7話 想い出との別れを

 私には昔仲の良かった幼馴染がいた。私の記憶の彼は今も小学生のまま。あどけない童顔に男の子にしては長い睫毛。吸い込まれるような綺麗な瞳。でも覗いてみると万華鏡のような模様の奥に奈落に繋がっていそうな黒い影が見える。


 思い出した。それがちょっと怖くて笑顔になってほしいと面白い話を知った時は覚えておくようにしていた。放課後の帰り道それを彼に話して「で?」とかつまらなそうな反応を返された時は思いっきり足を踏んでやったり、そんなことをしていた。


 随分と昔のことだけど記憶だけは鮮明に残っている。きっとあの時から根本的に私は何も変わっていない。時が流れて、身体は成長して、色々あったけれど全て右から左へ何も自分に残すことなく生きてきた。


 変化といえば、そんな過去に自分がやってた拙い愛情表現に羞恥の感情を抱けるくらいの精神的な成長だけ。


 小学五、六年生の時が多分一番距離が近かった。それまでも一緒にいることは多かったけれどその二年間は幼馴染とか友達ではなくて互いに異性として見ていた……と思う。


 帰り道はいつも一緒に。たまに家に遊びに行ったり(当然ゲームとかで遊ぶだけだけど)、図書館で一緒に宿題したり。とても楽しかった。


 だけど、彼とは中学生になってからはほとんど話さなくなってしまって、入学してしてから数日はすれ違ったら目配せしてニヤニヤして、今後の中学生活に思いを馳せたりなんて馬鹿なこともしてたけど、そんなのは本当に数日間だった。


 私には友達ができた。クラスでも物静かなタイプの女の子二人と。彼も当然友達を作っていた。中学デビューしたって言ってもいいくらい明るかったと思う。


 それを見てちょっと関わりにくくなってしまった。明るい彼と暗い私、話しかけたら彼の周りの人から反感を買いそうで怖かった。それでめっきり関わりは減ってしまった。


 でも友達の二人とは良い関係を築けていた。仲良し三人組みたいな感じで、グループ作るときも同じになることが多くて、そこが私の新しい居場所になってくれた。


 だけどそれも長くは続かなかった。喧嘩とかそういうのは一切なかったけど、二人のうち一人に彼氏ができたことによって三人一緒にいることが減った。その子は自然と明るい性格になっていって私達のグループから外れた。


 三人だとうまく行っていたのに二人になると急に気まずさが増して、もう一人とも関わりが減って。そんなことがあった頃、他クラスの男子が私のことを好きみたいな噂が流れ始めた。


 それを契機にもう一人のことも完全に縁が切れて、そしてクラスの中心の女の子に目をつけられるようになった。まったく迷惑な噂。きっとその女の子の好きな男の子だったりしたのかもしれない。


 そこからは毎日が苦痛で学校へ行くのが嫌になった。もうそこに私を助けてくれる幼馴染はいなくて。少しずつ、でも着実に私の精神をすり減らして、気づいたら転校なんて話まで進んでいた。心配症のお父さんがきっと一生懸命色々と考えてくれたのだと思う。


 でもそれによって完全に彼との縁も切れてしまったのだけど。


 転校後は、ずっと勉強だけしていた。ギリギリ友達と呼べない、そのくらいの間柄の関係しか築かなかった。まぁ、大抵小学校からそのまま持ち上がってくる人が多いから、いきなり知らない人ばかりの学校に馴染めないのは私にしたら当たり前だった。


 そんな生活を続けて、気づいたら少女のようなピュアな心もなくなって、青春への憧れもどこか一歩引いて見るようになった。とてもつまらない人間になってしまった。


 もし、中学生の時彼に一言でも相談してたら変わっていたのかもしれない。相談じゃなくてもそれが愚痴でも愛の告白でも何かしらあれば私はこんな風にはきっとならなかったのだと思う。


 勇気を振り絞って、あと一歩踏み出せていたら──


 そんな後悔は今でも私の心の奥底で燻っている。だからなんだと思う。わざわざ同じ高校に進学して、欠けてしまったものを埋めようとした。



※   ※   ※



 最近は、村上さんたちとのことがあってストレスが溜まっていたのか睡眠不足だった。朝起きて鏡を見れば薄っすらとくまができてて学校に行きたくなくなるのがここ最近の私だった。


 私は、昼休みお母さんが作ってくれたお弁当を食べるなりすぐ眠ってしまった。ちょっと前までは自分で作ってたけど、今は無理になってしまった。最近は専らお母さんが早起きして作ってくれたお弁当が私の昼ごはんだった。


