第9話 突然の謝罪

――カージナス様とミランダ様のダンスが終盤を迎えた頃。


「……申し訳ありませんでした」


今まで黙って隣に立っていたシャルル様が、突然謝罪の言葉を口にしたのだった。

謝罪なんてされると思っていなかった。

反射的に顔を上げると、苦しげな表情をしたシャルル様と目が合った。


「そんな顔をさせるつもりなんて、本当はなかったのに……」

扇を握り締めていた私の指先に、シャルル様の指がそっと触れた。


「……私が嫉妬なんか、したから……」

「嫉妬……ですか?」

「……はい。」

「ええと、……カージナス様に、必要以上に近付いている私に対して、ですか?」

「違います」

シャルル様は苦笑いを浮かべた。


「殿下のことは名前で呼んでいるのに、私にだけ他人行儀だったからです」


……そういえば、シャルル様が不機嫌になったのは、『オルフェード様』と呼んだ時からだったかもしれない。


「……それだけで、ですか?」

「それだけで、でもです」

私の小指にシャルル様の指が絡んだ。


『だって、プロポーズしたでしょう?』

キュッと小指を握ったシャルル様のその瞳は、私にそう語りかけていた。


……っ!?

ブワッと一気に顔が熱くなった。


な、な、何なんだこの人は!?

そんな思わせぶりな態度をされたら、騙されやすい私なんか、コロッと直ぐに深みに嵌ってしまう。

そのまま幾らでも貢いでしまいたくなるじゃないか。


「私のこともどうぞ名前で呼んで下さい」

シャルル様は瞳を潤ませながら、首を傾げた。


あー、うん。小悪魔かな?

私は何かを試されているのかもしれない。


苦虫を噛み潰したような複雑な気分になった私は、ふとゲームのストーリーを思い出した。


……そういえば、ゲームの中のシャルル様は、カージナス様に命じられて、ハニートラップ紛いのことも悪役令嬢に仕掛けていた。


つまりは…………そういうことだ。

高鳴りかけた気持ちは、一気に冷めた。


こんな残酷な試し方をしなくても、カージナス様とミレーヌの仲を壊そうとなんて、少しも思っていないのに。


「オルフォード様。意に沿わないことを無理になさらずとも、大丈夫ですわ」

私はシャルル様を安心させるように努めて、微笑んだ。


「ローズ嬢……、一体何を言って……」

「ローズ!」

シャルル様が新たに口を開いたのとほぼ同時に、私の名前が呼ばれた。


「こんな所にいたのね!探しちゃったわ」


何かを言いかけたシャルル様には申し訳ないけれど、ミレーヌの登場には心の底から安堵した。

好かれてもいない以上、シャルル様と二人きりでいるのは限界だったのだ。


「ミレーヌ!」

敬称もなしに名前を呼んでから、ふと気付いた。


「あ、私……申し訳ありません。ミレーヌ

私よりも身分が上のミレーヌを公の場で呼び捨てにしてしまったのことは、マズいということに。


「そんなこと全然気にしないでちょうだい。私とあなたの仲じゃないの」

ミレーヌは少しも気にした様子がない。


「せっかくローズと打ち解けられたのに、嫌よ?元に、戻ったりしたら」

寧ろ、不機嫌そうに頬を膨らませた。


ここまで言葉と態度で示してもらったのに、頑なに断り続けることはできない。その方が逆に失礼である。


「分かったわ。ミレーヌ、あなたの望む通りに」

カーテシーをしながら微笑むと、一瞬だけ瞳を瞬かせたミレーヌは、満足そうに優雅に微笑んだ。


「「ぷっ……!」」

気付けば二人同時に吹き出していた。


……本当に。なんて可愛いらしい人なのだろうか。

流石は、悪役令嬢にならないキャラクターだ。


「そういえば、私を探していたみたいだけど、何か用事でもあったの?」

「いえ、用事なんかないわ。でも、カージナス様が、お披露目舞踏会が終るまで、ローズが私と一緒にいてくれるって言っていたから。私、ずっと待ってたのに、いつまで経っても現れないのだもの。待ちくたびれて探しに来ちゃったわ」

ミレーヌはコテンと首を傾げた。


……………………そうだ。

カージナス様にミレーヌのことをお願いされていたはずなのに、すっかり忘れてしまっていた。

わざわざ自分から探し来てくれたミレーヌには、申し訳ないことをしてしまった。

しかも、カージナス様にもバレているだろうけれど。


シャルル様とのことで、頭がいっぱいになってしまっていた私は、周りの変化に対応することができずにいたらしい。

会場は、既に歓談の場と化していたのに、だ。


「……気付かずに、ごめんなさい」

「良いのよ。ローズのお陰で、私はお友達を探すことが、こんなに楽しいのだと、知ったのだもの」

肩を落とした私の頬に触れながら、ミレーヌは微笑んだ。


「……それよりも、お話し中だったのよね?邪魔してごめんなさい」

ミレーヌは、私の耳元に顔を寄せると、そう囁いた。


……!!

先程までのことを如実に思い出したせいで、私の顔は一瞬で真っ赤に染まった。

ツンと澄まし顔で、パタパタと扇で仰ぐ私に、ニヤリと人の悪い悪役令嬢のような笑みを向けたミレーヌは、シャルル様へ向き直ってカーテシーをした。


「ご挨拶が遅れましたわ。ご機嫌よう、オルフォード様。お久し振りですわね」

「いえ、お久し振りです。公女様」

微笑むミレーヌに向って、シャーロット様は頭を下げた。


「ローズとは随分と打ち解けているように見えたけれど、知り合いだったのかしら」

「公女様こそ、ローズ嬢とお知り合いだったのですか」

「ええ。お友達なのよ」

「……そうでしたか」


ミレーヌから発せられた『お友達』というワードに、シャルル様は予想以上に動揺していた。


……知らなかったの?


