第3話 中・一

「うっかりしていたとはいえ無駄な時間を。不甲斐ないな、私は」


 改めて。鎧は脱いで、下着も普通のものに変えて、私服に着替える。


 休みの日に買い出しに行くと決めていたのだし、まあ、丁度いいということにしておこう。


 露店通りへ行くにふさわしい、気持ち軽めの服装に。白のシャツにジーンズ、黒のトレンチコートを合わせただけのもの。私はおしゃれに通じているわけではないので、これが精いっぱいだ。


 出かける前に髪型を整える。ブラシですいて、長い髪をそれなりにまとめる。最近は、前に雑誌で読んだ『ハーフアップ』をいうものを試している。後ろ髪がいい感じに固定できて、ちょっとおしゃれに見える。服装と合っているかとか、そもそも私に合うかは別として。


 鏡の前で身だしなみを確かめて、大きめの買い物かご、財布を持って――っと。


「これを忘れるところだった」


 小棚から黒のマスクを出して着ける。これがないと外を歩けない。


 日頃兜を被っているせいで、素顔を晒しながら歩くのが苦手になってしまった。いや、恥ずかしいというべきか。兜の時はいいのだが、見られていると意識してしまうと、途端に自信をなくしてしまう。なので、気休め程度にマスクをしている。ないよりマシだ。


 準備は万端。最後にちゃんとマスクをしているか鏡で見て、ようやく外に一歩踏み出した。




 準備、片付け、準備と無駄な時間をくったせいで、時刻はもう昼近い。通りの人の多さはさすがで、昼にもなれば更に増える。どこの店も人だかりができている。


 お昼はどこかの飲食店で済ませるとして、今はしばらく分の食糧を買うことを考えねば。何をどれだけ買うかで、今後の献立が決まる。栄養の偏りはなるべく抑えないと。


 はじめに立ち寄ったのは八百屋。他の店と比べてもかなりの種類があり、選び放題だ。無難にきゅうりやキャベツ、にんじん、大根等の野菜を手に取る。漬物にできるものは少し多めに買っておく。これである程度はメニューをごまかせる。


 食後に食べる果物も持っておきたい。みかん、バナナ、ぶどう。ちなみに私は桃が好きだ。今日は売ってないようなので残念極まりない。

 と、そこであるものが目についた。


「む、リンゴか」


 前にミスティと話していたことを思い出す。巡回中おいしいリンゴを見つけたとかなんとか。どこの店かは忘れてしまったが、妙にリンゴが気になってしまう。

 一つ手に取って見てみると、色、艶がよく、みずみずしさを感じる。中々いいものを取り扱っているな、と感心していると。


「お、いつものねーさんじゃねえか。久しいね」

「……え。あ、どうも」


「どうだい。よかったら一口、試食するかい」


 店主が気前のいいことを言ってくれる。


「ご厚意感謝します。ですが、私にそこまでしなくても」

「いいのいいの。ほら、食いなんせ」


 遠慮するひまもなく、掴んだリンゴを素早く一口大に切り分けていた。とてもいい笑顔で差し出してくるので、私は断れない雰囲気に呑まれてしまう。

 せっかくなので、いただくことにする。


「で、では、いただきます」


 リンゴ一切れを受け取り、マスクを少し下げて、かじる。


「んっ、甘い……」


 つい、言葉が漏れてしまう。蜜がたっぷり入っているゆえに甘く、ほどよい酸味がそれを引き立てる。甘みと酸味が絡み合って、爽やか、とでもいうべきか。絶品である。


「うまいか。喜んでもらえて、店主冥利に尽きるってもんね」

「あの、ありがとうございます。せっかくなので、三つ、いえ四ついただきます」


「毎度! お代は――よし。こいつがお釣りで、ほい、おまけも」


 店主がお釣りと一緒に、もう一つリンゴを手渡してきた。突然だったので驚いてしまい、一瞬言葉を忘れてしまう。


「あっ、あの、これは?」

「いつもひいきにしてくれるお礼。試食の時も、いい笑顔見せてもらったしね。歩きながらでも食いな」


 ……そんなに顔に出ていたのか。なんだか恥ずかしい。

 店主がそこまで言ってくれている、ここで断っては顔に泥を塗ることになる。これからも利用させてもらう身としては、仕方ない、受け取るとしよう。


「あ、ありがたく頂戴いたします」

「はっはっは! 固いねぇ、ねーさん。ま、気にしないで。毎度どうも、ってね」


 おまけのリンゴを受け取って、八百屋をあとにした。去り際まで、私を見送ってくれた。いい店主だ、また来たくなる。


 リンゴをかじりながら歩くこと少し。肉屋を見つける。肉は塩漬けにすれば多少は持つし、今夜はちょっと豪華にするのも悪くない。ステーキとか、ハンバーグとかな。リンゴを食べ終え、肉屋の前へ。


