S大ミス研のミステリィな日常

@keraten

第1話 11月のお話

 時計のアラームが鳴る少し前に起きるのが、私、市辺夕生いちのべゆうきの数少ない特技の1つです。おかげで大学1年になるこの年まで、遅刻をしたことがありません。

 その私が、突然鳴り響いた電子音で目を覚ましました。


 まあ、たまにはこういうこともあります。そう思って眠い目をこすりながらうっすら開けると、まだあたりは真っ暗でした。


「?」


 いくら11月になって日が短くなったとはいえ、こんな時間にアラームを設定した覚えがありません。枕元で鳴っているスマホがまぶしいです。

 そこでようやく、鳴っているのがアラームではないことに気づきました。ラインの通話の呼び出し音です。


 「……?」


 通話の相手を確認すると、大学のサークルのミステリー研究会の3年生、佐屋透さやとおる先輩でした。時計の表示は、深夜の1時です。


 迷います。

 これが同級生の友達だったら、それはそれで迷うところですが、無視して寝直したでしょう。

 しかし佐屋先輩はサークルの先輩で地元が近いこともあり、それなりに仲良くさせてもらってますが、特別仲がいいというわけではありません。向こうにとっても、おそらくそうでしょう。

 それが、こんな時間に一体……?


「……はい、もしもし」

「おっ、もしもし市辺?今大丈夫?」


 電話をとると、佐屋先輩の切迫した声が聞こえてきました。少しだけ意識がはっきりしてきました。


「はい、大丈夫です」

「寝てた?」

「ええ、まあ……」

「うーんまあそうだよな。ほんとごめん」

「どうかされたんですか?」

「市辺って、たしか多摩センターのへん住んでたよな」

「はい」

「それで、その、ほんっとに悪いんだけど、今から出てこれない?」

「出てっ……え?今からですか?」

「そう」

「えーっ……」


 本来なら、即断るところでしょう。

 まだ会って半年ですが、佐屋先輩はけっこう、かなりだらしない人です。でもこんな深夜に人を、しかも女子に1人で外に出てきてほしいなんて、非常識なことを頼む人でもありません。それに、佐屋先輩が何か焦っているのは電話口からも伝わってきます。何かトラブルがあったのかもしれません。


 そういえば、出てきてほしいって、どこに行けばいいんでしょう?


「あの―」

「あーいや、ごめん」


 私が質問しようとするのを、佐屋先輩が遮りました。


「やっぱいいや。悪いし、危ないし」

「はあ。そうですか」

「ごめんな、寝てたとこ起こして」

「いえ」

「まあ、まだアテがないでもないし。最悪1人でなんとかするわ」


 やっぱり何やら困っているようですが、なんとかなるなら良かったです。正直、今から外に出るのは面倒くさいですし……。


「明日って1限から?」

「ええ、まあ」

「うわあ、マジか。とにかく、ほんとごめん。この埋め合わせはそのうちするから」

「いいですよ、そんな」

「いやほんと、悪いから。それじゃ、おやすみ」

「はい。おやすみなさい」


 通話が切れた画面を少しだけ眺めましたが、すぐに眠気が襲ってきてまたすぐ目をつむりました。

 やはり少し気になりますが、でもまあ、佐屋先輩も大人ですし、殺人事件に巻き込まれたとかじゃなければ、きっと大丈夫でしょう。


 そう思い直して、私はまた眠りにつきました。



   ◇



 翌朝は起きてすぐスマホを確認してみましたが、佐屋先輩からは着信もメッセージもありませんでした。


 結局あれから、どうなったんでしょう。というか、あれは何だったんでしょう。

 気にしても仕方のないことですが、時間が経つにつれ疑問は膨らむばかりでした。なんとかするとは言っていましたが、解決したとは限りません。


 電話での様子からして、佐屋先輩に何らかのトラブルがあったのは間違いないでしょう。というより、それ以外にあんな時間に私に連絡する用が思いつきません。彼女じゃあるまいし。

