旅の始まり

 王都脱出から一夜明けた。

 港も鉄道もどうせ厳戒態勢なので、昔ながらの歩き旅と洒落込んだ。

 二人は春の陽気を味わいながら、まだ緑の少ない街道沿いの荒れ地を進んでいた。


「ご両親まで殺すとは思いませんでしたよ」


 鼻歌を歌いながら先行するシャルロータに、シキブは呼びかけた。

 くるりと振り返ったシャルロータが、口を尖らせる。


「あの人達が慰み者にされるのを黙って見てろって言うの?私のパパとママなのよ。ほかの誰かの好きになんてさせないわ!」


「それに……」とシャルロータは続ける。


「愛する人間をこの手で殺すこと。私の中にあった最大の禁忌よ。これぐらいしないとシキブのパートナーになれないでしょ?」


「ぱーとなー……」


 シキブはぼんやり空を見上げた。

 ずっと単独行動をしてきたシキブには、その概念がいまいちピンと来なかった。

 これまでにも流れで他人と組んだことはあったが、いずれもあまり良い結果には結びつかなかったように思う。


「ねぇシキブ!これからも家庭教師でいてくれる?私まだまだ知りたいことがたくさんあるの!」


「……報酬はどうするおつもりですか?」


「私と一緒に居られるんだから、それだけで楽しいでしょ?だからそれが報酬っ!」


「楽しい、ねぇ……」


 それもシキブにはよくわからない概念だった。

 だが離宮を脱出するとき、テラスから飛び出した時に香ったシャルロータの匂いには、なにか感じるものがあった。


 シャルロータがシキブに対して言った「手遅れな匂い」とは、ああいうものを言うのかも知れない。

 まぁ悪くないかな、とシキブは思った。


 体を魔具に変えるという自爆に近い戦い方をしておきながら、けろっとしているような娘だ。あるいは本当にシキブのパートナーになれる存在なのかも知れない。


「じゃ、ま。仮契約ということで」


「やった~!……あ、靴紐ほどけちゃった。先に行ってて」


「はいはい」


 靴に手を伸ばし屈んだシャルロータを追い抜き、シキブは進んでいった。

 その背中を見つめ、十分に距離が開くのを待ってから、シャルロータは岩陰に顔を向けた。


 ――ばちゃばちゃばちゃっ!!


「ゲホッ!がっ…は!うぇ……っ!おぇえええッ!!」


 血の混じった胃の内容物が、少女の口から吐き出された。

 シャルロータは脂汗をかきながら、吐き気が治まるのを待った。


「フーッ…フーッ…フーッ……」


 口の端を拳で拭い、よろめきながら立ち上がる。

 魔具を使わない魔術の発動は、少女の体に大きな負荷をかけていた。

 シャルロータはそれを悟られぬよう、シキブの前では努めて明るく振る舞っていた。


の隣に立つなら……これぐらい……っ」


 魔術の名門リヴィーツァ家は、王殺しの罪により断絶となった。

 その最後の生き残りであるシャルロータ・リヴィーツァは、狩りをする雌獅子が如き眼光で、小柄な家庭教師の背を見つめた。


「ああ…いけない……いけないわ……。あんな禁忌……欲しくなってしまうじゃないの…………」


 青ざめた顔を上気させ、少女は歪に笑う。


 この日シャルロータはシキブを、あの禁忌そのものである女を――必ず手に入れると決めたのだった。

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