6・最果ての魔女

「わかった! オレ、絶対に離さない!」


 それが、目覚めの一言。


 毛布をはねのけ、がばっと目の前の人物に抱き着いた。温かな肌のぬくもりが心地いい。程よい弾力を持った豊かなふたつの膨らみが呼吸を圧迫するが、宣言どおり少年は離す気がないらしい。


「ちょっとこのエロガキ! アタシのルシオラオネーサマになにしてくれちゃってるのよ!」


 寝ぼけてるにもほどがあるわ! と甲高い声がバサバサと大きな羽音と共に、頭の上でぐるぐる喚く。


「寝ぼけてねーよ。離すなって言うから」

「私はなにも言っていないが」

「うん。ルシオラじゃねぇことは知ってる。離すなって言われたからとりあえず抱き着いただけ」


 つまりただのスキンシップです、とメビウスは真顔で言う。


「生きてるってあったかいなーって実感してんの」


 真剣な顔をしていたかと思えば、もう破顔している。にこにこと満面の笑みを浮かべて少年はくっついたまま、一向に離れる気配がない。


 一方、抱き着かれた女――ルシオラも特に動じる素振りは見せないが、このままでは話にならないと判断したのだろう。ベッドサイドの椅子から身を引くと、少年に顔を寄せて形の良い唇を開いた。


「生を実感するのは良いことだが、程々にしないとまた死を実感することになるぞ」


 赤い唇は笑みをかたどっているが、言葉の底が冷え切っている。敏感にそれを感じ取り、メビウスはぱっと身体を離した。


「ヤだなあ。オレはてっきりルシオラの声かと思って」

「私じゃないことは知ってると言っていたが」

「そうだっけ? 寝ぼけてたのかなぁ」

「寝ぼけてないとも言っていたな」

「言ってたわね」

「…………」


 言葉をなくしたメビウスを見やり、ルシオラは葡萄酒色ワインレッドの髪を揺らして立ち上がった。豊満な身体を惜しげもなく見せつけるように背中や胸元が大きく開き、さらには深いスリットの入ったドレスをまとっている。右肩から腕にかけては特に布面積が少ないのだが、そこには緩く束ねられた髪がかかっていた。


 雨の日の記憶の中で、『魔女』と呼ばれていた迫力が全身に備わっている女だ。今ではただの『魔女』どころか、『最果ての魔女』という二つ名に変化しているのもじゅうぶんにうなづける。

 完全に言い負かされたメビウスは、ぼんやりとした表情のまま部屋を眺めた。これといって特徴のない、簡素な部屋である。死んで戻ってくると必ず最初に目を覚ます場所。ルシオラの、研究所も兼ねた住居にある見慣れすぎた自分の部屋。


「それで、メビウス。絶対に離さないとは、いったいなんのことだ?」


 腕を組み、銀の瞳で見下ろす。右の瞳は前髪の影になってよく見えないが、左目と同じく有無を言わさぬ強い光をたたえているのだろう。


「いや……最後にさ、聞こえたんだよ」





 ――わたしを、はなさないで。





「だからてっきり、こっち側の声が聞こえたのかなーって」

「それでオネーサマにセクハラかましたのね! ほんっとこのエロガキは!」

「うるさいなー。オオハシさんが口出すところじゃねーだろ」

「ンまッ! 命の恩人に向かってなんてこと! いーい、アタシがいなかったらアンタなんかとっくのとうにおっ死んでるんですからね! よぉーっく考えて発言することね!」

「頼んでねーし、フツーに人生謳歌したいよ」


 はーっと長いため息をつき、わかりやすく肩を落とす。それを見て、宙を舞っていた鳥は少年の横におりてきた。なんだかんだで心配なのである。カラス大の夕暮れ色をした鳥は、ちょこんと首をかしげて彼の顔を見上げた。オオハシさん、と呼ばれているゆえんは身体の半分ほどもある大きなくちばしだろう。


「オオハシさんもさ、ちょっとぐらい休んだっていいんだぜ? オレが死ぬたび大変だろ?」

「坊ちゃん……」

「それならお前が死ななければいいだけの話だ。オオハシも加護に縛られずに済むし、お前だって痛い思いをしなくて済む。簡単な話だろう」

「かんたん……ってそれこそ簡単に言うけどさぁ、難しいぜ」


 下を向いて、苦笑まじりに呟く。


「ならば死なぬよう精進することだ。さて、声の話だったな。いままで同じようなことはあったか?」

「そういや、初めて聞いた気がする」

「ふむ。誰の声かはわかるか?」


 ルシオラの問いに、メビウスは軽く首をひねった。


「うーん……。多分可憐な女の子の声だと思うけど、聞き覚えはないなぁ」

「夢が変化しているのだとすると、あまりよい状態とは言えないだろう。気をつけろというメッセージかもしれん」

「ふーん」


 気のない返事をし、メビウスはベッドの上で胡坐をかく。


「……なぁ。ずっと不思議だった。ルシオラはブリュンヒルデの子供だろ? それがどうして『罪』になるんだ?」


 頬杖をつき、視線はかたわらのオオハシを見ている。何気ないフリをして、意識はルシオラに向けたままだ。


「……さて、な。私もその時代を生きたわけではない。確証のない、推測しかできん」

「それでいい。その推測は?」

「今日はやけに絡むな」


 ため息をついて、ルシオラは頭を押さえる。一呼吸置いて、椅子に座り直した。


「……確実に言えることは、片羽は脅威だからだよ」

「なんで?」


だ。神族も魔族も長寿で生まれながら強いちからを持っているが、与えられたちからを超えることはできん。人間は生まれながらに弱く寿命もみじかいが、ちからの上限がない。知識を吸収し、ちからの使い方を覚え――やり方によっては、神族や魔族を超える可能性は否定できん」


「あー……。つまり、神族のちからと人間の成長する能力を持っているから脅威か。でも、それのどこが『罪』なんだよ。ルシオラ自身には関係ねぇわけだろ?」


 オオハシを見ていた太陽の瞳は、いつの間にかルシオラを射抜いていた。普段のへらっとした笑顔に隠されている真っ直ぐな表情をすると、少しだけ大人びて見える。


「わからないから『罪』なのさ。脅威になるだろうという予測はできていた。どこまでの脅威になるかはわからんがな。わからないから、から、『罪』と呼んで『罰』を与えた。つまり――」

ってことか」

「端的に言えばな」


 アホらし、と吐き捨ててメビウスはふっと窓の外へ視線を逸らした。ガラス越しに見えるはずの風景はなにもなく、ただ黒々と塗りつぶされた空間だけがそこには広がっている。時々、色とりどりの光を放つ透明ないきものや無駄にひれの多い魚に似たいきものが泳ぎ、様々なワームの類いが通っていくがこちらに気づく様子はない。


 最果ての魔女は、文字どおり世界の外――最果てに住んでいるのだ。


 自身の拠点を強力な結界で包み、世界という概念を超えて存在している。その出生ゆえに神界にも人間界にも居場所がなく、かといって魔界に行けるわけもない。だから彼女は、脅威つみと呼ばれたちからを存分に発揮して、静かに暮らせる最果てで過ごすことを決めたのだ。


「……ルシオラは、強いよな」

「なにを今更。持ち上げたところでスキンシップは終わりだぞ」

「ええー。そーゆーこと言う? 一応、真面目に言ったつもりだったんだけどな」


 照れ隠しのつもりか、がしがしと頭をかいてそっぽを向いたメビウスを見、ルシオラはいとおしげに目を細めて微笑んだ。

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