 私は机に突っ伏してほぼ気を失うように寝た。普段学校で寝るようなことは一切なかったけれど、もう睡魔が限界だった。


 眠りに落ちるときは少し安心した。今のこの苦しい思いから一瞬でも開放されるのだと思ったから。寝ている間は何も考えないいで良いし、起きたときは少しだけ気が晴れる。


 だけど目を醒ましたとき私を待っていたのは更なる悲しい現実だった。


「────」


 覚醒してすぐに違和感を覚えてすぐに左腕を見た。


 おかしい、何かが――ない。


 それは自分の身体の一部が失われたそんな感覚だった。


「…………ぁ」


 切れていた、大切なアクセサリーが。プツリと完全に切断され、環状だったものは一本線に変わり果てていた。明らかに人為的に。


 思わず小さく情けない声が漏れてしまったと思う。その声の語尾は震えてしまって、そして視界がぼやけ始めた。


 なんで、どうして……


 心がぎゅっと締め付けられて苦しい。でも人が周りにたくさんいたから頑張ってぎりぎりで堪える。でもそんな感情はどんどん大きくなって、ジンジンと喉の奥の方が焼けるように熱くなって、必死に抗おうとしても押し寄せる感情の濁流を止めることは叶わなくて、遂には抑えきれなくなって涙が溢れた。


 「手元が綺麗だから似合うと思って」そんな風に遠い昔に貰った宝物。レザーの編み込みの細いブレスレット。


 普段プレゼントなんてしない彼がテレビか何かに触発されたのか誕生日に渡してきたものだった。「いらなかったら捨てていいよ」なんてあげる側として最悪なことを言いながらも、一生懸命選んでくれたということはすぐに分かった。


 美的センスが皆無な彼とは思えないくらいちゃんと私に似合うもので。貰った日からずっと大切に着け続けて、離れ離れになってからもずっと心の支えになってくれた本当に大切だったもの。


 思い出して悲しみが増してくる。泣いてることがバレないようにあくびのフリをして目元を擦る。でも一向と乾かずむしろどんどんと溢れる。


 切れたブレスレットをポケットにしまって私はトイレに駆け込んだ。


 周りの目がなくなって、起こったことを脳がちゃんと認識し始めて涙の勢いはどうしょうもないくらい増して、嗚咽というより泣きじゃくる、そういう表現のほうが適してるんじゃないかと思うほどになった。


「………っはぁ……」


 ただの呼吸が声になる。苦しくて、流れ続ける涙を制服の裾で拭って、もうびちょびちょになった。


 切れたブレスレットを握りしめて本当に終わったんだと私は理解した。


 前に村上さんと廊下で揉めたとき彼が見ていたのを私は知っていた。そのまま去っていったということも。


 責める気には全然なれない。だってもう四年くらい話していない人がいじめられてて、わざわざそんな厄介事首を突っ込むほうがおかしいから。


 私だったらそんな厄介な女を助けに行こうとなんて思えないし、怖くて無理だ。それに今の彼と私は全くの無関係で、月日が流れて別人のように変わった。だから、悲しいって思いはあったけれど自然と受け入れることができた。


 だけど、今の彼はそうでも小学生の頃の彼はいつも私の心にいてくれた。辛いときも側にいてくれるような気がしていた。昔に縋ってて惨めなことこの上ない。だけど前に進めない、進みたくない私はそれで良かった。


 このブレスレットを見ると、彼の一生懸命選んでいる姿、渡すのにドキドキしている姿や着けている私を見て少し満足げな表情している姿、色々と思い浮かんで孤独を紛らわしてくれる。


 でも、これで完全に今も昔も全て関係はなくなってしまった。唯一の繋がりもこれを境に。


 少し落ち着いてあれだけ熱かった胸がすぅと冷えていくのを感じる。鼻を啜って深く息をした。


 自嘲的な笑みがこぼれて最後の涙が床に滴った。



※   ※   ※



 放課後いつもと同じように帰路につこうしていた時。


「あの香織ちゃん!」


 いきなり男子に廊下で呼び止められた。


「……なんですか?」


 なんとなく用件が分かってそんなふうに愛想悪く返事する。


 彼は、過去に三回も私に振られている男子なのだ。


 一回目はもう半年以上前。諦めきれないのか一、二ヶ月置きにこうやって話しかけてくる。


 だから、もう何を言うのか大方予想がついた。


 でも、なんでこんな日に限って。


「あのさ……」


「前も言ったよね。榎本えのもと君と付き合うことは無いって」


「そう……だよね、」


 ごめんと落ち込みながらも苦笑いで返してくる。


「うん……」


 少し申し訳無さを感じて言い淀んでしまう。


 なんで私は当たり前のように断るのだろう。決して悪い人ではないはず。のことをまだ忘れられていないのだろうか。


 ──でも。


 今もポケットの中にある切れたブレスレット。


 ──もう過去とは決別したんじゃ?


 いつまでも過去に縋ってこれじゃあ前に進めない。むしろいい契機だったのかも……


「僕いつまでも──」


「──ごめんなさい」


「えっ……」


 だけど私は条件反射的にそう断った。


 なんでだろう。自分でもよく分からない。


「わ、私、好きな人がいるから……だからごめん……なさい」


「そっか……そうだったんだ。ごめんね。じゃっ」


 榎本君は、そう言って去っていった。


 結局私はまだ整理がつかない。たったこれだけじゃ、何年もずっと引きずってきた気持ちが終わる訳が無かった。


 だけどそれはロマンチックなことでもドラマチックなことでもない。だって現実はそんなのはただの足枷でしかなくて、ずっと前に進むことを億劫にさせるだけのもの。


 そんなことが分かっているのに私はまだを忘れられない。

 

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