禁忌の魔法

「さて」


 ミササギは、壁を消すとシルワに向き直った。


「君の法陣は及第点だ。次に進んでも問題ないだろう」

「あ、ありがとうございます」


 不意にそう言われたので、シルワは驚きながらも笑みを浮かべた。一方で、ミササギの表情は固いままだ。


「ただ言っておくが、次の段階、法陣を実際に描くことが一番難しい」

「え、そうなんですか?」

「法陣は体の中の魂を感じて、魂から体の外に魂力こんりきを引き出し、その魂力を指先に集めることで描くものだ」

「つまり、魂力を自分の意思で操るということ……ええと、そんなことできるんですか? いえ、そもそも自分の魂を感じるって、どうやったらできるんでしょう?」


 シルワの言葉を聞いて、ミササギは小さく笑った。


「だから難しい。言葉では説明しきれない。自らの魂を感じてその力を外に引き出すなど、感覚で捉えるしかない」

「できるようになるまで、どれくらいかかるものなんですか?」

「人によって違う。三日でできる者もいれば、七日、十日かかる者もいる。一月以上かかる者ももちろんいる。私が聞いたことがあるので最長は、一年だったか?」

「一年?」


 シルワはあまりの事実に言葉を失い、窓の外に目をやった。雲の間から差す日がまぶしい。


「私、できるんでしょうか?」

「君次第だな」

「……できる気がしません。魂のことも、よくわからないのに」

「では、魂について何を知っている?」


 シルワは窓から視線を戻すと、天井に視線を戻した。記憶を手繰り寄せるように、片手をくるくる回す。


「魂は目に見えなくて、誰もが持っていて、死んだらあの世に行って永遠の幸福を得ると言われています。けれど、多くの魂は未練のためにこの世から離れられずにとどまってしまうから、そのままあの世に逝けずに消えてしまう前に、先人たちへの感謝と慰めを込めて『御魂みたま送り』を行う」


 魂について知っていることを挙げていく。


「自分の力でどうこうできるものと思えません。魂が、本当に自分の中にあるのかもわからないのに」


 そのままシルワは口を閉ざしてしまった。そんな彼女を、ミササギは何かを考えながら見つめる。


「自らの魂が本当にあるかどうか感じてみたい、ということか?」

「そんな方法があるなら、知りたいです」

「そうだな、あるにはあるが、あの魔法はそう使ってもいいものでは」

「お願いしますっ」


 勢い良くシルワは頭を下げた。それを見ると、ミササギは珍しく迷うように視線を左右に揺らした。


「少し気分が悪くなるかもしれない。それでもいいか?」


 シルワはしっかりとうなずいた。

 それを確認すると、ミササギは宙に法陣を描き始めた。基法陣ではない、かといって各魔法の印だけにしては複雑なように見える。


「気分が悪くなったらすぐに言え。何せだ」

「え?」

「レニカ・フルニア、我が意のままに」


 結ばれたのは紫に光る法陣で、見たこともない複雑な形をしている。法陣が結ばれた瞬間には、シルワは何も感じなかった。

 ミササギは意識を集中させるように目を閉じると、宙に浮かぶ法陣に手を触れた。

 その瞬間シルワは違和感を抱いた。何というか、自分の中でが動いているような、ざわざわとした嫌な感覚だ。

 その感覚に意識を集中させようとすると、自分の体が揺れているように感じられてくる。捉えようとすればするほど捉えられなくなるが、体の中でが揺れているのは間違いない。

 何かが何なのかはわからないが、おそらくこれが――


「ゼギ」


 ミササギが言うと同時に、奇妙な感覚は法陣とともに完全に消え失せた。


「い、今のが」


 シルワは気分を落ち着けるように、大きく息を吸った。そんな彼女に、ミササギは気遣わしげな視線を向ける。


「大丈夫か?」

「……は、はい。大丈夫です。変な感覚でしたけど。あれがきっと私の魂なんですよね。でもどうやって、今の魔法は? さっき禁忌って、言ってませんよね?」


 先ほどの言葉はさすがに聞き間違いだろうと思い、そう言ったが、


「禁忌とされる魔法の一つだ」


 ミササギが否定をしなかった。

 よくそんなものを自分に対して使えたものだと彼女は思ったが、使ってくれと言ったのは自分である手前、これ以上何も言えない。仕方なく、シルワは違うことを聞いた。


「この国では、魔法はそもそも管理されていますよね。普通の魔法と禁忌の魔法は何が違うんですか」

「禁忌の魔法は、モルスと次期モルスしか読むことのできない本にのみ詳細が記され、その内容を秘匿すべき魔法のことだ」

「じゃあ、何も聞きません」

「魔法詠唱に関わりのない情報は、多少話しても問題はないが」


 どうする、とでも言うようにミササギは首を少し傾けてみせた。そんなことを言われたらシルワの答えは決まっている。

 彼女の反応を見ると、ミササギは話を続け始めた。


「先ほど使ったのは、他者の魂を操る禁忌の魔法だ。他者の体を操る魔法と共に、三つの禁忌の中に数えられている。応用すれば、人を自らの意志のまま操ることができるからだ。旧王国時代は、この魔法を使って政治を動かしていた。それに、ほんの少し魂を動かされただけでも嫌な感覚だっただろうが、魂を激しく揺れ動かすことで拷問として使用した場合もあった」


 シルワは先ほどの感覚を思い出して、確かに激しく揺れ動かされたら耐え切れないだろうなと思った。


「禁忌なのも納得できますね……、そんな魔法が、昔は使われていたなんて怖いです」

「狂っていた時代だからな。だが、そんな時代でも、語ることさえはばかられ忌み嫌われた魔法があった。今もなお三つの禁忌の中で、最大の禁忌とされている」

「それは?」

魂喰たまはみ……」


 そこまで口にしてから、ミササギはゆっくりと首を振った。


「今は止めておこう」


 その目が悲しげに見えてシルワは驚いたが、彼女がまばたきをした次の瞬間には、ミササギの表情は元に戻っていた。見間違いだろうか。


「そろそろ仕事に戻るとしよう。セラギと話したことも考えないとならないからな」


 法陣を描いた紙をシルワに渡す。手をつけていない書類を、代わりに手にとって見始める。


「はい、ありがとうございました。とりあえず、頑張ってみようと思います」

「そうしてくれると助かる。こっちは禁忌まで破ったのだから」

「え、いやそれはっ」


 シルワは何かを言おうとして、言えないことに気づいて、仕方なくそのまま頭を下げると、退出した。

 階段を降りながら、シルワは魂を感じようとしたができるわけもなく、大きなため息をついた。先は遠そうだ。

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