第2話

 ミナミとシンシアの住む町、通う学校のある盆地から最寄りの海は、北に向かった先にある日本海だ。在来線に乗って高校のある市からさらに二つの市と、二つか三つの町村を越えた所にある。夏場の海水浴場、冬場に獲れるカニで、内陸の住人には親しまれている。


 そういった理由で、海、といえば必然的に真砂白き日本海を思い浮かべてしまう二人であったが、シンシアには日本海でならない理由があったのだという。


「ちょっとこれを聴いて」


 何故日曜日に海へ行かねばならないのか? そもそもそれは本気なのか? と、シンシアに提案された次の日の放課後、電車内で尋ねたミナミには、スマホにさしこんだイヤホンの片方をさしだした。二人で共有したい曲がある時にはそうするように、ミナミはに片耳にそれを装着する。シンシアも勿論そうする。

 シンシアのスマホから流れてくるのは、昔のアイドルが歌っていたという懐メロだ。海辺でデートでもしているカップルの片割れが、波打ち際で不意に走り出して一人取り残されたパートナーに「早くつかまえに来て」と挑発するという、まさに恋愛の絶頂期に調子に乗ってる浮かれカップルの心境を歌いあげた、他愛ものだった。


「……こんなことしてるやつが目の前にいたら背中に飛び蹴り食らわしたくなるよね」

「あんたならそう言ってくれると思った。でもこの歌のタイトル、『十七才』って言うんだよ?」

「なんでこれが『十七才』なわけ?」

「さあ? 分かることは、世間から十七才っていうのはこんなふうに海辺を追いかけっこしながら自分が生きている様を実感するのが似合う、生命力旺盛な年ごろだってことを当事者たちに伝えたい。この歌を作った人たちはそういう狙い込めていたってことだよ」

「……ほうほう」


 やや太い眉の間に皺をよせて難しい顔をつくり、シンシアは語りだす。ミナミはふざけてマイクを差し出すインタビュアーの真似をする。どちらかというとミナミより落ち着きがあって人眼を気にする方のシンシアだが、知識をため込むことに喜びを見出す人間の悲しさか、見解を述べるときには場所がらを考えなくなるという困った特徴があった。電車の中ではあるが、それより私見を騙るのが大事であるとばかりにシンシアは滔々と持論を述べだす。


「ミナミなら分かると思うけど、実際の十六や十七だなんてつまんないことばっかじゃない? あたしらはこうしてどちらかというと気楽な生活をおくれてるけれど、人によっては生きることで精いっぱいってくらい、しんどい人だって絶対いるんだよね」

「うんうん」

「この歌を作った人だって、よっぽど鈍感じゃない限りこんな絵に描いたような十七歳なんているわけないって分かってた筈なんだよ。でも、あえて作った。それはなんだかわかる?」

「――、さぁ?」

「ちょっとは考えなよ。つまりね、十七って年齢に恋だの愛だのきらめく若さだのって言ったイメージを付与したかってこと、リアル十七歳に恋だの愛だのきらめく若さにうつつを抜かせっていう。ま、いわばCMソングだね」

「はあはあ」


 一応頷いてはみたが、ミナミにはシンシアが言わんとすることがイマイチつかめていなかった。相変わらず常識人ぶりたがるくせに変なことで一生懸命になるやつだなぁ、と面白がっていただけである。


「で、なんで大人たちはリアル十七にうつつを抜かせっていうわけ?」

「そりゃ、やっぱあれじゃん。あんた昨日吠えてたでしょ、このままいくとのんべんだらりとした大人になりそうだって。のんべんだらりとした大人になるなって言いたいわけなんでしょ、大人はさ?」

「――、ほおおう」


 ここまで来てようやく、ミナミはシンシアの言い分が少し理解できたところである。合点がいったとばかりに、マイクを持ったふりを続けつつ首を縦に何度も振った。


「だからシーちゃんは、海に行こうって言いだしたわけだ」


 それを聞くなり、シンシアはなぜか難しい顔つきになった。図星をつかれたことを認めたくないときにする表情だと経験からミナミは知っている。どうやら大人たちの発するメッセージ通りに海辺に言って浮かれるという作業を実践するという軽佻浮薄さを、人の口から指摘されて軽い羞恥心を覚えでもしたのだろう。ミナミはそのように察することにした。

 しかし、ヒットソングなどを通して十七歳になったら恋だの愛だのきらめく若さだのにうつつを抜かせというのは、大人たちが作った当事者をその気にさせるCMソングのようなものだと言い出したのはシンシアだ。本人の説に従うなら、それの発するままに海に行く気になるというのはCMに購買意欲をそそられて新発売のお菓子を食べたくなるようになるものである。CMに踊らされるのは恥ずかしいが、反面CMに従ってお菓子を味わうのはなかなか楽しい行為でもある。


