兄と弟

「クラーウィス領の辺りは天気が悪かったですが、こちらは晴れていて気分がいいですね」


 セセラギが、穏やかに話をふってくる。


「晴天ばかり続いているから、そろそろ雨が降ってもいいとは思うが。それでどうした? 何か用でもあるのだろう?」

「王都に用があったもので、そのついでにこちらへ寄りました。少し、気になることもあったものですから」

「気になること?」


 セセラギは迷うように瞳を揺らしたが、視線を定めると言葉を口にした。


「兄さんもご存知でしょう。久しぶりで、あまりこのようなことは言いたくありませんが、兄さんがレイリ様を殺してモルスとなったという噂があることを」

「えっ⁉」


 その噂を知らなかったシルワは、思わず声を上げた。二人から視線を向けられて、頭を下げて取り繕う。


「私は知っている、ラクスやヨルベも言っていた。お前も知っているということは、父上もご存知なんだろうな」

「父上はあからさまには言いませんが、もちろんご存知です。兄さんのことを気にしておられました。モルスになってから、顔を見せていないのでなおさら」

「噂を信じているのか?」


 ミササギは、書斎の床に視線を落としながら言った。


「いいえ、僕も父上も噂など信じていません。しかし世の中には魔法を畏怖している者もいます。そのような者たちが、魔法なら誰にもばれずに殺せると考えても、無理はないのかもしれません」


「……。人を殺せる魔法などないが、それが伝わらないのが問題だな。やることが多いから、今は噂の対処にまで手が回らないというのが正直なところでもある」


「魔物の事件のことは聞いていますが、その中でも『御魂みたま送りの儀』を無事に成功させたの事、素晴らしいと思っています。さすが兄さんです」


 笑みが含まれたその言葉に、ミササギも小さく笑った。


「その言葉受け取っておこう。私としては、儀式の成功で嫌な噂を打ち消せるのではと思っていたが、そうでもなかったな」

「はい、少しは減ったようですが。――兄さん、こういう話はあまり好きではないと知っていますが」

「わかっている。私のことで父上に影響が出始めているのだな?」


 なぜ、そこで二人の父が出て来るのかシルワにはわからず、小さく首をかしげた。そもそも、二人の父がどのような立場の人かもわからない。

 セセラギは視界の端でシルワの様子を見ると察したのか、彼女に顔を向けた。


「父上は、セナートルを務められているんだ。誇るべき方だよ」

「『セナートル』」


 モルスの従者として、職業名だけはどうにか頭に入れていた。

 確か、セナートルは貴族の中でも一握りしかいない王国議会貴族議員のこと。つまり二人の父は政治を動かす議員の一人、ということになる。


「セナートルは、貴族なら誰でも狙おうとする職だ。私の噂を利用して、父上を蹴落としてでもセナートルになりたいというのが本音だろう。貴族というものは、昔から性格が悪い」

「同感です。僕らも貴族ですが」


 苦笑いを浮かべながら、セセラギがうなずいた。


「やめるか。なら」

「四百年の歴史を持つクラーウィス家を終わらせるつもりですか? それこそ、父上に殺されますよ」

「それで済むならいいが」

「済まないでしょうね、怒らせると怖い方ですから」


 話す二人の声は軽く、冗談であるとすぐにわかる。

 シルワは、セセラギが来た時の様子から仲が良くないのだろうかと考えていたが、こうして見ると二人は仲がいいように見える。


「冗談はともかく。そろそろ何かしら手を打った方がいいようだ。父上自身が噂を消すのに躍起になれば、貴族はより疑う。私がどうにかすべきだろう。わかっていると思うが」


 真剣な眼差しをセセラギに向ける。


「父上の後を継ぐのはお前だ。お前も行動を起こすな。モルスとなった時点で、私は貴族たちのまつりごととは離れた立場にいる。その私が、どうにかすべきなのだから」


 長子であるとしても、モルスとなることを選んだミササギが、クラーウィス家の家長となることはできない。それが、彼の選んだ選択だった。


「それはよくわかっています。しかし、モルスもまた重要な職です、モルスはただ一人なのですから。兄さんばかりに負担をかけるわけには」

「大丈夫だ、モルスの代わりなどそういない。私を引きずり下ろすことまではできないだろう」


 ミササギは立ち上がると、仕事机に置いてある書類の束を手にした。


「しかし、事態がそこまでいっているとなると。困ったな」


 戻ってくると、セセラギに書類の一部を渡した。そこには北部に住む領主や貴族の名の他に、魔法使用許可がある者の名前が列挙されている。


「実のところ、レイリ殿に関する噂の出所が北部の可能性が出てきたから調べているが、あまり進んでいないのが現状だ。私としては、魔物の件も関わっているとにらんではいるのだが」