 それに、佐屋先輩はいろんなサークルに入ってますし、友達が少ないわけでもなさそうです。それなのに、なぜ私に電話が来たのか。


 ますます謎は深まるばかりです。午前中は通学中も授業中もお昼を食べているときもそのことがずっと頭の片隅で考えていました。

 3限の授業が始まってもそれは変わらず、30分ほど経ったところで私は教室をあとにしました。どうせ先生は頭に入ってこないのだから、レジュメさえ回収してしまえば同じことです。それより明日以降のためにも、この謎は早急に解決しなければならないでしょう。

 ならないのです。



                  ◇



 向かったのは、キャンパスのちょうど中央付近に位置する、サークル棟の4階にあるミステリー研究会の部室です。

 もし佐屋先輩がいなくても、ミス研の先輩方なら1年生の私より佐屋先輩との付き合いが長いですし、何か心当たりがあるかもしれません。

 エレベーターを出て部室の方を見ると、明かりがついていました。ドアを開けると、


「おや、夕生ちゃん?」

「わ、くいな先輩。お疲れ様です」


 部室にいたのは、3年生で建築科の橘川きっかわくいな先輩でした。畳敷きの部屋で、本棚にもたれながら本を読んでいます。


「お疲れ~。ってあれ?この時間って授業、えっと、社会学じゃなかったっけ。どうしたの?」

「ちょっと、気分が乗らなくて、抜け出してきちゃいました」

 てへっと私が舌を出すと、

「お、ちょっと見ない間に悪い大学生になったね。落としても知らないよ~?」

「いいんですぅ。むしろ前期は申請しすぎて忙しかったから、その分を後期に取り戻すんです」

「やるじゃん。ま、テスト前にレジュメ読んどきゃ余裕余裕。あんなの落とすの佐屋くらいよ」


 くいな先輩がけらけらと笑います。

 くいな先輩は東京生まれ東京育ちの、都会的でおしゃれな先輩です。勉強もすごくて、入試ではW大にも合格していたそうですが、授業料や勉強したい分野なんかの兼ね合いで、この公立のS大に進学したそうです。女子の少ないミス研の中では、私にとってはとても話しやすい先輩で、くいな先輩も色々と私や、ほかの女子部員の世話を焼いてくれます。研究室が忙しいらしく、あまり部室には来てくれないので、今日はとても運がいいです。


 それに、くいな先輩は佐屋先輩の同級生です。これは有力な手掛かりが得られるかもしれません。


「あのーところで、佐屋先輩はいないんですか?」

「ん?いないけど。なーに?待ち合わせ?」

「いえ」

「じゃあ何?」

「ちょっと、聞きたいことがあって」

「ほう……」


 腰を下ろす私を、何やらくいな先輩が興味深そうに見ます。


「佐屋なら、今日は木曜だし来るかもね。5限に英語があるから」

「英語?」


 って確か、2年生までの必修だったような。


「再履修」

「ああ……」


 いかにも佐屋先輩らしいです。


「じゃあ、今もどこかで授業中ですかね」

「食堂とか生協でサボってなければ、そうだね」

「一応そっちも見てきたんですけど、いませんでした」

「夕生ちゃん、わかってきたね」


 くいな先輩が褒めて(?)くれますが、私に言わせれば、会って半年程度の私にその可能性を思い至らせる佐屋先輩こそさすがです。


「まあ、他のサークルの部室にいるかもしれないけど」

「ありえますね」

「で、佐屋に何が聞きたいの?私にわかることだったら答えるけど。ちなみにあいつに彼女はいないよ」

「いえ、そういうんじゃないです」

「なあんだ」

「実は昨日ですね……」


 残念がるくいな先輩でしたが、私の話に興味が湧いてきたのか、話しているうちにだんだん元気な顔になってきました。私の話が終わると、


「たしかにそれは、謎だね」

「ですよね」


 くいな先輩が、うーんと天を仰いで考え込んでいます。そんな仕草も画になる先輩も素敵です。

 しばらくして考えがまとまったのか、くいな先輩は私に向き直って口を開きました。


「焦っている佐屋かあ。これは極めて珍しいことだわ」

「はあ」

「部誌の締め切りが迫っても、単位を落としても、ガスや電気が止まっても、交通事故に遭っても泰然としてる、あいつに限って」

「ありましたね、そんなこと……」


 7月の中ごろに、佐屋先輩がツーリング先で事故に遭ったことがありました。バイクが壊れて帰りの足がないと連絡があり、電話ではのんびりした様子だったので、ミス研の先輩と半分旅行気分で車で迎えに行ったのですが、行ってみたらけっこうな大怪我でむしろ私たちが慌ててしまいました。当の佐屋先輩は、実際に会った時もわりとケロッとしていたのですが。