 十七歳になるから海に行く。非常にバカみたいだが、その分やってみる価値はある気がする、ような気がする。


 その時になってようやく、ミナミの期待値も大きく跳ね上がった。応じて、現実感も強まり緊張も高まった。


「……一応、あたしなりに妥協はした」


 片方のイヤホンから流れる懐メロに耳をすませて、どくどくとやかましい心臓をなだめている最中に、むっつりとシンシアは釈明を始めた。


「多分、十七歳になると走りたくなる海辺は太平洋を指していると思う。けど、今回の行き先は日本海だ。青い春より正月と演歌の似合う北の海だ。あたしらにとってパシフィックオーシャンは地理的にも精神的にも距離がありすぎる」


 要は、せっかくなので浮かれてみたいがお節介な大人の思惑通り浮かれるのは癪である、と、自意識過剰な高校生らしいことをグダグタと弁解したまでである。

 その様子を見ていて余計に胸が苦しくなったミナミを救うように、その日の電車はトンネルに突入したのだった。



 

 さて。

 カニの季節には少し早い十月末に、在来線の終点のその先まで下ることになった日曜日はすぐにやってきた。いつも学校に行く時間より二時間ほど早いその時間、盆地特有の霧で一帯は覆われていた。

 

「お、おはよう」

「……おはよう」


 先に古い駅舎の中にいたのはシンシアで、親の運転する軽自動車でやってきたミナミは待たせる格好になってしまう。とりあえずまず先に、先日土曜日に買い求めた誕プレを待たせたお詫びに手渡す。


「ほ、本日はお誕生日おめでとうございます」

「ど、どうもありがとうございます。こちらもおくれまして」


 いささか照れくさそうに頭を下げたあと、シンシアも他人行儀にラッピングされたプレゼントをミナミへ手渡した。結局プレゼント交換の形になってしまう。

 ミナミからシンシアへのプレゼントは通販サイトのプレゼント券で、シンシアからミナミへのプレゼントはスマートフォンのプリペイドカードだった。示し合わせたわけでもないのに全くの同額だ。


「お互い色気ないプレゼントだね」

「でもまあ正直実用性が一番だよ」


 お互い封筒に入るサイズのプレゼントであったことから早々に中身を明かしあい、そう語りあいながらホームで電車を待つ。


 田舎の田舎たるところは電車の本数が少ない所である。

 この路線は数年前にようやく複線化したというにもかわらず、いわゆる下り路線は本数そのものが少ない。そのうえ、快速や特級などの上り路線に待たされる。各駅停車では地獄をみるため、本数の更に少ない快速に乗って北へむかうことにしていた。すると待ち合わせは学校へ通うために乗る列車とほぼ変わらない時間となる。

 結果として休日にも拘らず早起きしたミナミは、朝ぼらけのホームでふわあと大あくびをかます。


「相変わらずあんたってばマイペースだね」

「そう?」


 シンシアは天然の金茶色の髪を降ろしてカチューシャなどをつけたうえに、古着屋で見つけたギンガムのワンピースにパーカーなどを合わせたカジュアルフレンチ風なお召し物姿だ。よくみれば普段のソフトフォーカスが顔の表面からうかがえず随分シャープな印象を受ける。無論その点をあげつらって「今日産毛剃った?」等と気まずくなるようなことは、いくらミナミでも訊かない。

 ミナミはというと、やっぱりそれなりにお洒落をしたわけである。昨日、プレゼントを購入する際に、モールの服屋であたらしく買ったプルオーバーの薄手のニットにチェックのミニスカート。くしゅっとした足首丈のソックスにスニーカーといういで立ち。SNSを参考に、あまり頑張らないコーディネートを目指したのに、外出時は概ねデニムかパンツの多いミナミがスカートを穿いている時点で、頑張り具合が一目瞭然だった。それこそシンシアの顔ぞりくらいに。

 

 だからシンシアも気まずくなるのを防止するためか、ミナミの服装をいじってくる。


「あんたがそういうスカートとか珍しいね」

「でしょー? シーちゃんのために気合入れたんだぁ」

「――……」

「――え、ちょっと、やだなぁ。黙ってないで何か返してよ」


 てっきり、シンシアは気合を入れてこの日に臨んだというミナミの発言を前になにかしら適当なツッコミを入れてくるはずだと予想していたのだ。なのに、ぷいと顔をそむけて黙ってしまうのだ。こういうことをされるとミナミとしては居たたまれない。乳白色の霧に包まれたホームから周囲を見渡して、気まずい沈黙を打ち破ってみる。


「えーと、今日も晴れそうだね」

「だね、霧が出てるし」


 柿も熟れだす秋真っ盛りともなると、一帯に霧が立ち込めるのが盆地の特徴である。そして、霧が出る日ほど青さが目にしみるほどの快晴になることが多い。この程度の経験則なら、この町で生まれ育った者はだれしも持っている。


「海の方も、いい天気かなぁ?」

「だと思うよ。天気予報ではそう言ってた」


 色こそベビーピンクだが本日のファッションからするとややスポーティーな印象がつよいナイロンリュックから、平然とシンシアはここから向かう海辺一帯のガイドブックを取り出すなり、さっそくぱらぱら捲りだした。ミナミがとなりにいても雑誌や本の類を読み出すのがシンシアの常である。こだわらずシンシアもガイドブックをのぞき込んだ。