「いらっしゃい……ああ、マスクのねーさんか。いいの揃えてるよ」


 肉屋の店主は、八百屋の店主と比べると落ち着いた雰囲気。この人は物静かな方なので、私でも接しやすい。


 ガラスのケースには複数種の肉が並んでいる。いつも見ていて思うのが、たとえば牛一つでも、複数の部位があってそれぞれ味わいが違うこと、それがちょっと不思議だ。肉はただの肉ではないらしい。奥が深い。


 いつまでも眺めているわけにはいかない。必要になりそうなものをとにかく買っておこう。


「いつもどうも。えっと、この牛肉を三切れ、足付きの鶏もも二つ、あとこれとこれを二切れずつ」

「あいよ。袋に詰めるからちょっと待ってな。お代はね――」

「あ、あの、もう一つ……」

「なんだい?」


 ケース内に肉ではないものを見つけ、思わず店主に声を掛けてしまった。札には『コロッケ』と書いてあった。こんがりとしたキツネ色で、楕円形のもの。一体何なのだろうか。


「ああ、コロッケね。馴染みの商人に教わって、先月から出してたんだ。これが意外に、評判がよくってね」

「コロッケ、ふむ」


 新しい料理なのか。最近は料理本を買わないので、そういう新しいレシピを知らない。帰りがけにでも目を通した方がよさそうだ。

 まじまじと見ていると、店主が見かねたようで。


「ま、一つくらいならおまけにしとくよ。安いしね」

「いやいやいや、お代出しますから」

「まあ遠慮しないで。ものは試しにね」


 そういって、肉屋の店主もコロッケとやらをおまけしてくれた。ここの人たちはおまけするのが好きらしい。気のいいひとが多いのは助かるが、商売としては大丈夫なのだろうか、と心配せざるを得ない。


 これもせっかくなので頂くとする。店主はコロッケを厚手の紙でくるみ、私はそれを受け取った。出来立てだったようで、温もりを紙越しに感じる。

 さて一口……食べようとしたところで、思わぬ横槍が入った。

 いや、これは私も想定しなければならないことであったが。


「こんにちはー。ごぶさたしてますー」


 透き通った高い声。私はそれに聞き覚えがある。


「ああ、ミスティちゃん。相変わらず、元気だね」


 そう、ミスティだ。突如現れたものだから、コロッケ片手、マスクを少し下げた状態で固まってしまう。


「珍しいね、うちに寄るなんて。服装からして、休みなのかな」

「はい。団長さんに『ゆーきゅー』がどうのと言われて、休みになりました。五日ももらえたんです、長い休みは久々で――」


 楽しげに休みについて喋っている。休日だからか、彼女も私服だ。ベージュ色の長袖に、大きめのポンチョ、という異国由来の服を合わせている。下はチェックのロングスカート。とにかくひらひらしている。

 というか五日分休みを貰ったのか。となると。


(私と期間が被っているじゃないか! 団長、謀ったな)


 休暇明けに問いたださねば。絶対わざとだ。

 しかし今考えるべきはそこじゃない。どうやって自然なふうを装ってこの場を抜け出すかだ。

 まず間違いないこととして、私は一度たりとて素顔を見せたことに成功していない。つまりミスティは、素の私を知らない。

 意外に簡単ではないか。焦ることはない。普段通りにしていればいい。


「――あ、こんにちはー。お姉さんはお買い物ですか?」

「……え、私でしょうか」


 なんで返事した私は! ただのまぬけか!