「見たかったなあ。焦った佐屋」

「あの、それで、何か心当たりはないですか?」

「おっとそうだった」


 今度はくいな先輩が舌を出します。そんな仕草もとても自然で、とってもチャーミングです。


「まず、夕生ちゃんにまでかかってきた電話が、私にはかかってこなかった。あいつとはそこそこ仲はいいと思うんだけど。てことは多摩センターか、その周辺に住んでる人だけにかけたんだろうね」


 くいな先輩は世田谷区に住んでいます。きっと、すぐにかけつけることができそうな人に連絡していたのでしょう。


「佐屋から深夜の呼び出しかあ。簡単なのだと、麻雀のメンツが1人抜けて、代わりを探してたとか」


 人差し指を立てて、くいな先輩が説明してくれます。

 佐屋先輩が麻雀サークルにも入っているのは、私も知っています。また、先輩はそのサークルに限らずいろんな人と卓を囲んで(と表現するらしいです)いるらしいです。おかげで授業の出席率は低いようですが。


「夕生ちゃんって、原付乗ってたよね。大学で打ってたんなら多摩センターからでも来れるし、危ないって言っても、部室まで来るぐらいなら、大丈夫かもしれない」

「でも私、麻雀できません」

「そうだよね。じゃあこれは却下」


 くいな先輩が2本目の指を立てます。


「次は、終電がなくなって帰れなくなったとか」

「でも、先輩ってバイク持ってますよね」

「飲み会のあとだったとか」

「ああ……でも、電車もなしに私が佐屋先輩をどうやって送るんですか?」

「佐屋とは限らないよ?」


 くいな先輩が3本目の指を立てます。


「そうじゃなくて、例えば飲み会の、時間的に二次会かな?そのメンバーに1人だけ女子がいて、近くの家まで送ってあげてほしいとか」

「普通に佐屋先輩が送ってあげればいいんじゃないですか?」

「その子には彼氏がいるから、誰か、女子の証人が欲しかったとか」

「ははあ……」


 妙に具体的というか、限定されたシチュエーションですが、少なとも破綻はしていなさそうです。


「でも飲み会だったら、他にも人がいたんじゃないですか?」

「まあ、たまたま誰も都合がつかなくって、夕生ちゃんまで回ってきたって可能性はあるかな」

「うーん……」


 全くあり得ないということはなさそうですが、色々考えてみると、どうも可能性はあまり高くなさそうです。


「彼氏のいる女の人が、1人で他の男の人達と、そんな時間まで飲んでますかね?」

「まあそこは、女の子の方は奔放なんだよ。サシ飲みだったかもしれないし。お、なんか怪しくなってきたな」

「はあ」

「そう、夕生ちゃんを呼んだのはつまり、アリバイ作りだよ!うわあ、そっかぁ」

「本気でそう思ってます?」


 じっとくいな先輩見ると、


「佐屋にそんな甲斐性あるのかしらね」


 さぁ、という感じに両手を上げます。


「まああくまで、可能性の1つとしてね。ほんとに、友達として飲んでただけかもしれないし」


 それ以降も2人であれこれ議論しましたが、「アリバイ作り説」以上に有力な説は出てこず、その説もイマイチ説得力に欠けます。


 そのうちに、くいな先輩も飽きてきたようで、そのあとしばらく、2人でカタンをプレイしました。ミス研で2人カタンをするときは、7が出たら強制的にバーストで12点で勝ちというルールです。交換のタイミングも難しく、非常にスリリングかつエキサイティングです。

