アーティストとのたまう


「私達はアイドルじゃなくて、アーティストです」

「アイドルになりたくて、このグループに入った人はいない」


 この言葉は、アイドル自身から発せられた言葉である。

 アイドル好きなら、誰が発した言葉なのかもわかるかもしれない。

 しかし、この発言が与える不快感は何なのだろうか。

 私自身アイドルは大好きだが、こういう発言をするアイドルは、それだけで一発アウトになるくらい苦手である。

 おそらく、アイドルが自分たちの存在を否定してしまっているからなのだ。

 ファンはアイドルが好きだ。

 入り口が何であれ、アイドルをしている彼女たちを好んでいる。

 それなのに、アイドル自身から、その好きな存在を全否定される。

 これは頂けない。

 アイドルとアーティストを同じ土俵にあげようとするアイドルに、私ははっきりと言いたい。

 アイドルとアーティストは完璧に違うものなのだ。


 アーティストとのたまうアイドルを見るたびに、私の自尊心にも近い何かが傷つく。ファンはアイドルである彼女たちを応援しているのに、アイドル自身がアイドルを否定する。

 アイドルがアイドルを嫌う。そこには明確な自己否定が含まれる。そのうえ、ファンの気持ちさえ否定している。

自己否定に近いような形は、無名のときは行われない。ある程度有名になってから行われる不作法の一つだ。

 なにゆえ、アイドルは自分自身の努力の結晶である、アイドルという形お否定するのだろう。不思議な話だ。

 思うに、アイドルであることを否定するアイドルは、アイドルをアーティストより下の存在と感じている。昔、アイドルは歌手予備軍と言われた。歌手の下のような扱いを受けることもあった。

 しかし、それは昔の話だ。昭和どころか、平成も終わった時代に言い出すこと自体に違和感がある。

 アイドルはアーティストではないし、だからといって、アイドルがアーティストより劣っているとも私は思わない。

 もはやアイドルはアイドルというジャンルを確立している。


 そもそもアーティストとは何なのか。この単語自体が多様意味を内服している。これが混乱の元だ。

 日本語に訳せばアーティストは芸術家である。歌手のことではない。

 芸術家とは、自分の表現したいものがあり、それを表現して生きている人のことだ。自分の作品を生み出すことに情熱を捧げている人。それこそが芸術家だろう。

 この時点で、アイドルがアーティストを名乗るのはお門違いである。

芸能の世界で「アーティスト」と言える存在は極々限られる。

 作詞家や作曲家、シンガーソングライターなどが芸術家と呼べる仕事だろう。とはいえ、芸能の世界は、基本的に求められるものに応える形が多い。

 必要とされる物があって、それにあわせて作品を作る。

 自分が表現したいものを書いている人間など、ほんのわずかに過ぎないだろう。


 なら、歌手は何になるか?

 歌手は表現者という単語こそ、ピッタリだ。

 曲や歌詞を読み込み、自分なりに表現する。それこそが歌手の仕事なのだ。

 同じように、女優という存在についても考えてみたい。

 女優も与えられた台本にあわせて演技を変え表現を行う。

 だからこそ、女優は表現者と言われても、芸術家と言われるような人はいない。

 つまり、シンガーソングライター以外で芸術家をのたまうこと自体単語の意味を理解していない人間だと私は思う。

 アイドルが、アイドルという語感が嫌なだけで、アーティストをのたまうなど言語道断だ。


 アイドルが自分自身を「アーティスト」と呼ぶ際、彼女たちは自分自身を貶めている。先に書いたように、アイドルは有名になってくるとアイドルという単語を避けたくなるようだ。

 なぜ避けたくなるのか?

 それは彼女たち自身が、アイドルをアーティストより下のものだと思っているからだ。

 アイドルを恥ずかしい職業だと思っているからだ。

これが一番かちんと来る。

 アーティストを気取るアイドルは、アイドルを恥ずかしがる。アイドルをしている自分を恥ずかしく感じている。そして、そんなアイドルを応援しているファンをも恥ずかしく思っているに違いない。 

 自分を応援してくれているファンさえ恥ずかしく思うのであれば、自己嫌悪もここに極まりだ。アイドルをやっている意味を問いたくなる。

 それはアイドルを応援しているファンを冒涜していることにさえなるのだ。


 こんなことになってしまう理由に、アイドルは人気が全てというのある。

 アイドルはアーティストと呼ばれる人より、人気に依存する。

表現するものをもたないアイドルは、ファンが求めるアイドル像を作り上げることで人気を得る。ここが一番特殊な部分だろう。

 アーティストは先程書いたように、自分の世界を表現する人であり、周りに依存しない。

 芸術家は自分の世界を表現していることが、生きがいである。

 その作品が売れようが売れまいがどうでもいいのだ。(まぁ、生活ができなくなるのは困るだろうが)

 これに対して、アイドルは人気を全ての尺度にされる。

 この人気をあげるためには様々な手段が必要だ。

 ダンスだったり、歌だったり、コメント力だったり、ファンの歓心を買う必要が出てくる。

 つまり、自分の立場を確立するために、ファンという外部の評価が重要になる。

 ここにアイドルとアーティストの一番の違いが出てくる。


 彼女たちはすべからく努力をしている。

 ダンスが上手くなりたい、歌が上手くなりたい、表現を上手にしたい、コメントを上手く話せるようになりたい……etc.

 自分にしかない何かを磨く努力をしない人間で人気が出たアイドルはいない。

 「努力は必ず報われる」とは。某グループの初代総監督がよく言った言葉だ。

 これは真理である。

 アイドルのファンというのは、不思議なことに、結果ではなく過程を好む。

 自分の好きなアイドルがひたすら頑張っている、努力をしている姿を見るだけで応援する気になるのだ。

 その上、それが報われないと怒る。 

 次のチャンスには、推しを上に押し上げようと、躍起になる。

 つまり、アイドルは上手い下手に関わらず、努力をしている姿だけで人気を獲得する可能性がある稀有な職業なのだ。

 ここに、アイドルの歪がある。

 アイドルは、アイドルと言われることで、自分が実力ではなく、ファンからの人気で舞台に立てたと否応なく思い知らされることになる。

 それが面白くないのだろう。

 人は、とかく自分の実力で全てを成してきたと思いたいものだ。

 特に若い頃など、血気盛んに自分の実力を叫びたい。

 だからこそ、アイドルが自分自身をアイドルではなく、アーティストだとのたまうことができるのだ。

 

しかし、人の力を借りることがそんなにも悪いことだろうか。

 大抵のものは人一人では成し遂げられない。

 芸術家は自分の表現したものを好む人間から、作品を百万で買ってもらう。

 アイドルは、与えられたものを必死にこなして、その過程に心動かされた千人が千円のCDを買う。

 結果は同じ百万円だ。金額があがれば、どうなるかなど言うまでもない。

 そう考えれば、千人を動かせるアイドルたちを低い立場だなんて言うことができるだろうか。


 アイドルはアイドルであることを何ら卑下する必要はない。

 アイドルは、アイドルというジャンルをすでに確立している。

 ファンはアーティストではなく、アイドルの彼女たちを好きになる。

 多くの人を元気づけられるアイドルは、誇るべき職業である。

それでも自分はアーティストだと言いたいならば、自分の作品の一つでも作ってから言うべきであろう。

 表現したいものを持っていない人間は、アイドルだろうとアーティストだろうと大成できない。

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