第5話 王者



 逃げられない俺は、援軍を呼んだ。


 すなわち、向かいの部屋で勉強してた美沙ちゃんと妹を真奈美さんの部屋に呼んだ。


「…そういうわけで、なんか怖い!」


「こわいっすねー」


妹の暢気な口調で言われると緊迫感がない。でも、たしかにあの怖さは、言葉で説明しても伝わりづらいだろうなと思う。


「それよりもー。にーくんに質問っすー」


「なんだ?」


「真奈美姉ちゃんのパンツは、たんすのどの引き出しに入ってるっすかー」


なんで俺が真奈美さんのパンツ漁りを完了してることになってんだ。美沙ちゃんのパンツには興味があるが、真奈美さんのほうは眼中にない。いや!そうじゃねぇ!美沙ちゃんのパンツも漁らない。人間だから。


「俺が知ってるわけないだろ…」


「ってことは、真奈美姉ちゃん換えのパンツ持たずに風呂に行ったっすねー」


「ああ、それはありえますね。うちの家族、けっこうお風呂上がってからバスタオル巻いただけでうろつきますから」


マジで!?瞬間で美沙ちゃんのバスタオル姿を想像した!三百六十度全方位3Dで!


「にーくん?」


「お兄さん?」


しまった。こいつらニュータイプか?


「いや。それより、それじゃあ、俺、ここにいない方が…」


「そうっすね。このまま、ここにいるとマズいっすよー」


「とは言っても、真奈美さんに『ここにいろ』とも言われているんだが」


「つまり、お兄さんも、お風呂に乱入してくるべきですね!」


美沙ちゃん、こぶしを握り締めて力説。意味分からないけど…。これは、いったいどういう論理の接続なんだ。いったいなにが「つまり」なのか?美沙ちゃん、国語も赤点だったな。さては。


「??」


「わかりませんか?」


「いや美沙っち。その超論理は、私にもわかんないっすよ?」


妹がまともなことを言った。


「だって仮にバスタオルを巻いたとしても、この部屋で着替えたら、その過程でモロ見えです。つまり、もうお兄さんが姉の全裸を見るのは確定。だったら、もういっそのこと、行っちゃってくださいっ!さぁ、どーぞ!姉の体の隅々までじっくり湯船に浸かりながらごゆるりとご鑑賞してきてください」


「……」


「……」


たいへんだ…。美沙ちゃんが…


「美沙っちが、狂ったっすー!」


ムンクの叫び状態になった妹の両手を美沙ちゃんが、とっさに握り締める。


「おちついて!真菜!私は、これ以上ないくらい冷静だから!」


「いや、冷静じゃないだろ。本当に意味分からないよ。美沙ちゃん」


これが漫画なら、美沙ちゃんの目はぐるぐる渦巻きになっているはずだ。


「もー。なんで、わかんないですか!お兄さん、がっつり嫁入り前の姉の裸を見て、がっつり責任とってくれれば万事おっけーじゃないですか!高校中退でもお嫁さんにはなれるんですよ!」


ぎゃーっ。こわいっ!やめてー。美沙ちゃんの方ならやぶさかではないけれども、真奈美さんはやめてーっ。


「美沙っち!落ちつくっすー!だめっすー!やめるっすー!」


妹もパニックに陥った様子。美沙ちゃんに回転のいい突き押しを決めながら、ベッドに二人で倒れこむ。


 おお。


 相手が妹とは言え、なんだかいいよね。美少女がじゃれあいながらベッドの上できゃーきゃーやっているのって。眼福だよね。美沙ちゃん、脚も綺麗だよな。スカート、けっこう捲れあがっちゃってるし。


 脳内保存!脳内保存!REC!REC!


「ふおっ!」


美沙ちゃんにマウントを決めた妹が、イキナリこっちを振り向いた。


「足音がきこえたっすーっ!兄者ぁーっ!」


つぎの瞬間、俺に向けて妹が発射された。視界が暗転し床に突き倒される。うわっ。なんだこれ。暖かいものが顔の上に乗ってて身動きできない。


「…ひっ」


そろそろ聞きなれた感のある真奈美さんの悲鳴を、暗転した視界の中で聞いた。部屋の空気が凍りつくのが感じ取れる。あ、俺もニュータイプ。


「…なに…して…るの?な、おとくんに…」


「なにしてるは、こっちのセリフでござるっすーっ!よよよよ、嫁入り前の娘が裸でウロつくなど、中東ならスリングショット投石ヒットで殺害されっすよーっ!アッラーアクバール!パンツとブラの即時着用を要求するっすーっ!早くするっすーっ!」