「こういうの用意してくるって、シーちゃんてば気合十分じゃん」

「まあね、せっかくバカみたいなメッセージに従うって決めたんだからその分、ちょっとはいい誕生日にしたい。少なくとも悔いのないものにはしたい」

「――あたしの誕生日の記憶も、シーちゃん様のお誕生日に乗っかって、アオハルって言葉が似合いそうなものに上書きしてもいいですかねぇ」


 ミナミとしてはそれは、多少皮肉をふくんだつもりの返事だったのに、あろうことかシンシアはあっさりとこう答える。


「いいよ。こっちもそのつもりだった。――今日はあたし達二人にとってイニシエーションの日にしよう」

「? その、いにしナントカってこの前も言ってたけど、何?」

「イニシエーション。wikiってみな」


 ぱら、と、ページをめくるガイドブックから目をあげずにシンシアはそっけなく答えた。

 えーでもここWi-Fi使えないし、ギガが減るし……とぶつくさ言いながら、ミナミはスマホを取り出してとりあえず、イニシエーションで検索をかける。

 シンシアの指定したフリー百科事典では「通過儀礼を参照のこと」とあったので、リンクが支持するまますなおに「通過儀礼」の項目も読もうとしたが、残念ながらWi-Fi圏外のこのホームでは、目当てのページが完全に表示されるまでに怖ろしいまでの時間がかかった。

 これだから田舎は……! と舌打ちしたくなりつつ、Wi-Fiマークが表示されないかとスマホを手に右へ左へ虚しく体を揺らした時、どん、と、ミナミの左肩とシンシアの右肩がぶつかる。


「!」


 あ、ごめん。

 もう、気を付けなって。


 ――普段なら、こんなやり取りで済まされるほんの些細な出来事、で、終わる筈だったのに。

 

 肩と肩がぶつかった途端、ミナミもシンシアもベンチの上で左右に分かれた。まるで感電したかのような機敏すぎる反応だった。


「――っ」


 ベンチの上で左右に拳一個分ずつ体をずらし、互いに顔を見合わせる。ミナミの目には、驚いたシンシアの肌がうっすら色づいている、風に見えた。ほんのりそばかすが散っているシンシアの肌は、普段なら今日の肌のようにミルク色だ。それがほんの少しではあるが赤くなっている。


「なっ……っ、ちょ、びっくりするじゃん。もう」

「ご、ごめん……! てかそんなびっくりすることないじゃん。もう」

 

 この不自然さをお互い取り消すように、必要以上にケラケラ笑いながらふたたびベンチの上でおしりを滑らせて並んで座った。しかし気まずさは場に沈滞し続ける。


 ミナミもシンシアのガイドブックをのぞき込み、古民家を改造したカフェの名物シフォンケーキについての記事など読みながら、胸がざわつくのを抑えるためにあえて憎たらしい言葉を胸の中で垂れ流す。


 ――なんだなんだシーちゃんてば、意識しちゃってまぁ……。赤くなっちゃってまぁ。


 カワイイヤツメ。


 不意にこみあげてきた衝動を隠すために、ミナミは膝の上に突っ伏した。そして、落ち着きのない幼児のように足をパタパタ鳴らした。当然やかましい。ホームには利用客がいないのでよかったものの、十七歳になったばかりの者がするには幼いしぐさである。

 そんな風に衝動を抑えているミナミを、呆れた目のシンシアが見下ろす。その瞬間にホームにアナウンスが流れた。二人の乗る予定の快速電車が到着するという案内を伝える。


「ところでさ、あんたの親になって言って出てきたの?」


 シンシアがリュックにガイドブックをしまいながら、尋ねた。何気なさを装ってるのがよくわかる硬い口調である。


「え、えーとそりゃ、シーちゃんとちょっと出かけてくるって。夜には帰るって言ってある」

「そっか、帰るって言ったんだ……」

「だって、明日フツーに学校だよ?」


 おいおい、おいおい……。

 せっかくおさえた衝動がまた勢いを盛り返すあいだに、電車は軋みながらホームに滑り込んでくる。日曜朝の下り電車の乗客は少ない。


 二人でベンチから立ち上がり、ドアの閉会位置に移動する間、シンシアはやはり何気なさを装う口調で尋ねる。


「じゃあさ、今日ウチに――」


 泊まる? と続けたのは明白だが、完全に停車した電車のドアが開くタイミングとかぶってしまったので、とっさにミナミは聞こえなかったふりをした。


「ごめん、今なんて?」

「――、なんでもない」


 こわばりの解けた声で呟いてから、シンシアは先に車内に乗り込んだ。それなりの気合を有した発言が不発に終わって残念だと、気合の抜けた声と体が答える。

 

 どうしてここまで来て、シンシアの言葉が聴こえなかったふりをしてしまったのか、その気持ちを見ないことにしてミナミも電車の乗り込む。


 友達と海を見に行くという冒険に出かけるという、初めての経験に対するドキドキのみに今はまだ集中したかったのだ。

 

 そんな言い訳を思いついたのは、扉をしめた電車が、がたんとその車体をゆすって動きだし、徐々にスピードをつけ出したそのタイミングである。

 

 電車はもう、停まらない(乗り換え駅で停車はするが)。

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