 熱い戦いが続きましたが、私が9点目になる都市を建設したところで、


「やば!」


 時計を見たくいな先輩が突然立ち上がりました。いつのまにか、4限が始まる時間になっていました。


「もう行かなきゃ!」

「研究室ですか?」

「そそ。教授は優しいんだけど、助教がうるさくってさあ」


 そう言いながら、くいな先輩は急いで鞄に荷物を詰め込みます。1年で文系の私には察するしかありませんが、研究室というのはさぞ大変なのでしょう。


「くっそうこんなことじゃ佐屋を笑えない!」

「カタンは私が片付けておきますから」

「ありがと!そんじゃ!」


 そう言って、ばたばたとくいな先輩は部室を出ていきました。静まり返った部室で、私はいそいそとカタンの片付けを始めました。

 それから部室で誰か来ないか待っていましたが4限が始まってしばらく経っても、部室には誰も来ませんでした。


 1人で部室にいるのは、思いのほか時間を持て余します。普段私が来るのは昼休みか4限以降なので、部室には誰かしらいますし、いなければ他のサークルに行くか、帰るだけです。この部室で1人でできることといえばスマブラかスーパーマリオ(64)か、本を読むくらいです。ちなみに、おしゃれなティーセットなんかはありません。誰かお金持ちの部員が持ってきてくれないでしょうか。

 

このまま帰るかは、悩むところです。今日はもう講義はありませんが、ひょっとしたら佐屋先輩か、他の部員が来るかもしれません。





 今度はテレビの音で、私は目を覚ましました。


「あ、おはよう」


 声がした方を見ると、3年の高宮恭一たかみやきょういち先輩がコントローラーを握っていました。

 どうやら、人が来るのを待っているうちに寝てしまったようです。1限から授業があったのと、昨夜中途半端な時間に起きてしまったせいでしょう。

 時計を見ると3時過ぎでした。


「よく寝てたね。夜更かしでもしてた?」

「ええ、まあ」

「どうせ寝るなら授業中にしないと。損だよ?」

「はあ……どうも」


 こんなことを言っていますが、高宮先輩は私と同じ法学部の先輩で、よく勉強を見てもらっているお世話になっている先輩です。しかもイケメンでサッカー部にも所属しており運動も得意で、ミス研では副部長でもあります。

 不思議な―といっては失礼ですが―組み合わせですが、佐屋先輩とは色々趣味が合うらしくよく遊んでいて、たぶん親友といっていい間柄なのだと思います。


「いつ来たんですか?」

「3時前。今日のゼミで発表だから準備してたんだけど、意外と早く終わったから休憩。市辺は3限からいたの?」

「はい」

「1人で?」

「いえ、くいな先輩がいました。もう研究室に戻っちゃいましたけど」

「お、珍しい。図書館なんかにいる場合じゃなかったな」


 3限をサボったことは内緒です。


 会話しながらも、高宮先輩の操作するマリオは壁をすり抜けたり変なジャンプで高速で移動したりと、私が見たことのない動きをしていていました。

 高宮先輩のプレイを見ているうちに、目も覚めてきました。と同時に、ふと思いついたことがあります。


 高宮先輩には、佐屋先輩から連絡はなかったのでしょうか。佐屋先輩に何か困りごとがあったなら、高宮先輩は真っ先に頼りそうなものです。逆に、高宮先輩に連絡がなければ、くいな先輩の「アリバイ作り説」にも、それなりに信憑性が出てきます。


「先輩」

「何?」


 画面から目をそらさず高宮先輩が答えます。


「昨日の夜、佐屋先輩から何か連絡とかありました?」

「ん?あったけど」

「え?」

「もしかして、市辺にもあったの?」

「え、ええ」


 まあ普通に考えれば、当然のことです。高宮先輩は車も持っていますし、住んでいるのも堀之内とすぐ近くです。

 

