第65話 遁走

 ふさしの言葉に多佳が見晴るかした先、ふみが道士たちと歩む姿は霧に霞んで定かに見えない。

 その霧の先――。道士たち一行は、突然前から現れた山伏の集団に道を塞がれたところだった。老人がふみの腕をますます固く握る。その手は肉が削げ落ち骨が皮に浮き出て、まるでふみの白い腕が節くれ立った木の枝に絡めとられたよう。


「童の神はよこしてもらおう」

「仙女は我らの同胞、人びとに不死を齎す者。お前たちには過ぎた宝じゃ」

 対峙する山伏と道士の応酬にも興味なさげに、ふみはそっぽを向く。

「で?あたしはどっちに従いてきゃいいの?早く決めてちょうだいよ」

 すると道士たちはふみを守るように取り囲んだ。

「奴らに渡すわけにはいかんな」

「その通り、仙女はわしらのものじゃ」

「あんたらのもんじゃないけどね。それに、仙女でもなけりゃ神でもないよ」面倒そうにふみ。「なんども言わせないで」



 陽が傾きかけ一段と深くなる霧に紛れて房たちは、ゆっくりと道士たちに近づいていた。霧の先から届くのは金属音、喚き声、人の倒れ伏す気配。ときおり霧のなかに泛ぶ人影は激しく動いている。

「始まったぜ」

「横取りしようなんて、いい度胸だね」

 龍太と房が顔を見合わせてわらう。

「あいつらを争わせといて、その隙を衝こうって妾たちも、ね」

 背から聞こえてきたその声は、多佳。おどろいて房が振り返った。

「多佳姫さま……従いてきちまったんですかい?」

 参ったなという顔の房と龍太の背中に手を当て、多佳はぐっと顔を乗り出す。

「ふみを助け出せるかどうかの瀬戸際よ。人手は多いほどいいわ」



 ――霧の向こうでは唐人と山伏の争いがつづいている。

 数で勝るとは云え唐人たちは、闘いにおいては山の修験者どもの敵ではなかった。争ううちじりじりと後退しながら、互いに顔を見合わす。

 と、屈強な唐人がいきなりふみを担ぎ上げ、後ろへ向かって走りだした。幾人かの道士たちがそれにつづいたが、半数以上の唐人はその場に残って山伏どもの足止めを図る。


 だが荒事に慣れた山伏どもは、次々と唐人たちを打ち据えて道を切り開くと、すぐにふみの後を追いだした。

「ほら、あんたたち、もっと速く走らないと、追いつかれちゃうよ!」

 追われる者の本能か、唐人に攫われていることをこの瞬間忘れてふみは、ただ山伏から遁れることしか考えずに唐人どもを叱咤する。担がれたまま後ろを見やるうち、山伏どもはつい数歩の距離にまで迫った。


 そのとき、はるか頭上から大鷲の啼く声が聞こえてきた。辺りを切り裂く、高く、長い啼き声。直後、しばらく止んでいた風がふたたび吹きはじめる。風が霧を払い、前方の視界が開けた――。


「あ!」

「多佳?」

 視界が開けた先、ふみを担いだ唐人が進む道のまさにその上、危うくぶつかりそうなところに多佳が立っているのが目に入った。互いの姿を認めて、多佳とふみとが同時に声を上げる。

「どういうこと?」

「どうもこうもないわ、遁げるよ!」

 ふみが背を目で示す。そこに山伏どもが猟犬のような勢いで追って来るのを見ると、多佳も踵を返して元来たかたへと走りだした。房たちもあわてて続く。


「多佳、なんでここにいるのよ?」

「心配だからに、決まってるでしょ!ひとりで遠くへなんか、行かせないわ!」

 ふみを追って走りながら叫ぶ多佳へ、ふみは担がれた肩の上から返す。

「余計なお世話だってのよ!あたしは旅に出るって、もう決めたんだから。放っといて!」

 ふみの言葉を聞くと多佳は口をぎゅっと結んで、女ながらに伸びやかな脚ですぐ唐人に追いつき、並んで走りはじめた。ふみの間近へ顔を寄せ、眸の奥をっと見つめる。

「ふみ、ほんとにいいの?伊吉や、狭依を、放って出て行くの?」

 ふみは多佳から目を背けた。

「仕方ないんだよ…あたしが側にいる限り、ずっと伊吉や狭依に危険がつきまとうよ。あたしはここにいちゃいけないんだ」

「妾が守るわ。城のみんなも、あんたたちの味方よ。もっと妾たちを頼りなさいよ」

 ふみが目を背けても、その眸を多佳は追う。心の奥まで覗くような視線に、ふみは答えに迷った。


「多佳姫、いまは落ち着いて話してる場合じゃなさそうだよ」

 龍太がふたりの応答に割って入った。そうして後ろを目で示す。

 振り返ると、背には山伏どもがいよいよ迫っている。房の郎党どもが周りを固めて、多佳とふみへの手出しを今のところ防いでいるが、いずれ時間の問題だろう。道士たちは既に大半が脱落している。


「なあ。いまなら、嬢ちゃんを取り戻せるんじゃねえか?」

 山伏がふみへと伸ばす手を払いながら、房が言う。龍太は走りながら、器用に肩をすくめた。

「でも取り戻したところで、どうせ次は山伏に捕まっちゃうんじゃない?せっかくだからまだ奴らに担がせとこうよ」


 まだ日が暮れるには少し間があるが、霧島と庄内とを結ぶ山径には、唐人と山伏と多佳たちを除いては人影ひとつ現れなかった。あたりの白い霧は薄れたかと思うとまた濃くなり、視界は甚だ頼りない。

 さすがの多佳も息が切れ、いまはただ無言で前を指して走っている。勝ちを確信して悠揚と追う山伏ども、必死の形相で逃げる唐人、並んで逃げながら隙を窺う房。ひとり龍太は涼しい顔で、すいすいと山径を駆ける。


 ふっと霧が晴れ、多佳が前方を見ると、先の方で山径は別の街道とぶつかっている。それは真幸院方面へと続く街道だ。その道をはるか進めば、そこに伊吉たちがいるはず――と思う前に多佳たちは開けた辻へと飛び込んだ。


 そこには、いつも旅人を見守っている小さな地蔵がいるはずだった。だがその場に多佳が見出したのは、白装束の山伏たちが十人ばかり。地蔵の周囲に座り込んでいたのが、ふみを担いだ唐人を認めると、のっそりと立ち上がった。

 辻へ飛び込んだ唐人は、山伏たちの姿に慌てて方向を転じようとしたが、二日つづいた雨で泥濘ぬかるんだ土に足を滑らせた。

 唐人が転倒した拍子に投げ出されたふみが、辻の真んなかを派手に転がる。夏秋の草花が色鮮やかにぐるぐると回った。跳ね上がった泥が若竹色の小袖のうえに点々と降りかかった。

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