魂の強い者が、魔法を使える。

 ミササギの後ろで、守衛隊長が部下に指示を出しはじめた。それぞれ言われた役割を行うために、門の外や城の方向に兵士たちが散らばっていく。


「モルス殿」


 指示を出し終えた隊長は、観察を続けるミササギに声をかけてきた。


「ラケニ・クラタ、痕を示せ。……何だ」


 魔物の体に魔法を唱えつつも、ミササギは先を話すように促した。


「来て下さり、本当に助かりました」

「まあ、本来の私の仕事ではないが」

「私の職務怠慢だと思うかもしれませんが、被害が出る前にあなたを呼んだ方がいいと思いました。近頃、凶暴な魔物が王都のはずれにも出たと聞きますから。実際に被害も出ているようですし、王城に何かあってはと思いまして」


 申し訳なさそうに言葉を紡ぐ隊長に、ミササギはほんの少し笑みをうかべてみせた。


「実を言うと、王都のはずれに出たその魔物にも私が対応した。君の考えももっともだ。王城に何かが起こってからは遅い。いい判断だったと私も思っているから、君を責めるつもりはない。それに」


 話しながら、自らが唱えた魔法の効力を見定めた。よく見ると、焼け焦げた体に紫色の光が見える気もするがはっきりとしない。ミササギは息を吐いた。


「私も来るのが少し、遅かったようだからな」

「いえ、そのようなことは」

「怪我人がいるのだろう」


 ミササギは、慌ただしく人が向かっている方向に目を向けた。


「油断していた、申し訳ない」


 小さく頭を下げた彼を、隊長は驚いたように見つめる。


「謝る必要などありません。命に関わる傷を負った者はいないと聞いております。ただ、一人」


 隊長が言いかけた時、少し離れた場所から人のうめく声がした。


「骨を二か所ほど折った者がいるようです」

「法医師は呼んだか」

「今、呼びには行かせましたが」

「ふむ。どちらにしろ、癒しの魔法をかけたほうがいいか。運ぶ時に苦しむだろう」


 ミササギはそう言うと、うめき声がした方向に歩き始めた。

 隊長が後を追おうとしたが「魔物を動かされないように見ていてほしい」と伝え、彼をとどまらせた。

 歩きながら、ちらりと外門に目をやる。

 門自体は無事のようだが、その横にある石造りの城壁は見事に崩れている。修復は、人の手だけでは時間がかかりすぎるだろう。


「あ、ミサギ様っ」


 と、後ろからシルワの声がしてミササギは振り向いた。そこには、苦しそうに息を吐いているシルワが立っていた。走ってきたのだろう。


「遅かったな」

「いえ、その、ミサギ様が魔物を倒したところは見れましたよ……」

「間に合ってはいないと思うが」


 隊長とミササギを呼びに来た兵士が言葉を交わしているのを眺めてから、人が集まっている場所に向かって足を踏み出した。シルワも彼を追って歩き出す。


「あの、どうしたんですか? まだ魔物がいるんですか?」

「魔物を倒す以外のこともできる、ということだな」

「はいっ?」


 彼女は不思議そうに、ミササギを見上げた。彼は時に、わかるように言ってくれないことがある。

 ミササギは怪我人を集めている場所に近づいた。その中に一人、ことさら苦しげにうめいている者がいる。シルワはその様子を見て、体を少しすくませた。

 仲間が楽な姿勢を取らせようとしているが、うまくいかないのだろう。その兵士は、苦痛に顔をゆがませている。


「そこにいろ」


 背越しにシルワへ言うと、重症の兵士に近づいた。ミササギが近づいてきたのを見て、他の兵士は自然とそばから離れていく。

 後ろのシルワは、言われた通りその場に留まりながら周りを見渡した。城壁だけでなく、門の外の道が地面が削りとられ、荒れ果てているのが見える。

 いかに恐ろしい力を持った魔物だったのかがわかる。現に、骨折した男について、仲間が魔物に飛ばされて骨折したのだと説明している。誰かが死んでいてもおかしくはなかった。


