第16話「エピローグ」

 ところで、何故か我が家の食卓に月野さんが同席した。父はこの人をいたく気に入ってるらしく――と言っても結婚相手に選ぶ気は毛頭ないみたい――帰宅直後には「娘をありがとう」と土下座で泊まらせるほどだった。


 ……最後の晩餐、ではなく、最後の昼餐というやつだから、もう会うこともなくなっちゃうんだけど。


「それじゃあ、今日もよろしく頼みます」

「任せろ」

 律儀に頭を下げる父に、威張るかのような月野さん。大丈夫だろうか。

「先に下行ってるよ」

「ああ」


「あと……」

「……………………」


 今日は二人きりでの外出で、今は東京タワーから街を展望していた。サチはサチで予定があって、ハルはからで。リュウはカプセルの中で永遠の保存ねむりに。「遅かれ早かれ我々もこの世から去る。だからいつ亡くなっても大差はない」というのが月野さんのモットーだとか。もちろん淡白で冷酷な言い方ではなかった。

「うむ。やはり綺麗な街並みだな。宇宙ほど壮大で神秘に満ちてはいないが」

「そんなマウントの取り方がある?」

「仮にも実家だからな」

「ああ……」

 陽が沈むまであと一時間。それまでずっと眺めるつもりらしい。

「宇宙が実家……だとしたら、それは地球も実家にならない?」

「それはおかしい。そしたら君達の実家も宇宙ということになる」

「…………。宇宙って空間の中にたまたま地球が存在してるだけだって」

「抱月女史も言っていたな。それ」

 受け売りだから当然だ。宇宙そらに行く前に聞いた話だったか。

「我々にとって家などは存在しない。宇宙があって、様々な星が浮かび、漂い、その中の一つに人間達が生きているだけで。それでも人間にしかできないのは、文字といった言葉で文化と文明を築き。自分は自分であるというアイデンティティを確立させ。そしてそれこそが己が何者かであるという証明……」

「実家を実家たらしめているのは産まれた場所があるからで、もっと単純に、どこで生まれたかという些細な違いでしかない」

「宇宙人がいるとして、もしどこで生まれたのか……人間が言語で縛り付けているにすぎないのだ。宇宙出身などという言葉ほど自分勝手なものは存在しない」

「我々は宇宙空間に内包される地球というコミュニティに属しているに過ぎないのだ」

 そして母は最後に付け足した。

「『それっぽく聞こえた?』……だから私は『よくわからない』って言った」

「…………」

 月野さんが紙袋をゆっくりと差し出した。

「我々の目的は間もなく達成される」

「…………」

「ところで、君はもう、大丈夫かな。母が死んだ事実も受け止め、戦い続ける必要もなくなった」

「それは」

「あとはわたしと別れるだけだ。だから……」

 さっきの袋が手に渡った。

 中には小さな箱が一つ、といっても指輪とかじゃなくて、もっと大きい何か。月野さんの手で持ち上げられ、開けられてようやく、その中身が腕時計だとわかった。

「君の父に、いや…………父と、それから、君の母が渡したかった物だ」

「お母さんが……?」

「渡したかったが渡せなかった、プレゼントだそうだ。巻くといい、腕にな」

 そう言って、私の腕に着けてくれた。

 冷たくて、重くて。あと、動いていない。

 多分眉が歪んでたと思う。月野さんが笑って、横の竜頭を指すように叩いた。

 顔は……笑っているのだろうか。太陽を背にしているから、どんな顔をしているのか私にはわからなかった。

「この腕時計はかの有名な宇宙飛行士が旅を共にしたモデルだ」

「らしいチョイス……」

「そしてこれは手巻きタイプでな。故障ではない。……ここ。ここを君の手で巻くことで初めて動く」

 私の手で。

「君の時は、動き始める。ようやく」

 言われて、竜頭を摘まんだ。

 ……全く、知らなかった。

 誕生日とはぜんぜん関係ないし。

 結婚記念日でもなければ引っ越しなんて何カ月も先で。祝日みたいにお祝いをする日でもないのに。

 プレゼントが。

 お母さんは何でもない日に。

 こんな物を。

「……………………」

 キリキリキリと。

「あ、そうではない」

 手が、温かい。

 月野さんがその手を添えて、一緒に竜頭を巻く。

「巻いたら離すんじゃなくて、その手で戻してやるんだ。それが正しい巻き方……」

 懐かしい手。

「わかった」

「…………ああ」

 巻いて、巻いた手で戻す。巻いて、戻す。

 巻いて。

 戻す。

 秒針がカチカチと小さく進み始めた。

 巻いて、戻して、何度か繰り返すと重くなって、それ以上は壊れてしまいそうな感触だ。

 あとは時刻を合わせる。

 さっきまでズレていた時間が今日になった。


「もう、大丈夫だな……」


 今日の時間は既に進み始めた。

 一緒に巻かなきゃいけなかった針。

 確かに私が巻いた。

 私が私の手で巻いた。

 大丈夫。

 時計は正確に時を刻んでいるみたいだ。

 すごく眩しい。顔を上げると太陽が輝いていて、思わず手で光を遮った。

 もう大丈夫だ。

 私の時間はここから進む。


「……おやすみなさい」


 他の客達ひとたちはまばらになってる。

 陽も沈んで、私の影が伸びている。

 帰ろう、家に。


「もしもし、お父さん。今から帰るよ……」

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