とはいえ、謎は深まるばかりです。

 まず、「アリバイ作り説」ですが、高宮先輩は信頼できる人ですが男性です。アリバイ作りの共犯には不適当でしょう。

 逆に普通に送るだけなら自分ですればいいだけですし、足がないのなら私に連絡しても意味がありません。それよりタクシーでもつかまえる方が早いでしょう。


「んー?何してたんだ?あいつ」


 首をひねりながらも、高宮先輩のマリオが投げ飛ばしたクッパは見事に爆弾に命中しました。


「なんか、困ってるみたいでしたけど」

「え、出たの?」

「はい」

「偉いね。俺、酔っぱらってかけてきたのかと思って無視したから」


 まあ、それが普通の反応なのでしょう。私も親しい友達からだったら、逆に無視していたかもしれません。


「じゃあ橘川には?かかってきてないの?」

「ええ」

「ふーん……」


 頭の後ろに手を組んで、高宮先輩が答えます。ゲームはいつのまにかエンディングを迎えていました。


「だとしたら、単に話し相手が欲しかったとかじゃないなあ」

「佐屋先輩って、用事がないと電話しないタイプだと思ってました」

「シラフの時はね。酔っぱらうと、ちょっと面倒くさいよ」

「ははあ」

「よっ」


 高宮先輩は立ち上がって64の電源切ると、今度は別のカセットを挿入しました。あれはスターフォックスです。


「で、何の電話だったの?あれ」

「いえ、それが、わからないんです」

「というと?」

「ええ。なんだか焦ってるっていうか、困ってるっていうか……」

「へえ」


 それから昨日の電話について、高宮先輩に細かく話しました。くいな先輩の「アリバイ作り説」についても一応話しましたが、高宮先輩は「ないな」と一蹴しました。


「焦ってる佐屋先輩って、ちょっと想像できないですよね」

「わりとよく見るよ、俺」

「ほんとですか?」

「麻雀でうまくいっていないとき」

「ああ、そういう」

「そうだ」


 高宮先輩が何か思いついたようです。


「フリーで負けて金が足りないとかなったら、ありえるかな」

「フリー?」

「雀荘で、知らない人と金をかけて麻雀を打つこと」

「ははあ」

「ああいうのはその場で清算しなきゃいけないから、足りないとなったら焦るだろうし、何とかして工面しようと、近くに住んでる知り合いに手あたり次第電話をかけたとしたら」

「辻褄は合いますね」

「まあ、鉄砲で麻雀するほど、あいつもアホではないと思うんだけど」


 確かに、いかに佐屋先輩が何かとルーズといっても限度があると思います。もっとも、そのあたりの想像を上回ってくるのが、佐屋先輩でもあるのですが……。


「あ、でも、例えば免許証とかを店に預けて、ATMにとかで引き出しに行けばいいんじゃないですか?雀荘がどうかわかりませんけど、普通の飲食店とかだったらそれでいいですよね」

「それもそうか。じゃあ今のはなしで」


 高宮先輩はそれ以上は興味がなかったようでゲームに集中してしまいました。私も適当に本棚から漫画を取って読むことにしました。部屋にはひたすらゲームの音楽が流れます。


「……よっと」


 まだゲームは途中のようでしたが、高宮先輩は電源を切って片付けを始めました。時計を見ると、まだ5限が始まるにはもう少し時間があります。


「もう行くんですか?」

「うん。資料とかプロジェクタとか、教室の準備しないと。それじゃ」

 そう言って高宮先輩は部室を出ていきました。

 まもなく、4限の終わりを告げるチャイムが鳴りました。


 




 それからは本を読みながら部室に残っていましたが、5限が始まってしばらくしても、部室には誰も姿を現しませんでした。この時間になっても誰も来ないとなると、もう今日は閉店でしょう。


 佐屋先輩が受けている英語の授業が終わるのは6時です。部室に来るとも限りませんし、さすがにそれまでは待てません。戸締りを確認して、私も部室を後にしました。


 謎は結局わからずじまいですが、まあ、また会った時にでも聞けばいいことです。そう思い駐輪場へ向かいました。


 夕方の構内はそれなりに人も多く、食堂で勉強する人、これからどこで飲むか相談をしている人、駅に向かって帰る人、私と同じように原付やバイクで帰るために駐輪場に向かう人、色々です。