「動くなよ」


 ミササギは重症の兵士の横にかがむと、宙に何かの記号を描いた。


「ケニ・ソロル、癒しよ」


 緑色の法陣が現れ、兵士の体全体に溶け込むようにして消えた。兵士はそれを見て驚いたようだったが、すぐに、


「あれ、痛みが」


 己を襲っていた、体中の痛みが治まっていることに気づいた。


「あ、ありがとうございます……」

「言っておくが、痛みを抑えただけで治したわけではない。それは法医師の仕事だからな。後は彼らの言う通りに従え」


 ミササギは手短に言うと、その場から足早に立ち去った。兵士たちはそれを見送ってから、重症の兵士に手を貸して姿勢を楽にしてやった。


 兵士たちはどこかミササギのことを怖がっているように見えた。いや、彼らだけでなくシルワもどこかでそう感じているようだ。

 ミササギが魔物に近づくのをシルワは追いかけてきたが、どこかぼんやりとしている。

 一か月前にもミササギは要請を受け、王都のはずれに出た魔物の対処に赴いた。その時、シルワはまだ彼の従者ではなかったから、魔法を使うところを見ることはなかった。

 だから今日こそが、彼女がはじめて魔法を見た日になるのだろう。ミササギは、普段の生活で魔法を使わないからだ。

 巨大で恐ろしい魔物が、一瞬にして雷に包まれた光景。シルワが動揺しても無理はない。

 ミササギは、そこまでに強力な力を持っている。癒しの魔法を法律の範囲でしか使えない法医師らとは違う。

 それがモルスだ。魔法が管理されたこの国で、唯一自由に魔法を使うことのできる職業の力なのだ。

 考え込んでいるシルワに視線をやってから、ミササギは改めて魔物を眺めた。

 魔物は本来、剣や弓でも相手ができる。それどころか人の背丈を悠々と超える魔物などそんなにはいない。

 だが、ミササギが対処した一か月前の魔物もこれほどに巨大だった。今日のことと一か月前、度々耳にする異変――何か異常なものを感じさせる。


「私があんなことを言ったから……」


 シルワの言葉の意味が分からず、ミササギは首を傾げたがすぐに何のことかわかった。


『い、いえ、そんなことを言うつもりではっ。最近外は危ないって言いますし、用もなしに出歩かない方がいいですよ』


 彼が外に出たいのかと、遠回しに聞いた時のことだろう。


「そんなことはないさ」

「でも、私がそういうことを言うと、大抵嫌なことが起きるんですよ……今日みたいに」

「まあ、それは気のせいではないのだろうが」

「え?」


 シルワは彼の背を見つめたが、もちろんその表情を読み取ることはできない。

 彼女はその時日が落ちはじめ、地面を夕日色に染めていることに気づいた。ミササギの水色の髪が、その光を反射してキラキラと輝いている。綺麗だと彼女は思った。

 ミササギは答えずに、隊長に魔物の処理を指示した。隊長はうなずくと、手の空いている兵士を呼び寄せる。


「レニカ・ソローレ、汝の魂がやすからんことを」


 ミササギがそう言い終えるのを待ってから、兵士たちは持ってきた台に魔物をどうにか乗せ運んで行った。

 その運搬作業が終わる頃には、法医師が来て怪我人の応急処置をほどこし、王城敷地内の医院に連れて行った。


「それで、先ほどの言葉の意味は?」


 その様子を見ていたミササギの横に近づいて、シルワは恐る恐る問いかける。


「君の魂は強いほうだからな、危険を感じやすいところがあるのだろう。気に病むことではない」

「確か、ミサギ様みたいに魂が強い人が魔法を使えるんですよね。じゃあその、つまり」


 シルワはその先を言うことを一瞬ためらったが、手を握りしめると口にした。


「やろうと思えば、私も魔法が使えるということですか」

「…………」


 ミササギは黙って彼女を見返すと、夕日色の目を細めた。その顔に、自嘲ぎみた笑みが浮かぶ。


「怖いか。魔法が、私が」

「い、いや、その」

「魂が強いという点で、君自身を恐れる必要はない」


 それだけ言うといきなり歩き始めた。シルワは慌てて彼の後を追う。

 諭されても彼女はどこか落ち着かないのか、何度も頭をひねっている。

 先を行くミササギとて、それは同じだった。

 このアウローラ新王国で何かが起きようとしている。それはやはり間違いなさそうだと、ここ2か月の間、国で起こっている異変に彼は思いを巡らせた。


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