「ひぎっ」


ちょっ!真菜!落ち着け!真奈美さんがビビり死ぬぞ!…と言いたいが、顔面にたぶん恐ろしいものが押し付けられているので口を動かせない。このまま口を動かしたら、妹に××××されてる状態で、妹の×××を×××することになってしまうかもしれない。


「…き、着たから」


引き出しを開け閉めする音と衣擦れの音の後に、怯えきった真奈美さんの声が聞こえた。


「まだっすーっ!シャツとボトムの着用も必須っすー!」


妹の迫力がすごい。なんと頼りになる妹だろう。美沙ちゃんのクラスで頼りにされているという言を実感している。でも、あまり真奈美さんを怖がらせないでくれると助かる。


「よしー。着たっすねー」


顔面が解放される。


 さっきまで、自分の視界がどういう状態でふさがれていたのかは忘れよう。事故だ。事故。事故過ぎる。ノーカン。妹がベッドから発射されてくるとか事故だろう。事故だよな。




 さて、部屋の状況はこうだ。




 部屋の隅でバスタオルを頭からかぶってジャージのズボンにブラウスという斬新なコーデの真奈美さんがうずくまって震えてる。ベッドの上には、そんな状態でも美少女な美沙ちゃん。そして部屋の中央に王者が屹立している。妹だ。肩幅に足を開いて、肩をいからせ、地球を踏みしめている。すごい存在感だ。


 妹よ。


 今すぐギターを買うべきだ。


 今のお前になら、世界がひれ伏す。


「ここここ、このヒキコモ・ビッチがぁーっ!裸ごときでにーくんをゲットせんとわぁーっ!にーくんっ!帰るっすーっ!ここはヤバいっす!帰るっす!美沙っちも来るっすー。うちで勉強教えるっすーっ」


それは、提案ではなかった。お願いでもなかった。命令ですらなかった。


 宣言だった。


 否応のない王者の宣言が暴君の圧力をもって、ただ発せられた。


「…ひぎっ」


外に出ることも出来ない臆病な引きこもりは、ただ悲鳴を挙げ白目を剥くのみ。


「…あっ。お兄さん!見ちゃだめです!」


ぐぎっ。


 ぎゃーっ。


 美沙ちゃん、急激に首だけ回すのやめて。


「いたたたたた」


美沙ちゃん、首だけ持って部屋の外に引き出すのやめて。取れちゃう!


「お兄さんは、一階の居間で待っててください。いいですね。絶対ですよ!」


はい。これまた、否応がない。居間のソファで、縮こまって奥に隠れた俺の自由意志とともに縮こまる。


 ドアの向こうを、ぱたぱたと美沙ちゃんが駆け回る音が聞こえてくる。


「お母さーん。雑巾どこー?お姉ちゃんが、おしっこ漏らしたー」


妹よ。やりすぎだよ。






 帰り道…というか、うちに河岸を変える途中の道すがら、妹の迫力に若干ひき気味の美沙ちゃんが言う。


「お兄さんに姉をもらっていただくのはダメですか?」


「ダメっす!」


断言だった。一分の隙も、俺の自由意志もない返答だった。まぁ俺も、真奈美さんは遠慮したいけどね。


「美沙ちゃんのほうなら…」


「なんか言ったっすか!」


ぎろりん。まずい。このままでは、妹が目からビーム出しかねない。


「言ってません…」


なんで、今日はこんなに怖い目にばかりあっているんだ。前半は心霊系で、後半は猛獣系恐怖だ。


 家に着くと王は、俺に蟄居を命じた。


 もう、おとなしくするよ。妹の機嫌が直るまでおとなしくするしかない。


 それにしても、あんなに機嫌の悪い妹は初めて見た。そんなに真奈美さんが義姉になるのが嫌か?


 ……。


 ああ。そうだよな。嫌だな。


 まぁ、冷静になろう。真奈美さんの出席日数的には、もうとっくに慌てるような時間だけど。


 美沙ちゃんの狂った提案は却下としてだ…。予想外に真奈美さんは回復してなかったか?怖いけど。


 まず、部屋が汚部屋からCGみたいな部屋になってた。両極端だけど、後者の方がよほどいいだろう。怖いけど。あと自宅内の風呂とはいえ、あっさり部屋から出た。あの様子だと、風呂もちゃんと定期的に入りそうな気もする。


 俺、すげー。チョースゲーマジパネーんじゃん?


