㈱代理謝罪

キザなRye

謝罪界のプリンス・小西憲埜と白い孔雀・佐鳥紅美子

 太平洋戦争の終了後日本国憲法の下で政治が行われていた。日本国憲法下の政府は様々な事柄に対して謝罪を余儀なくされ、政府のみならず会社や協会、個人が謝罪というものをせざるを得ない状況が生まれた。世間ではそういった謝罪で納得できずデモが多発した。デモを収まらせる手段として国が取ったのは“謝罪コンサルタント”という名の国家資格を作ることだった。

 謝罪コンサルトが出来てからおよそ1世紀半の23世紀には謝罪コンサルト会なる謝罪コンサルト全員が所属する会が生まれておりその会の会員で世間に名前を知らしめていた小西憲埜コニシノリヤという人物がいた。

 しかし彼が世間に名前を知られているのは謝罪コンサルトとしてではなく、ある会社の社長としてだった。その会社の名前は“株式会社代理謝罪”、他の人が謝罪しなくてはならない局面で依頼を受けその人の代わりに謝ることを取り扱うということをする会社である。

 小西の右腕として小西と共に名前を知られている人が一人いる。その名は佐鳥紅美子サトリクミコ、会社で社長秘書を務める謝罪コンサルトである。そんな彼女の会社での手腕から付いた異名は“白い孔雀”。彼女の取り扱う仕事に関して負のことを起こしたことがなく、いつもプラスの方向に持っていくことからそう付けられた。

 佐鳥と同様に小西にも異名がある。それは“謝罪界のプリンス”、謝罪コンサルトの中でもトップクラスの腕を持ち彼に匹敵するようなコンサルトを見つけ出してくるのは困難なほどである。それに加えてプリンスという若いイメージのようにやっていることが斬新で実年齢も30代と謝罪コンサルトにしては若い。そういった点から“謝罪界のプリンス”という異名がつけられたのだ。

 何故小西が依頼人に変わって謝罪を引き受けるという会社を設立しようとしたかについては知っている者はほぼ誰といってもいないがよく噂で耳にする通説によると自分で謝りたくても謝ることができないといった人が小西の周囲にいたらしくその人のように本人が謝りたくとも謝れない、そんな人たちを助けたいというその一心で小西の会社は始まったとされている。ただあくまでもこれは世間の通説であって事実かどうかわかっていないことなのである。

 株式会社代理謝罪には小西、佐鳥の二人以外にもう一人社員がいる。その社員は村崎結仁ムラサキユイトという名の好青年でまだ謝罪コンサルトの資格は持っていないがゆくゆくは資格を取って独り立ちをするつもりである。有名校出身の彼は小西や佐鳥からの信頼も厚く、経験がないようなことも任される。それが良いのか悪いのかについては置いておいて村崎は今後が期待されている有望な人材であることは間違いない。

 定義上会社自体は小企業に分類されるのだが、やっていることはどこの大企業にも負けない素晴らしいことをしている。しかし未だ謝罪を誰かほかの者に依頼してやるものではないという古い考えが根強く残っており、会社の経営もそれほど楽なものではない。古い考えを新たな思想にするところから彼らのビジネスは始まる。


 ~三人で作り上げる謝罪界の新たなる歴史がこの会社に詰まっている~

株式会社代理謝罪、ここにて始まりのチャイムを鳴らした。そのチャイムは大きく、深い音を周りに響かせた。

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