第16話 比較対象は大事(グレンテス視点)

「ふうむ、おいしそうな小娘だこと」

「お兄ちゃん! お兄ちゃあん!」


突然、食堂の扉から現れたグモールたちが店を占拠するのに時間はかからなかった。いつの間にいたのだろう、白い顔をした女がテッサニロの体を抱えて赤く長い舌でぺろりと頬を舐めている。確かに聖女のような服を着ているが、服はあちこち裂け、血がにじんでいる。傷は癒えているようだが、激しい戦闘があったことが伺えた。

だが、確実に人間ではない。ミューほどわかりやすくはないが、魔族だ。金色の瞳は爬虫類を思わせる。


「テッサ、すぐに助けてあげますから!」

「あなた一人で何ができるっていうの。大きいのは好みじゃないけれど兄妹を引き離すのはかわいそうだわ。私のお腹の中で一緒に溶かしてあげる」


女はグロテスクに頬笑む。

グレンテスは壁に掛かっていた剣を取るだけで精いっぱいだった。妹を人質に取られたら手も足も出せない。

両親は厨房の奥で震えているだろうし、戦力となるクロームは机に突っ伏して寝ている。ミューは早々に宿へと引き上げている。案内人は全員、西門での作業をしているため、食堂にいるのはグレンテス一家とクロームだけだ。

戦力がほとんど暗闇の森へと向かってしまったのは失敗だった。

だが後悔しても状況が変わるわけでもない。


「でも今はお腹いっぱいなのよね。明日の朝ごはんといこうかしら。あの忌々しい魔術師さえいなければ、いつもどおりのもっと優雅な朝食になったっていうのに。私の美貌が衰えたらどうしてくれるよ」


昨夜攫われた人たちはすべて、女の胃袋の中ということか。グレンテスの剣を持つ手が震えた。これまで姿をまったく現さなかった聖女が、街までやってきているのだ。拠点としている城で何かあったに違いない。ディーツたちは大丈夫だろうか。


ふうっと息を吐く女の容貌は決して醜くはないが、もっと上の美を見てしまったら、何も感じない。むしろ、今は怒りのせいかひどく醜悪に見えるほどだ。


「あなたが聖女? 笑わせてくれますね」

「何?」

「醜い蛙に囲まれてるから気づかないのでしょうが、本物の聖女はもっと神々しいくらいに美しいですよ」


魔界の出口から悪魔を従えて現れた人物を見た瞬間に、体が震えた。あまりに神秘的な藍色の瞳に、息をするのも忘れたほどだ。

案内人の使命すら忘れて、声をかけるのに間が空いてしまった。その間に、彼女は悪魔の襟首を掴んで締め上げている。身長差はかなりのものだが、羊の足が宙に浮いているので相当な怪力だ。

それで我に返ってようやく言葉をかけられた。

彼女の仲間たちを宿へと案内しながら、彼女が男だと分かったときの衝撃は言葉にもならない。だが、彼が探しているのは姉で、聖女だという。自分とそっくりな容姿をした、というくだりで神に感謝をした。

これほどの美貌を持つ人間を二人も地上に遣わせてくれたことに。

見ているだけで時間が経つのを忘れる。いつまでも見飽きることがない。

傍にいられるだけで幸福に思える。

まさしく神に愛された申し子だ。まあ、よその神だが。


「私が醜いですってぇ…?」

「どうして聖女だなんて名乗ったのです? それがなければ、まあ見られる顔という程度で納得できましたのに」

「私が美しくないというの?!」

「本物の聖女を見たことがないんでしょう。見ていたらそんな恥ずかしいことは言えませんからね」

「狐の分際で、随分と大口を叩くじゃあない! 何様のつもり?」

「私、にわか聖女ファンになりまして。あまりに聖女を馬鹿にされるものですから我慢ができなくなってしまって」

「お兄ちゃん…」


女に抱えられていたテッサニロが呆れたように見つめてくる。自慢のふさふさしっぽも重力に従ってへにゃんと床に垂れているほどだ。


「んん? 聖女さまの話ですかぁ? タミリナさまはですね、そりゃあ美しい方ですよぉ。神官長を始め、神官どもを軒並み魅了されて、神兵にも崇拝されて、そりゃあ大変でした。神殿始まって以来の珍事にもなりましたしねぇ。聖女さまはもう女神と同列の美しさなのです」


寝ていたと思っていたクロームが突然立ち上がって、力説した。


「そして弟のディーツさまと並べば至高の存在、眼福ものです。神に何度感謝したことかぁ。お二方の時代の神兵になれて本当に良かったと…あれぇ、醜い化け物どもが見えますね。ディーツさまはどちらに?」

「おのれ、人間めっ、馬鹿にして!」

「ひっ…」


クロームによって怒りが増した女は白い顔をさらに歪めてテッサニロの体を放り投げた。近くに控えていたグモールが受け止めたため、小さく息を飲んでいる。

グレンテスが妹に気を取られたのは一瞬だった。


だがその僅かな隙に、女が牙を剥き、クロームへと躍りかかったのだ。

すぐにばちっと雷が迸った。女が後方へと飛びのく。


「な、なに?」

「神の加護ですよ。神兵は常に神に護られているので傷つかないのです。今の行為は敵対行為とみなしますね、『神判・裁きの光矢』」


クロームの言葉とともにどこからか光る矢が現れ、女の体に突き刺さった。


「ぐぎゃああっっ!」

「まったくタミリナさまが見たら喜ぶじゃないですか、すぐに数を増やしてしまうので問題だと言っているのに…見つかる前に処分しなければ。誰がこんなところに爬虫類を入れたんですかね。また神官の差し入れじゃないでしょうね。いや、ワルツが見落としたんでしょう。アイツはすぐ見逃すんですから…『神判・戒めの光鎖』」


空間から現れた光る鎖がしゅるしゅると巻き付き、女と一緒にグモールたちも含めてあっという間にくくられてしまう。グモールが必死で酸を吐きかけるが、光でできた鎖には効果がないようだ。代わりに食堂の床やテーブルが溶けていく。


「明日、裏の池に捨ててこなければ。迷惑ばかりかけるんですから、困ったものです…うー、なんだか目が回ります、ね…?」


クロームは頭を押さえて呻いたかと思うと、そのままテーブルへ突っ伏した。

すうすうと寝息を立てている。急に立ち上がり力を使ったために酔いが一気に回ったのだろう。


「放して、これ一体どうなってるのよ?!」

「お兄ちゃん、助けて!」


蛙の低いうめき声とともに、女と一緒になってテッサニロも鎖をがちゃがちゃと触っている。酔っ払いのクロームには蛙も女も狐も同じように見えたのだろう。


「法術は初めてみました。術の解き方がわかりませんね。すみませんが、クロームさんが起きるまで我慢してください、テッサ」

「ええ? 蛙と一緒とか気持ち悪いんだけど!」


妹の心中は察してあまりある。だが、ただの獣人であるグレンテスにはなすすべがない。


「クロームさんが起きたら盛大に文句を言いましょう。お兄ちゃんもきっちりと抗議させていただきますよ」


狐と爬虫類を一緒にするだなんて許せません!


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