クソ西遊記

葦元狐雪

 あの噴水に飛び込んで死のうと思った。

 駅前にお尻を上に向けたような形の下品な噴水がある。周囲にホームレスや学生やガラの悪いおっさんがよく喧嘩をする場所だ。今は帰宅する人々で混雑している。

 手元の本の表紙を睨む。


「猿でもわかる心理学」


 こいつのせいで僕は死ぬ。猿以下の知能しか持ち合わせていないことが分かったから、人として生きる資格などない。

 水面に映る僕の顔が波紋に歪み、悲しい顔をしてみるや、怒ったり間抜けな表情の変化が忙しない。

 なんだかムカついてきたので、思いっきり顔を突っ込んだ。肺の酸素を残らず絞り出してやる。

 そう思ったが、やはり苦しさに耐えきれず、水中から脱出した。「排ガスの混じる空気ってさ、本当は美味いんだぜ」と、誰かに言ってやりたくなった。


「あんた、なにしよるんなら」


 と誰かが僕の背後で言った。

 振り向くと、グレーのスーツを着た痩身の女性が立っている。30代くらいだろうか。眉間に刻まれた皺が深く、名刺とか挟めそうだ。


「そんなきちゃない所で顔なんか洗うてからに。おどれ気でも狂うたんか」


 僕は返答に困った。

 赤の他人に対して胸を張って「自決しておりました」とは言い難い。そして方言がキツくて正直怖い。


「黙っとったらわからん。言え」


「ウキー」


「バカにしよるんかわれえ!」


 猿以下の人としての言語は拳によって否定された。





「あいかわらず弱いのお」


 女性は野球の観戦の帰りにそう呟いた。たまたまチケットの余りがあるということで、僕は女性と一緒に試合を観た。終盤とはいえまだ途中にもかかわらず、「もうええ。飲みにいこうや」と離席したのだった。


 近くの焼き鳥屋に入るなり、女性は注文した大ジョッキのビールを一瞬で飲み干した。それから僕の方を見て、


「カシスオレンジてお前。女子か」


 と小馬鹿にした。


「お酒はカシオレしか飲みませんよ」


「なんや、怒ったんか」


「カシスオレンジは素晴らしいカクテルです。お酒で一番美味しいんです」


「ハーーーーーー! さてはビールすら飲んだことないじゃろ、のお?」


 概ね正解だった。

 子供の頃に父親に飲まされたビールの苦い記憶が蘇る。

 女性はビールのおかわりと串焼きを数本頼んだ。


「ほんで、大学生。あそこでなんしよったんや」


 僕は勇気を振り絞り、彼女に自死を試みたことと、その原因を伝えた。

 結果、大笑いされたうえにめちゃくちゃ馬鹿にされた。


「わしが殺ったればえかったわ」


 女性は2杯目を飲み干す。

 僕の顔がとても熱い。きっとゆでだこと同じ色をしているに違いない。


「あの時は本当に死ぬ覚悟があったんです。あなたに僕の気持ちなんてわからないでしょ」


「わからんでもないがのお」


「え」


 僕は彼女を見る。何かを考えているのか、そんな表情。

 いつの間にか、女性は3杯目を飲み終えそうだった。


「ほうじゃ」


 グラスの底をテーブルに叩きつけた。

 女性が僕の額あたりに指を突きつける。


「わし、最遊記が好きでのお。ずっと三蔵法師になるのが夢じゃったんよ」


「はあ」


「なれよ、孫悟空」


 僕は唾を飲んだ。女性の鬼気迫る物言いに恐怖を感じた。眉間にトランプの数枚は挟めそうだった。






 














 

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