 さて、うっかり屋の私が返事してしまったので、脱出任務は高度なものへ変化した。

 ミスティのにこやかな挨拶。対応してしまったものは致し方ない、挨拶だけでも。


「こんにちは。その、はい、しばらく分の食事を」

「お忙しいお仕事に就いてるんですね。私もなんですよ。見たことありません? 私、騎士なんですよー」

「ま、まあ何度か。とても立派だなと思ってます。ミスティさん、ですね」

「ぴんぽーん、正解です」


 立派ね。我ながら嘘八百を。ミスティのせいで性別の誤解が広がっているのだから、普段立派なぞ絶対言わない。だからこそ言うのだ、振る舞いや言動でばれないようにと。


 つまり本心ではない。断じて。


「おお、おいしそうなコロッケ持ってますね。おやじー、私にも一つー」

「あいよ。親父じゃないけどね」


 店主は、私にした時と同じように、コロッケをミスティに渡した。受け取ってすぐに、ミスティはコロッケにかぶりついた。


「んむ、んん……わはー、やっぱりおいしいですねー。ほっかほかで肉厚で、食べごたえしっかり。いつも通りのおいしさですね!」

「そういってもらえて嬉しいね。ほら、ねーさんも冷めないうちに」


 そういえば、さっきから食べていなかったな。冷めぬうちに、マスクを下げて、コロッケを小口でかじる。サクっとした衣、中には肉とじゃがいもが詰まっている。じゃがいものごろっとした食感と、肉の旨みが絶妙に混ざっている。


「確かに、おいしいです。おもしろいですね、このコロッケというものは」

「おいしいですよね! うちでも作ってみたいです」

「ミニレシピ配ってるよ。つけとくね。あと忘れんうちに、ねーさんの肉」

「私もください!」


 小さいレシピと、氷と一緒に袋詰めされた肉を受け取り、かごに入れる。それなりの量を買ったので、かごがずっしりとしたのを感じる。が、想定より重い。


「あの、もしかして」

「もしかするね。きれっぱしだけどおまけしといたから。また来てね、って意味でね」

「はは……ならまた来ます。今度は、コロッケ買いに来ますから。それでは」


 店主に別れを告げ、店を出る。やはり、この通りの人たちはおまけが好きらしい。食費は浮くのでやってくれるに越したことはないのだが。それか私のおまけに対する遭遇率が高いだけなのか。よく分からんが、まあいいか。

 ついでにミスティともお別れだ。顔も知らん女を追いかける趣味はないだろうし……。


「あのーおねーさーん、待ってくださーい」


 嘘だろ、なぜ追いかけてきた。

 振り返ると、ミスティがコロッケを食べながら走ってきていた。食べながら走るな、はしたない。

 私に追いつき、コロッケを食べ終えてから言葉を発した。


「あの、よかったら一緒にお店回りませんか? お父様……いえ、その、上司といつも一緒なんですけど、今日はいないみたいなので」

「見ず知らずの私と歩きたい、と?」

「そうなりますね。一期一会、ってことで、楽しみましょう。旅は道連れ世は情けー」


 なんて言いながら呑気に笑っている。ミスティは楽しそうでなにより。


(どうしようか。別に、正体を知られているわけじゃないからいいけど、うっかりボロを出したら面倒なことに……もしかして、こいつもチャンスでは――いや、違うか)


 これは、と考えたが、すぐ自分の中で否定する。確かにいい機会であるが、私が騎士であることと、『お父様』と同じ人間であると証明しなくてはならない。


 残念ながら、騎士の証は手元にない。何より、言ったところで中身がこの女だと信じてくれんだろう。なんせ皆は私を、いやユーフィリア・アマリリスという騎士を男だと思っているのだから。


(まだ機会は巡ってこないか。つくづく運のない……)

「あの、お姉さん? どうかしました?」

「いや、少し考え事を」

「それで、私と遊ぼうってことに対するお返事は?」


 ……うーん、どうしようか。どうも『お父様』の中の人と思っていないようだ。

 私一人でいても、あとは足りなさそうなものを買って食事するだけだし、ミスティのためだと思って付き合ってやるとしよう。悪いことじゃない。


「構いません。何かのご縁ということで、付き合いますよ」


 縁もゆかりもあるにはあるがな。


「わはーありがとうございますー! さっそくそこらへんに行きましょー!」

「そこらって、考えなしか!」


 風のように気ままなミスティに、振り回されることが決定した瞬間であった。

 その前に。私はかごをかかげ、頬を掻いて言った。


「その前に、買い物を家に置きに行ってもいいかな?」

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