12.微笑ほほえみ

 御影さんが既婚者だ、という証拠を掴めばすっきりするだろう。

 そう思っていたけれど、証拠なんてないし、最近御影さんにも会っていない。

 特に用事もないので連絡する必要もないけれど、蘭館で上谷さんやその他のお偉いさんは何度か一緒だったが、彼はいなかった。探してどうするわけでもないのに。

 それなのに私は何故か、病院の食堂に2日連続通っている。

 先週母も退院し病院には全く用事はないのだけれど、御影さんの奥さん(仮)に以前会ったのは、5階の食堂だったから。この間とだいたい同じ時間帯で待っていれば会えるかもしれないと思って。けれど、彼女は現れなかった。

 そーいえばあの時、看護師さんに捕まり車イスで連れていかれた彼女。エレベーターは下の階に向かい、確か3階で止まったような。そこで降りた確証はないが、確か3階は…

「どなたかのお見舞いかしら?」

 エレベーターを降り、フロアでキョロキョロしていた明らかに怪しい私を見て、看護師が不審そうに尋ねる。

「あ、は、はい」

「そう。でもごめんなさいね。産科は旦那さん以外病室には入れないのよ。今の時期特に病気を持ち込まれると困るからね」

「そう、ですよね」

「どちらのご家族の方?良かったら呼んでくるわよ」

「いえ…私は、その…」

 すると、

「あれ?あなた、この間の?」

 振り返ると、助け船を出してくれた車イスの女性が手を降っていた。

「この子、私の知り合いです」

「あら?御影さんのお見舞いに?ごゆっくり」

 やっぱり聞き間違いじゃない。確かに、と。

 私は、看護師が去ってから彼女に頭を下げた。

「すみませんでした」

「どうして謝るの?」

「あ、いえ、私…」

 あなたを偵察に来た、なんて言えない。

「どうしたの?」

 素っぴんだからだろうが、あまり血色が良いとは言えない顔。綺麗に整っている顔だから、黙っていたらツンと冷たい印象があったかもしれない。

「あの、御影さんって…もしかして、王手社の御影さんの……」

「あら、怜のお知り合いなの?」

「え、あ、はい」

 やっぱり…

 知りたいけれど、事実を受け止めたくない。怖い。逃げたい。どうやってこの場を乗りきろうか考えている時、エレベーターが開き、中から二人の男の子が飛び出してきた。

 そして一直線で車イスの彼女に飛び付いた。

「ママ!」

「久しぶりね。いくりく

 彼女は一人ずつ小さな頭をぎゅっ、と抱き締めながら愛しそうに名を呼んだ。

「会いたかったわ。あれ?そーいえば、ふたりだけなの?」

「うんん。怜と来た」

「そう。良かった」

「マ、ママ?」

「ええ。この子たち双子なんです」

「み、御影さん、お子さんまでいらしたんですね」

「え?はい。けれどまだまだ甘えん坊で…今度お兄ちゃんになれるか心配で」

「お兄ちゃん??」

 双子くんたちは母のお腹をじっと見つめて二人でひそひそ話始めた。

 彼女のブランケットの下は確かにふっくらしているような。

 あの御影さんが、三児のパパに??

 めまいがした。

「そうなんですか…お、おめでとうございます」

「ありがとう。でも切迫早産で絶対安静だからもう退屈で退屈で、この前も車イスで息抜きしていたのに、捕まってしまって」

「そうだったんですね。この前は、お茶ありがとうございました」

「いいえ」

「私、帰ります」

「え?でもどなたかのお見舞いじゃないの?それにもうすぐ怜が、」

 だったらなおさらいられない。

 ここでエレベーターを待っていても、出会い頭にあ、なんてことだけは避けたい。

 さようなら、と私は軽く会釈をして階段の方に走った。ちょうど角を曲がった時、

「お前ら危ないから先に行くなと言っただろう?」

 間一髪。エレベーターが止まる音とともに聞こえた男性の声。

 心地よい声音。

 見なくてもわかる。

 知りたくてここまで来たのに、ストーカーみたいなことまでしてでも知りたかったのに…私は何をやっているのだろう。

 こっそりと覗いたそこには、見たこともないほど柔らかい表情の御影さん。

 彼女に向けられたのは優しさに満ちた、けれどわかる人にしかわからないくらいの微笑み。

 いつもの営業スマイルとはかけ離れていてまさに別人。

 ただの仕事バカでも無神経な冷血男でもない。

 子供たちが彼女に楽しそうに話す姿を一歩後ろから眺めている御影さん。

 疲れているのかその目が物憂げに陰ったようにも感じたけれど、知らなければ、私に向けられるものだって特別だと、勝手に思っていられたのに。





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