私とミレーヌの関係は、カージナス様から聞いているとばかり思っていた。

知っていて……あの対応をされたのかと思っていたが、どうやら違うようだ。

カージナス様が話していなかった理由は分からないが、そうなると大分話が変わってくる。


実には、シャルル様は私を試してなんかいなくて、本当に『嫉妬』していたということ……?


「ここで立ち話しているのもなんだから、そろそろあちらへ移動しない?せっかく陛下達が、美味しい料理を用意して下さっているのだもの。勿体ないわ」

ミレーヌは私の腕を掴むと、半ば強引に引きずるようにして、中央に置かれた料理の並ぶテーブルの方へと歩き出した。


私達の後に続くように、シャルル様とミレーヌ付きの騎士が笑いながら付いて来るのが見えた。



*****


艶々の宝石のような色とりどりの果物に、赤身が綺麗なローストビーフ。生ハムやチーズ等が乗った小振りのカナッペ。薔薇がデコレーションされたケーキや、チョコレートのムースなどなど。


目にも鮮やかな光景が広がるテーブルを前にして、私は内心唸っていた。


どれもこれもお酒に合う立派なおつまみである。

お肉やチーズのカナッペが合うのは勿論のこと、チョコやケーキも外せない。

濃厚な生クリームやミルクガナッシュと共に味わう、爽やかなスパークリングワインは、まるで『青き衣をまといて金色の野に降り立つ』空と大地のハーモニーである。


……ジュルリ。

って、いけない。いけない。


給仕が配り歩いているグラスに、思わず手が伸びそうになった。


一年前の失敗を教訓に、今回はジュースで我慢をしようとしているだけど、『飲みたい』という欲求が溢れ過ぎて、今にも独り歩きを始めてしまいそうだ。


シャルル様の前で二度もお酒で失敗したくないと思う反面、皆が気兼ねなくお酒を飲んでいるのが羨ましくて仕方ない。


上の空になりながら、ミレーヌの話に相槌を打ち、促されるようにして返事をしている間にも、頭を過るのはお酒のこと。

飲めないと思えば思うほど、飲みたくなってしまうのが、人の世の常である。

――これを言うと、エルザが物凄く怖い顔をするので、絶対に外では口にしないことにしている。


……飲みたかったな。


それでなくとも王宮で出されるものは、ここでしか味わうことのできない名酒ばかりだ。


ミレーヌもシャルル様も涼しい顔でお酒を口にしている。

この世界でのワインなんて、ジュースと同じはずなのに、私だけが飲めないなんて……!!


二人を恨めしそうな顔で見つめていると、クスッという笑い声が聞こえてきた。


「失礼いたしました」

その笑い声の主は、ミレーヌ付きの騎士であった。


一見、背が高いただのモブのように見えるが、よくよく見ると実に整った顔立ちをしている。


彼の名前は――『アレン・ターナー』。

二十一歳。ターナー子爵家の次男である。


カージナス様の乳母の息子で、カージナス様とは兄弟のように育てられたアレンは、十七歳の時に若くして副団長になった。その剣の腕と信頼を買われてカージナス様の専属護衛騎士をしているアレンは、気配を消すことにとても長けており、カージナス様の命を受けて諜報活動もしている。


マイプリファンの間でも、アレンのファンは多く、特にオネエ様方から絶大な人気を誇っており、攻略対象キャラではないことが長らく惜しまれてきた。


常にカージナス様の側に控えるアレンは、カージナス様の腹心であると言っても過言ではない。

そんなアレンがミレーヌに付いている時点で、カージナス様の心がどこにあるかなんて、一目瞭然のはずなのだけど……王族の結婚となると一筋縄ではいかないのだろう。


……実は、今の私はアレンが苦手だったりする。

彼に限らず、マイプリのキャラを生で見られることはとても嬉しい。

だが、アレンに見られていると、カージナス様に見られているような気分になって、落ち着かないのだ。


そわそわしていると、気を効かせた給仕の男性が、私の持っていたグラスを冷えた飲み物入りのグラスと交換してくれた。

飲み物を欲しがっていると、勘違いされたようだ。


「ありがとうございます」

給仕の男性の心遣いに感謝して、素直にグラスにを受け取る。

意図したことではなかったものの、そろそろ冷たい飲み物が欲しいと、思い始めていたところであった。


冷たいものは冷たい内に。

早速受け取ったグラスを口元で傾けると、何故かシャルル様がギョッとした顔でグラスを見た。


「待って下さい!それはお酒です……!」


残念なことに、シャルル様の静止は、ほんの少しだけ遅かった。 


――ゴクッ。


私……今、何を飲んだの。

飲み込む直前、シャルル様はこれを『お酒』だと言っていたけれど…………ああ、なるほど。


パチパチと弾ける泡と、まるで搾りたての果実のような爽やかな香りとコク。

うっとりしてしまうほどの極上味わいは――――。


「……オルフォード領のスパークリングワインですわね」


……なんてことだろう。

お酒なんて飲むつもりなかったのに、グラスの中身を一気に飲み干してしまった。


口元を片手で押さえながらグラスを見た。

そこにはお酒であることを示す『赤いリボンが』付いていた。それをうっかり見逃してしまっていた。


身体の中から、ジワリジワリと酔いが回ってくるのを感じた。


……ど、どうしよう。

段々と頭がボーッとしてきた。

頭の中がふわふわして…………気持ち良い。


私の異変に気付いたミレーヌとアレンに向かって、『大丈夫』という意味を込めて微笑むと、二人は驚いた様に瞳を丸くし、ピタリと動きを止めた。


シャルル様は困ったような、複雑そうな顔をしていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る