7-3 未成年に対する妥当な制約と限界

 親の監護する権利に反して、未成年に性暴力表現を売り渡そうとする行為を防ぐために、どのような制約を設けるべきだろうか。


 この点を考えるために重要なのは、第3章で述べたように、性暴力表現の悪影響が「限定的である」という点である。


 例えば、未成年への販売が禁じられている物品のひとつにタバコがある。タバコは、吸うと必ず肺がんになるものではないものの、確実にリスクを高め、またその悪影響はタバコを吸い始めるタイミングが早いほど大きいということは、種々の研究が確かめたとおりである。


 このような場合、単に未成年に対する販売を禁じるだけではなく、未成年に販売したものを罰するという規制もまた視野に入るだろう。タバコの悪影響はその存在がはっきりしており、かつ甚大だからである。


 しかし、性暴力表現の悪影響を考えると、これはタバコほど明確にあるわけではない。だが、皆無であるわけでもない。このようなとき、どこに制約の基準を置くべきだろうか。


 筆者の考えでは、まず、第1章で述べたように、公から性暴力表現を排除するのが必須である。社会に野放図に性暴力表現が蔓延する現状では、いくら親が監護権を発動しようとしても無理がある。子供の目を常に塞いでおくことはできないからだ。


 故に、親が見せたくないという方針をある程度全うできる程度には、社会から性暴力表現を排さなければならない。つまり、第1章で論じた「公」の範疇からは、少なくとも排除しなければならない。


 未成年への販売禁止は、すでに一部の創作物に対しては行われているものである。これをどの程度の範囲に広げるべきか、あるいは、罰則を設けるべきかについては議論があるだろうが、あまりにも度を越して過激なものは未成年に販売すべきではないという点では同意を得られるだろう。


 とはいえ、逆に、それ以上のことは、監護する権利からは求められないのも事実ではないかと考えられる。つまり、公から性暴力表現を排除し、さらに未成年に販売を禁止してもなお、それらの制約をかいくぐって創作物を手にしようとする未成年を止める術はない。


 このような行為を、制約という方法で止めようとするならば、その手段は「所持の禁止」に行きついてしまう。それはさすがに極端な制約といえるだろう。


 もちろん、未成年に見せるべきではないと考えられる表現を、そこまで執拗に求めるという行為自体、あまり適応的とは言えない振る舞いではある。が、その問題は対話や教育という方法で解決されるべきであり、強権的な制約によって解決できる範囲を超えているといえよう。

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