 将来の仕事はカウンセラーになろうかな。才能があるかもしれない。


 このまま行けば真奈美さんが引きこもり克服して、外に出れる日も近いかもしれな…。


 いや、まてよ。


 あの状態の真奈美さんが外に出て大丈夫なのか?


 つーか、おもに俺が大丈夫なのかにゃ…。


 語尾を可愛くしても解決にならんのにゃ。


 だめだ。


 考えても解決しないものは、とりあえず考えないで漫画を読もう。頭の悪い漫画を読もう。






「にーくん。おきるっすー。ごはんっすー」


「んあ?」


いつの間にか寝ちゃってたらしい。


「美沙ちゃんはどうした」


「ダイニングにいるっすよー。ご飯食べて帰るっすー」


「そっかー」


美沙ちゃんを眺めながら夕食が食べられるとか、今夜の夕食はさぞかし美味いことだろうな。いつか美沙ちゃんの手料理とかも食べたい。


「いただきます」


夕食のメニューは和食。うちの夕食は常に和食だ。父さんが和食好きだからだし、母さんも和食が得意だ。というか、洋食はお弁当用の冷凍食品か外食しか食べたことがない気がする。


 それにしても、美沙ちゃんのなんとかわいいことよ。


 和風美人が和食を食べているのは絵になるなぁ。


「こうしてみてると、美沙ちゃんが真菜に勉強を教えてもらってるとか、ちょっと想像つかないわねぇ」


母さん、俺も同意なんだけど、学年四位の娘にあんまりな言いようだな。


「お母さんは、美沙っちのバカっぷりを知らないからっすー。歴史なんて覚えるだけなのに、なんで覚えられないのかミラクル級っすー」


「真菜みたいな覚えかたできるほうがどうかしてると思うよ」


あ、美沙ちゃん小首かしげた。かわいい。


「にーくん。鼻の下が伸びてるっすー。ころすっすー」


ゆるく怖いこと言うな。もー。


「真菜は、どうやって暗記してるんだ」


「教科書じーっと見るっすー」


「そりゃ見るだろ」


「んでー。目を閉じるっすー」


「うん?」


「見てた教科書をまぶたの裏に再生するっすー」


「できるの?」


「さっきまで見てたんだから、できるっすー」


「まぁ、そうか…な?」


できるか?


「んで、ばっと目を開けて、もっかい教科書見るっすー」


「それで?」


「まぶたの裏に再生したのと完全一致したら、暗記終了っすー。あとは、試験のときに目を閉じて、覚えた教科書をぺらぺらめくって書けば楽勝っすー。覚えさえすれば、数学も理科も全部教科書持込可の試験と同じっすー」


「美沙ちゃん。こいつに勉強を教わってもダメだと思う」


「…残念だけど、私もそう思うわ」


と、母さん。


「…すまないが、勉強の仕方にも向き不向きがある」


と、父さん。


「ですよねー。私も、今日一日で薄々感づいていたんですけど…。ひょっとして、私の頭が本当に悪いのかと思ってました…」


そんなことはない。妹が頭おかしいだけだ。今、気づいたけど、妹はアタマのバランスが狂っているんじゃなかろうか…なんだっけ。ああそうだ。サヴァンだ。大丈夫かな。こいつ。


「直人。お前、上級生だろう。お前が教えてやればいいんじゃないか?」


父さんを超尊敬した。なんというナイスアシスト。


「そ、そうだね。じゃあ、俺が教えるよ」


「あ、いいんですか?じゃあ、お兄さん。お願いします!正直、真菜の頭が良すぎて、私ついていけませんから」


はい。頭が適度に悪い俺でよござんすか?


「ちょっと待つっすー。私が教えるっすよー」


「いや。お前じゃだめだったろ」


「じゃじゃじゃ、私にも教えて欲しいっすー」


「いや。俺、去年、お前よりずっと成績悪かったし。一年生の範囲を勉強しなおしたわけじゃないから、去年の俺の成績より上のやつに教えることなんて…」


「いいから教えるっすーっ!にーくんなんだから、教えるっすー!」


わけわからん…。




(つづく)

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