した顔のお供が続く。

 そして……

 ふと、草むらできらりと光ったものに気が付いて駆け寄ったプッティは「あっ!」と声をあげ、それを拾った。


「リーザロッテ、これ……これを見ろよ!」

「なに、お金とか星石でも落ちてたの?」

「ヘラヘラしてんじゃねえ、その通りだ!」


 冗談のつもりだったリーザロッテは、目の前に突き出されたものを見て、思わず息を呑んだ。


「嘘……」


 それは紛れもなく星石だった。本来この世界に存在しないはずの奇跡の石。きらきらと七色の光を放ち輝いている。

 王子様を助けるために使った星の欠片が、それも見つけて下さいと言わんばかりに二人の前に落ちていたのだ。

 まるで誰かが空の上からこの魔法少女を見ていて、そっと落としてくれたように。

 彼女の小さな初恋を励ますように。

 思わず驚いた顔を見合わせたリーザロッテとプッティだったが、やがて、ふふふ……と微笑みあった。


「さあ、いくぞリーザロッテ。私達の活躍はこれからだー!」

「おーっ!」


 魔法少女とお共の人形は声を合わせて歌い始めた。

 彼等は再び元気に歩き始める。まずは、ささやかな生活の礎を作り始める為に。

 その先のことはたぶん成り行き任せ。

 でもきっと何となる。昨日は夢のように素晴らしかったけれど、今日はそれよりもっと素敵な何かが待っている……そんな気がして。

 明け初めた空に、恋する少女の希望に満ちた明るい歌声が響いてゆく。




 北の王国、レストリアの国境の森を行く無名の魔法少女。

 彼女の小さな恋が戦乱の匂いが漂い始めたこの国にどんな運命をもたらすのか、この世界の人々はまだ、誰も知らない……

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