 そうして図書館の前を通りがかったところで、


「あっ」

「おっ」


 外に出てきた佐屋先輩と、ばったり出くわしました。


「お疲れ」

「どうも、お疲れ様です」

「今帰り?」

「はい、まあ」

「部室誰かいた?」

「いえ、私で最後です」

「そっかあ。うーん、しゃあない。俺も帰ろ」

「先輩英語は……いえ、なんでもないです」

「うん」


 先輩は一言頷くと、私と並んで歩きだしました。佐屋先輩もバイク通学ですが、私と違って250ccのバイクに乗っています。


「昨日はごめんね。あんな時間に」

「いえ」

「帰るんなら、どっかで飯でも食ってかない?昨日の埋め合わせもしたいし」

「あ、いいですね」


 素直にお言葉に甘えます。何せ今日は、佐屋先輩のせいで全然授業に集中できなかったのですから。


「何がいい?」

「何でもいいですよ」

「じゃあラーメンかカレー」

「うーん……ラーメンでお願いします」

「あいよ」

「ちなみに、図書館では勉強してたんですか?」

「いや、休憩室で大富豪して、みんなが授業に行ってからは本読んでた」

「先輩は授業なかったんですか?」

「まあ、あったけど」


 さすがというか、なんというか。いやはや。

 S大のキャンパスは東西に広いうえ、夏休みに終わるはずだった工事が長引いていて、バイクの駐輪スペースは隅に追いやられています。そこへ向けて、佐屋先輩と黙々と歩きます。


 埋め合わせはしてくれるようですが、どうも、昨日何があったかは、こっちから聞かないと昨日のことは話してくれなさそうです。私は意を決して、


「あの、昨日の電話ですけど」

「うん?」

「どうなったっていうか、何があったんですか?」

「うーん」


 少し宙を見た佐屋先輩でしたが、


「なんていうか、金がなくって」


 佐屋先輩には珍しく、言いづらそうでした。

 お金がないとは、高宮先輩が言っていたようなことでしょうか。


「まさか麻雀ですか?」

「いや」

「じゃあ深夜でしたから、居酒屋とかですか?おいくらくらい?そんなに飲んだんですか?」

「いや」


 一拍おいて、


「300円くらい」

「へっ?」


 思わず声が出てしまいました。


「それってどういう」

「サイゼに行ったんだ。バイトの後に。んで、ペペロンチーノを食べたんだけど、財布に100円ちょっとしか入ってなくて」

「は、はあ」

「現金しか使えなくてさ。んでコンビニ行ったんだけど、俺ゆうちょ銀行の口座しか持ってないんだけど、それが9時までしかATMで引き出せないんだわ。家に戻ってもなんもないし、朝まで待つわけにもいかんし」

「それで電話を……」

「うん。でも深夜だし、かつ近くに住んでるとなると、なかなか捕まらなくて」

 

やっと事情が分かりました。どうやら大筋は、高宮先輩の説があたっていたようです。

 それにしても、300円とは……。


「あると思ったんだけどなあ。それくらい」

「まあ、普通は入ってるでしょうね。それくらい」

「なあ」


 妙に他人事のように言う佐屋先輩でした。


「それで、結局どうなったんですか?」

「電話に出なかった近くの友達ん家に行って、起こした」

「どうやって起こしたんですか?電話でも起きなかったのに」

「そりゃあ、ドアをこう、ドンドンと」

「それは……さぞ近所迷惑だったでしょうね」

「めちゃくちゃ怒られた。本人にも隣人にも」

「それはそれは」


 ともあれ、謎は全て解けました。これで今夜はよく寝られそうです。


「そこそこ歩く羽目にもなったし、ほんとに散々だった」

「歩きですか」

「店に免許証預けてたから」

「ああ」


 ようやく駐輪場に着きました。鞄をメットインにしまって、シートに座ります。朝は晴れていた空は曇っていて、風がこたえそうです。


「準備いい?」

「はい」


 ブレーキを握ってセルスイッチを押します。もう少し寒くなったら、エンジンもかかりにくくなるでしょう。

 ゆっくり動き出す先輩のバイクについて、私もアクセルを回しました。

 明日からはもう少し、あったかい格好をしようと思います。

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