「魔物の調査も噂の調査も、進んでいないのですね」

「ああ。そういえば知っているか? 最近だと、魔物を操っているのも私だとする噂もある」

「それはまた……、まるでモルスでも恨んでいるのかと思える噂の数々ですね」

「そうなんだろうな。だが、けっして手詰まりだというわけでもない」


 ミササギは、書類の束をめくる手を止めた。


「レイリ殿の噂が出たのは北部かもしれないが、私が魔物を操っているという噂は、王都から出た可能性が高いとわかっているし、今は違う可能性に関して考えている。私が噂に気づく時期を遅らせるために、最初に北部から噂を流したのかもしれないと。それに、だ。仮に、今でも北部から噂を流しているとして、それだと王都から北部に情報が早く届く必要がある」


「つまり、どちらの考えにしても、王都の中にいるかもしれない敵の協力者を探した方が早いということですね」


「と思い、この数日、調査官らと協力して調べているが、王都に住む五十万人以上を調査するとなると骨が折れる。探し出すには証拠が足りない」


「あの、魔法でどうにかできたりしないんですか?」


 疑問に思ったので、恐る恐るシルワが尋ねるとミササギは苦笑した。


「人の思考を読む魔法はあることにはあるが、制御は簡単ではないし、五十万回も使ったら私が死ぬ。それに人の思考を読むなど、そう簡単に使っても良い魔法ではない」

「禁忌に近い魔法でしたね、確か」


 セセラギのつぶやきに、ミササギは不審そうな視線を向けた。


「禁忌に近いことを、なぜお前が知っている?」

「兄さんが、ずっと前に言ったことがありましたよ。僕が、父上の頭の中が知りたいから使ってくれと子供の時に頼んだことがあって。忘れたの?」

「……そう、だったか」


 ミササギは固い声で言うと、机の上に書類を戻した。セセラギも渡された書類を返す。


「しかし、やはりここに来てよかったです。状況がよくわかりましたから。何か、僕にできることがあればいいのですが」

「いい。その気持ちだけで」

「ですが」


 言い募るセセラギを見て、ミササギは何かを考えるように首を傾けた。机の上の書類をにらみつける。


「お前は、いつ、どういう風に私の噂を聞いた」

「え? それは、そのような噂があると家臣たちが」

「では、彼らはどこから聞いた」

「それは知りませんが」

「お前は、一人で王都に来たわけではないだろう。噂を聞いた誰かが、共に来た家臣の中にいないか」


 そこまで聞いて、セセラギが納得したような声を出した。


「なるほど、僕に噂がたどりつくまでの経路を探すということですね」

「調査が詰まってきているのは確かだからな、少し方向性を変えてもいいだろう。あまり意味はないと思うが」

「連れてきた家臣の中に詳しいことを知る者がいなかったら、屋敷に手紙でも送りましょうか?」

「いや。今いる家臣の中からだけでいい。いつまで王都にいる?」

「明後日の十の時に立つ予定です」


 それを聞いて、ミササギはうなずくと「わかった」とだけ答えた。


「では、そろそろ失礼しますね。兄さんも忙しいようですし」


 立ち上がると、セセラギは腰に剣を差し直した。


「できるだけ早く、噂についてお話に来れるようにします」


 言いながら出口に足を向け始める。それに気づいたシルワが動く前に、ミササギは扉の近くまで行き扉を開いた。


「忙しいのは承知していますが、少しでも手が空いたら、屋敷に少しくらい顔を見せにきたらどうですか? 父上には大会議がある時に会えるかもしれませんが、母上のところにも参ってあげて下さい」

「考えておこう」

「今度、会う時は明るい話ができたらいいですね。失礼します」


 その言葉を残して、セセラギは部屋の中から出ていった。

 ミササギは室内からその背が見えなくなるまで見ていたが、やがてゆっくりと扉を閉めた。目を伏せると、疲れたように息を小さく吐く。

 ミササギは、仕事机まで戻ってくると椅子に座った。

 そのまま、手をつけていない書類に目を通そうとして手を止める。なんとなく出そびれて立ったままそこにいるシルワに、顔を向けた。


「あ、私も下に戻りますね」

「いや、その前に。ちょうどいい、ここに来い」


 シルワは不思議に思いながらも言われるままに、机の前に立った。

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